09/04/16 18:42:29 +mmSlJzi
朝鮮通信使の行列が日本の庶民の見せ物だったことは
当時の朝鮮通信使自身が自覚しています
【朝鮮通信使も知っていた】朝鮮通信使は見せ物!!
1764年 英祖40年 甲申通信使 副使 李仁培付き書記 元重挙
乗槎録 巻三 甲申年五月七日条 より
毎當通信、馬人獲其財、関白獲其名、國人有観光之喜也、我行則以馬才爲才人、文士優人、
服装以飾之、笙笛以盪之、以供其一場戯玩之具而已、此已可羞、
而矧今渠國之文氣日揚、知識日開、笑侮者漸多、
【訳文】
毎回通信使が来るたびに、対馬藩は財物を得て、
関白(将軍)は名分を得る。
そして、その国の人々は観光の楽しみを得る。
これに比べ、我々は、馬上才でその技術を誇り、
文士は彼らと戯れ
服装で飾り、笙篁(しょうこう、朝鮮半島の楽器)や笛で騒々しく振る舞い、
彼らに一つの遊技場での遊び道具を提供しているだけである。
これこそ恥ずべき事である。
ましてや今、日本の儒学の水準がが日に日に高まり、
日本人の儒学に関する知識が開かれており、
朝鮮通信使の行列をあざ笑う物が徐々に増えている。