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【中国】“第3次天安門事件”はあるか(産経新聞中国総局・野口東秀)[05/17] - 暇つぶし2ch1:はるさめ前線φ ★
09/05/17 09:20:42
【土・日曜日に書く】中国総局・野口東秀 “第3次天安門事件”はあるか

 早いもので、あれから間もなく20年になる。学生らの民主化運動に血の弾圧が加えられた
1989年6月4日の天安門事件の前後、北京にいた。窓もない安ホテルの一室が産経新聞の
“臨時支局”となっていた。先輩記者の通訳や情報取り、壁新聞の内容の報告、それに、
学生指導者たちがテント張りの指揮所にしていた天安門広場の人民英雄記念碑で指導者たちと
接触するのが主な仕事だった。

 4月に、故胡耀邦元総書記を追悼して、学生が最初の花束を記念碑にささげる光景を見て以来、
事件鎮圧まで連日、広場や長安街周辺、大学をうろついた。デモ、学生指導者の演説、ハンスト、
戒厳部隊と住民の衝突、黒焦げになり路上に放置された兵士、つるされた兵士、それにつばを吐く住民、
病院に並べられた遺体…。これらは今も脳裏に焼き付いている。

 天安門事件で軍のトラックに火を付けて、死刑判決(執行猶予付き)を受け、2年半前にようやく出所した
40歳代の男の「その後」を、最近、耳にした。以下は周囲から聞いた男の話である。
男は70年代に3年間、軍兵士だった。

 ◆元死刑囚の過去

 天安門広場を戒厳部隊が制圧した6月4日夜、北京の一角で、打ち捨てられていた無人の軍トラックを、
群衆が取り囲んでいた。

 「タイヤに火を付けろ」。やじ馬の誰かが叫ぶと、その男は小さな布切れに火を付け、タイヤの下に置いた。
布が燃えただけで、トラック本体には燃え広がらなかったという。男は20分ほどで現場を離れた。
トラックは後に、誰かが燃やしたと男は主張している。

 私服姿の当局関係者が至る所に配置されていたから、撮影されていたのだろう。
約1週間後に拘束され、「戒厳部隊がおまえを名指ししている。ありのままに答えないなら部隊に移送する。
そうなればすぐに銃殺だ」と脅された。

 暴行を受けて気が動転していたこともあり、タイヤへの放火を認めた。「では、タンクには誰が火を付けたんだ」。
そう繰り返された尋問で、「正直に答えないと、戒厳部隊に送るぞ」とたたみかけられ、
「私がやった」と認めてしまう。戒厳部隊にだけは連行されたくないとの一心からだった。

 男には幼い息子がいた。「(死刑判決になる)覚悟をした方がいい」。弁護士からこう宣告され、
8月に猶予付き判決を受けるまで死の恐怖におびえ続けた。男の両親は死刑執行の日のために
新しい下着と服を差し入れたという。
>>2以降に続く)

産経新聞 2009.5.17 02:31
URLリンク(sankei.jp.msn.com)

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