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「日帝が打ち込んだ鉄杭と結論を下しましょう。」 鉄杭を凝視したソ・ユンハ(蘇閠夏・65)
氏が話した。20年を超えて全国30ヶ所余りで280本の鉄杭を抜いて来た‘鉄杭男’だ。地域
の新聞に載った紫山の鉄杭を直接検索して探すほど彼は変わらずに精力的だった。
ソ氏と周辺の山勢を調査したシン・サンユン アジア風水地理研究所長は「山脈の気運が
南漢江と蟾江の合流する地点でカイチ(ヘテ)形状を成したが、その腰椎部分の穴に鉄杭
が打ち込まれた」と話した。
ウォン・ソンジェ康川2里長は「幼い時日帝が打ち込んだ鉄杭だと聞いた」と話して、住民の
キム・スンチョル氏は「町内の大人たちはイム・ギョンオプ将軍の気を折るために打ち込ん
だと言っていた」と話した。驪州郡史によればイム・ギョンオプ将軍が紫山頂上で心身修練
をしたと伝えられる。
ソ氏が鉄杭に初めて接したのは1984年北漢山白雲台頂上で鉄杭を抜いたというある山岳
会の消息を聞いてからだ。20代から民族宗教を研究したソ氏は「これこそ誰かが必ずする
べきこと」と固く信じた。
雪岳山から全南、麗水の無人島まで全国の鉄杭を探し回った。情報提供を受ければ町内
の口伝調査を先にした。風水学者から日帝が打ち込んだ鉄杭の根拠を探すことも必須だ。
この過程で日帝の打ち込んだのでは無いことが明かされても彼は‘美観上’鉄杭を抜いた。
団体の名前を掲げて鉄杭を抜いたりもしたがソ氏は常に一人であった。周辺では「全国を
流離う余力で肉体労働でもしなさい」と話した。‘韓日関係の障害物’や‘とんでもない迷信’
と後ろ指を差す者も多かった。
ソ氏は「目に見えないと無いのではない」「そのような人々は現場で鉄杭を一度取ってから
言ったらと思う」と話した。彼は「知らぬは仏」として「誰もしない事だから私だけでもしなけ
ればならない思った」と話した。
「食堂で働きながら今まで家事をしてくれる妻にただ申し訳ないだけです。‘行かなければ
ならないのに…行かなければならないのに…’となれば妻が小遣いを取り置いてくれます。
情報提供を受けてたら家にじっとしていられないのを知っているんです。」
▲パク・クッキ記者 25年のあいだ全国を回って鉄杭を抜いて来たソ・ユンハ氏は「病人も
鍼を打ってもらったら良くなるように、鉄杭を抜けば我が江山もさらに健康にならないか」と
話す。彼は1970年代ガラス製造会社と冷暖房設備会社を除いて、これといって金を稼いだ
ことは無かった。長男(36)の結婚式にも金一銭渡すことができなかった。15年以上京畿道
果川の33平方m(10坪)半地下月貰部屋で生活する境遇だ。
1995年日本人から全南珍島沖合に鉄杭が刺さっているという情報提供を受けた時は海中
を掻き分けるため、姉から借りた住宅資金5億ウォンを投じた。成果は無く、途方も無い宝
物が埋まっているという噂だけ流れた。ここは2000年イ・ヨンホゲートの主舞台になった。
現在ソ氏が全国から受けた鉄杭情報提供は51件。交通費と探査費などの事情で積んで
ばかりいる。ソ氏は「これだけ全て解決しても南韓内のかなりの鉄杭は全て抜かれた」とし
て「脱北者たちが情報提供した金剛山など北韓内の鉄杭を抜くのが最後の希望」と話した。
「死ぬまで鉄杭を抜く」というソ氏はこれまでの資料を集めて本を出す計画だ。ただし鉄杭
を抜いた位置は秘密だ。位置が分かれば誰かがその場に全く同じく鉄杭を打ち込むかと
思うからだ。彼の家にある鉄杭は100余本だけ。全国の地方自治体に配って残ったものだ。
彼は鉄杭を一つに溶かして鐘を作る考えもしている。痛みの歴史を鐘の表面に記録すると
いうのだ。
▲朝鮮日報(韓国語)2009/05/24 07:33
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