09/04/24 16:04:45 8Xsy3B0T
>錦織さんが監修、発行した「海を渡った神様」は、1850年ぐらい前の話です。
1850年前と言えば西暦の2世紀です。
日本では西暦57年に奴国が後漢に使いを送り、107年には倭の伊都国の王と見られている
師升という人物が漢に使いを送っているがすでにこの頃には漢字を使える人物がいたらしいことが
最近わかってきた。そして漢のほうでも返礼として日本に使いを送っている(185年ごろ)。
3世紀には有名な卑弥呼が魏に使いを送って親魏倭王に任じられている。この称号は周辺諸国の
中で最もランクが高く当時、倭(日本)はそれだけ中国から高い評価を受けていた。
最近の研究ではすでに日本国内において青銅の鋳造や絹織布の生産も行われ日本産の染色技術を
持った「倭錦」と呼ばれる布が中国で珍重されていたことが分かっている。
この時代に至るまで朝鮮半島では楽浪郡、帯方郡などの中国の統治機関が置かれており
朝鮮人の国家など存在せず、馬韓、辰韓などの名称の自治区の扱いを受けていたのみである。
中国と日本の通商の歴史にもまったく朝鮮人の名前など出てこないし、朝鮮人などは
明らかに当時日本よりもはるか低い存在とみなされていた。
高句麗などが独立国として現れるのは中国の統一国家が無くなって分裂状態になった
4世紀からである。