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▲筆者が東京マッカーサー司令部の軍務員(DAC) ‘K. M. CHUNG’の名前で初めて投稿した文
‘コリアンのための抗弁’ が載せられた英字新聞<ジャパン タイムズ>の1951年3月28日付新聞。
何とか韓国が日本の支配から解放されてからわずか5年が過ぎた1950年当時、日本政府や言論が南北を
問わず在日‘チョウセンジン’に浴びせる差別と敵がい心は誠に驚くべきものだったと言わざるを
えません。ベルが鳴れば反射的に胃液を分泌するパブロフの実験動物のように、強盗殺人事件のような
ものがあれば、聞くまでもなく日本言論は朝鮮人のしわざと見て非難攻撃を吐き出すことが通例だった
と言ってもまず間違いありませんでした。当時の日本社会には政府や言論を問わず、朝鮮人を引きずり
降ろすことで自分たちに対する米国人の評価を持ち上げようと考えるのか、何か意図的政略が発動し
ているのかと疑うほど在日朝鮮人に対する反感の扇動がひどかったのです。
米極東軍司令部という職場にいたおかげで、私はマッカーサー将軍宛てに送ってくる投書のようなも
のも読む機会があったけど、その中には「チョウセンジンは獅子身中(恩恵を得てもむしろ害を与えると
いう意)の虫けらであり、日本の民主化にとって癌のような存在」というものもありました。当時、大阪近郊
の伊丹飛行場は北韓に対する爆撃基地でしたから、毎日のように朝連 (総連の前身)傘下の朝鮮人た
ちが集まって抗議運動したことがありました。これについてマッカーサー将軍に送った手紙を読んでみ
ると「伊丹飛行場の騒乱は日本社会の秩序を無視する悪質なチョウセンジンらの法律違反行為である
に過ぎず、いくら外見は同じだと言っても私たち日本人はチョウセンジンとは違う。だから頼むから誤解
しないでくれ」というものでした。
こういう局面で起きたのが東京築地のあるラーメン屋を襲った殺人強盗事件でしたが、犯人は主人の
家族を斧で惨殺しその死体をバラバラにしたおぞましい事件でした。事件の発生日は51年2月23日
ですね。この事件について<朝日新聞>(2月24日付)は、その家の使用人山口という者の証言により
‘夜遅く侵入した犯人は長髪で顔が長い27~28才の男だったが、濁音の発音が不自然な点から見て
日本人ではなかったようだった’ という記事を報道したのです。
同じ日の<毎日新聞>記事はより一層具体的で、山口が夜遅く小便をしに階段を降りると、26~27才の
体格ががっしりした男がいたが、見たのは後ろ姿だけなので顔はよく見なかったけれど頬骨が飛び出
していて顔色は青黒い点から見て犯人はチョウセンジンだったようだという文を大扉ほどの活字で報道
したのです。
山口の証言が<朝日>と<毎日>に報道されるや、東京の各新聞は「頬骨が飛び出していて顔は青黒く、
その上濁音発音が異常なチョウセンジン」を捜し出すのに狂的といっていいほど熱を上げました。こう
いう種類の事件が発生すれば当然に識者と言われる人々のコメントが載せられますが、その中には「こ
のように残忍な犯罪は日本人ではありえない」というのもありました。
この騒乱の中で私自身は言うまでもなく在日朝鮮人たちが南北を問わずどれほど戦々恐々と身の置き
ばを知らない毎日を送ったか想像してみて下さい。ところが、事件発生後17日ぶりに犯人が捕まりまし
たが、あきれたことに事件の証人としてメディアの脚光を浴びていた山口本人だったのですね。彼はも
ちろん日本人でした。
(>>2-5のあたりに続く)
チョン・ギョンモ在日統一運動家
ソース:ハンギョレ新聞(韓国語) [道を探して]日本の ‘狂気’ に筆を持ち ‘抗弁’
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