09/04/24 03:10:57 RwzVl8Ia
支那が五胡十六国、南北朝と支那の分裂ターンの頃までは、
日本は人が生きていくのには十分だったようで、まだまだ日本式のやり方でも、
半島まで勢力下に置いて思う存分やっていたようだ。適当に支那の異文化・技術を取り入れつつ。
しかし、隋・唐という統一ターンに入った頃の、律令制中央集権国家ってのはかなり強烈だった。
それまでの日本式氏族制国家では、半島への影響を維持するのが無理どころか、
本土の日本すら危うくなり、国家改造へと進んだ。まるで千数百年後の明治維新のように。
明治維新の変革が結局は日本式だったように、鎮護国家仏教を入れたり、遣隋使・遣唐使送ったり
大化改新と呼ばれる国家改造も、結局は日本式の変革で、中華帝国とはかなり違った形となったが。w
その中で、半島は江戸時代における「出島」の役割も果たしてたわけで、
まるで「出島」が江戸時代の日本を支配してた、と言ってるのが朝鮮の歴史観。w