09/05/11 05:37:14
■バターン死の行進、元米兵捕虜に公式謝罪 日本政府
第二次世界大戦中にフィリピンを占領した旧日本軍が捕虜を数日間歩かせ、多数が死亡したと
される「バターン死の行進」を巡り、日本政府が駐米大使を通じ、元米兵捕虜の団体に謝罪して
いたことが9日、分かった。行進の現場「バターン半島」に日本が言及して謝罪したのは初めて。
同団体の会長は「これまで長かったが、公式な政府の謝罪が得られてうれしい」と歓迎している。
この団体は「全米バターン・コレヒドール防衛兵の会」で、会長はアリゾナ州立大名誉教授のレ
スター・テニーさん(88)。メンバーの高齢化で今月末に解散する。
▽ソース:日本経済新聞
URLリンク(www.nikkei.co.jp)
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■日本、戦争虜虐待被害団体に謝罪
第2次世界大戦中にフィリピンを占領した日本軍が米軍捕虜などに強行軍をさせて多数を死亡
させた「バターン死の行進」に対して、日本政府が捕虜虐待被害者団体に謝罪を表明した、と
日本経済新聞が10日報道した。
同紙によれば、日本政府は昨年12月、藤崎一郎駐米大使の親書の形で捕虜被害者団体に対
して、「我が国が、バターン半島とコレヒドール島で悲惨な経験をした人を含む多くの方々に莫大
な損害と苦痛をもたらしたことに、心から謝罪する」と表明した。
藤崎大使は今年2月にも再び親書を送り、「謝罪は熟考した結果であり、日本政府の立場を完全
に反映している」として、政府の公式謝罪であると説明した。
日本は過去の捕虜虐待問題に対して、一般的な形態で謝罪したことはあるが、「バターン半島」
を明示して当事者に直接謝罪をしたのは初めてだ。
日本は2001年に当時の田中真紀子外相がサンフランシスコ講和条約50周年記念式典の席で、
「戦争は、捕虜を含む数多くの人々に拭うことのできない傷痕を残した。1995年の村山談話に
おける痛切な反省から出た謝罪の気持ちを再確認する」として、謝罪の意を示したことがある。
「バターン死の行進」は1942年4月、捕虜にした米軍とフィリピン軍の将兵7万人をバターン半島
から数百km離れた収容所まで強制的に行軍させ、途中に7千~1万人を死亡させた日本軍の
捕虜虐待蛮行であり、終戦後にその責任を問うて当時のフィリピン地域日本軍司令官である本間
雅晴中将が軍事裁判で有罪が確定して処刑された。
▽ソース:聯合ニュース/Naverニュース(韓国語)(2009/05/10 15:24)
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