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[ハンギョレ創刊21周年特集]イ・ドギル 日本の主流歴史学界を撃つ/①植民史観と老論史観
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▲中国社会科学院から公式刊行された秦漢時代歴史地図。万里の長城を韓半島に深々と引き込ん
でいる。
中国は東北工程で満州はもちろん韓半島北部までを中国史の領土だったと主張している。北朝鮮有
事に軍事介入できる歴史的根拠を用意したのだ。その核心論拠は漢が古朝鮮を滅亡させ設置したと
いう漢四郡にある。漢四郡の中心地である楽浪郡が古朝鮮の首都であった平壌地域にあり残り三郡が
漢江の北側にあったので漢江北側が古代中国の植民地だという主張だ。こういう東北工程に対抗する
ために設置した機関が高句麗研究財団とそれを継承した東北アジア歴史財団だ。
ところで東北アジア歴史財団の現行ホームページは ‘正しい歴史’ という項目で「紀元前3~2世紀、
準王代の古朝鮮と衛満朝鮮は平壌を首都としており…」と書いている。古朝鮮の王城である平壌に楽
浪郡を設置したという中国東北工程の内容と一致する。高句麗研究財団も一時、楽浪郡の位置を平
壌だと表わした歴史地図を上げてネチズンの抗議を受けて畳んだことがあった。東北工程に対応しろ
として設置した国家研究機関がむしろ東北工程論理に同調する異常現象が進行中である。
「楽浪郡=平壌地域説」が日帝時代の京城が現在のソウルだったように確固不動な事実ならばそうかも
しれない。そのような場合、私たちは ‘嘗て漢江以北は中国史の領土だったが今はちがう’ という守
勢的防御に出るべきだろう。しかし、すでに1963年に北韓のリ・ジリンは<古朝鮮研究>で漢四郡は韓
半島にはなかったという事実を論証した。南韓でもムン・ジョンチャン先生が1969年に刊行した<古朝
鮮史研究>を通じて、そしてユン・ネヒョン教授も<韓国古代史新論>(1986)を通じて、筆者らも<古朝鮮
は大陸の支配者であった>(2006)等の著書を通じて漢四郡が韓半島内にはなかったと論証した。
にも関わらず国民の税金で運営される国家研究機関は東北工程に対抗するこういう理論を完全に握り
つぶしたまま、漢四郡が韓半島内にあったと言っている。高句麗研究財団と東北アジア歴史財団が高
句麗問題に対してはトーンを高めながらも、古朝鮮問題に対しては事実上沈黙を決め込んでいる内心
もここにある。これは現在の史学界主流の地形に根本的で構造的な問題があることを意味する。
韓国は大学内の教壇史学者らと大学外側の在野史学者らの間に歴史認識を巡って集団的葛藤を経
験している唯一の国だ。在野史学者らは教壇史学者らを日帝植民史学の後裔と批判してきた。彼らの
主張に無理な部分があるのも事実だ。しかし、韓国史学界は解放以来、今日まで朝鮮史編集会が作
った韓国史認識体系に対する総合的検討と批判をせず、こうした批判を自ら招来した。批判どころか
朝鮮史編集会の主要論理がそのまま韓国史の定説としてまかり通っているのが現実だ。
在野史学者らは日帝植民史学の頂点に国史学界の泰斗イ・ビョンド博士がいると主張した。しかし植
民史学の教祖はイ・ビョンド博士ではない。真の教祖はイ・ビョンドの早稲田大学留学時期の師匠であ
り満鉄と朝鮮史編集会出身の津田左右吉だ。現在韓国古代史学界で定説と認定しているイ・ビョンド
の理論は津田らの理論をそのまま継承したり若干の修正を加えたものに過ぎない。津田の韓国古代史
観は簡単だ。南満洲鉄道会社の委嘱を受けて書いた<朝鮮歴史地理>などの著書で津田は韓半島北
部には楽浪郡をはじめとする漢四郡があり、漢江以南には計78ヶの小国らがうようよしていたと叙述し
た。そして韓半島南部に古代版朝鮮総督府である任那日本府があったということだ。
(>>2-5に続く)
イ・ドギル ハンガラム歴史文化研究所長.
ソース:ハンギョレ新聞(韓国語) 現在進行形 歴史わい曲の後には ‘津田・イ・ビョンド 濃厚な影’
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