09/05/07 06:19:02 +wTe2i4p
コピペサービス(田母神アホの先生、森松俊夫は平成のコソ泥。)
いやあ、私のお友達、板倉さんと森松さんがこんなに有名人だとは知りませんでしたよ。
私もこの問題を勉強して分かったのは、もともと実名で肯定された人は極稀で一人は東史郎氏です。
この東史郎という人は「東史郎日記」という詳細な日記を出版されています。
戦史部OBなどの捏造派は東氏を対象に名誉毀損裁判を起こして、勝訴しています。
この裁判を計画した人物が、親父のスケッチブックに手を出して失敗した森松俊夫さんでした。
以下は「加害と赦し、東史郎裁判と南京大虐殺」(2001年6月25日、㈱現代書館)から森松さんと板倉さんに関する文の抜粋です。
森松俊夫さんに関する記述
その時に「東さんを名誉毀損で裁判にかけると言っておりますよ」「誰が言うてんのや」「もと偕行社の森松少佐です」「...森松は知らん。知らんけどかまへん。...
...この男が森松俊夫陸軍少佐。こいつが私を告訴しようということで偕行社で相談しとったのが、昭和六十三(1988)年やな。
結局、平成五(1993)年になってから提訴した。だから五年間告訴するネタを探しとったということや。
(この森松俊夫さんが東氏に「平和のための京都の戦争展」に日記の原本を貸し出させ、証拠となる部分の抜き取りを指示した人物です。
それで東氏は気の毒に裁判で敗訴してしまったのです。)
板倉由明さんに関する記述
原告H氏は...「板倉さんから相当この裁判に向けてのアドバイス」があったかの質問に対し、「話もございました。相談もしました。」と答弁している。
...自分の名誉を毀損したとする「本」を見たことも読んだこともないまま、「おまえのことだよ」戦友から教えられ、板倉由明氏らと相談して訴訟を起こしたという。
...この裁判の本当の主人公はいったい誰なのか。
「勝てる裁判をやらなければ、輿論の流れを変えることはできない」と考えていた板倉氏が、東史郎日記に記載されている「郵便袋事件」が、「H氏の名誉毀損にならないか」と高池弁護士に語り、
「なるのではないか」と「急に親しくなり、しばしば連絡を取り合うようになった」と、原告の弁護士自身が「あとがき」に書いている。
(板倉由明さんについては家に多くの手紙があり、CD-Rの中に含めています。)