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【消えた巨額貸付金】中央の奥の手 「借入証書」まで発行 (上) (1/4ページ)
2009.4.21 02:11
「預置金証」のコピー複写
「このたび、わが国の人民生活向上のため、カラーテレビ生産に寄与することにした」
平成元(1989)年11月24日。東京都千代田区の在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)中央会館8階の会議室で、議長
(当時)の韓徳銖(ハンドクス)(故人)が切り出した。同席したのは朝鮮総連幹部3人と、東京までわざわざ呼び出された
在日朝鮮人系の信用組合「朝銀京都」理事長(当時)。理事長は緊張した様子で韓の言葉を聞いた。
第1副議長(同)の李珍圭(リチンケ)が続けた。
「今般の東ヨーロッパの事態と関連して、祖国人民にテレビを普及させ、人民を金日成主席と金正日指導者の周りに集結させなけれ
ばならない」
このころ東欧には、民主化の大波が押し寄せていた。共産圏の盟主として東欧諸国の指導体制に介入する外交政策をとってきた
旧ソ連は88年、方針を転換した。盟主がぐらついた東側諸国に体制転換の連鎖が起き始めた。
89年11月には、“東西冷戦の象徴”だったベルリンの壁が崩壊し、その翌月のクリスマスには金日成の盟友だったルーマニアの
独裁者、チャウシェスクが妻とともに処刑されている。
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「預置金証」のコピー複写
旧ソ連や自由化の波にのまれた東側の国々、中国などの援助で成り立っていた北朝鮮指導体制は政治的な後ろ盾とともに経済的な
基盤をも失いつつあった。
「60億円にも上る資金集めはまさに、主席や総書記らの指導体制を救うための原資だったのではないか」。
返済期限が過ぎたころには、貸し手や朝銀関係者の間では、こんな“分析”がなされていた。
総連中央本部の会議室が重々しい空気に包まれていたことは言うまでもない。
「一言の質問も許されない雰囲気だった」
朝銀京都の理事長は当時をそう振り返っている。
■■■
理事長は韓らから集金指示を受けると、今度は当時の副議長、許宗萬(ホジヨンマン)の部屋に招かれた。室内に入ると許は、
ハングルで「預置金証」と印刷された朝鮮総連の借入証書6枚(1枚1億円)を示し、理事長にこう言った。
「総連中央は借金する(対象の)人が分からないので、相手先(貸主)の選定は理事長に一任する」
朝銀京都の割り当ては6億円。理事長は、12月20日までに借り入れ作業を完了し、氏名を記入した預置金証を貸主に渡してその
コピーと現金を持参せよという許の指示を、一言の質問も発することもできずに京都に持ち帰った。
>>2以降に続く
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