09/04/11 22:37:06
(ソウル=聨合ニュース)「港に到着して市内裏側ににょっきとたっている小さな山の上を、真白な服を着
た朝鮮人らが鮮かな秋の朝の日ざしをたっぷり受けて腰を曲げて悠悠と歩いて行く姿を見ると、一昼
夜で私は幼い子供になってフェアリーランドへ来たような気がした」(130ページ)
日本の小説家、谷崎純一郎(1886-1965)は『朝鮮雑感』で1918年に旅行のため訪問した朝鮮の第一
印象をこのように書いた。耽美派の作家だった彼に朝鮮は申し分のない美しい幻想の場所だった。
『日本作家らが見た近代朝鮮』(ソミョン出版発行)はこのような旧韓末と植民地時代朝鮮の風景が日
本人たちの目にどのように映ったのかをうかがわせる本だ。イ・ハンジョン東国大日本学研究所研究
員とミズノ・タツロウ京都造形芸術大講師が一緒に編集したこの本には1891年から1941年まで十三
人の日本作家が韓国を訪ずれて書いた小説や随筆が翻訳、収録された。
谷崎純一郎の無垢な視点とは違い、国木田独歩(1871-1908)は日清戦争頃の従軍記者を勤めながら
記録した『愛弟通信』でしばらく上陸した大同江周辺で見た朝鮮民衆たちに対する憐愍を表現した。
「小さな丘とまばらな森、あぜ道と浜辺、岩と干潮、満潮と夕陽、白衣と野牛は、風景をもっと美しくし
たが、それより私は人々の生活を可哀想に思った。彼らは自分の国が今どうなっているのか知らない
ようだ。人民と政治、戦争はどれほど相互関係があるか」(94ページ)
1920年に満州と朝鮮を旅行した木下杢太郎(1885-1945)は『朝鮮風物記』で朝鮮農民たちの性質が
中国農民たちと確実に区別されると書いた。「彼らはいつも自分が他者とは違うと意識しているように
見えました。それだから相手をしても親しい感情をすぐには感じられないのです。これとは反対に中国
人たちとはすぐ本音を打ち明けることができます」(138ページ)
教師として赴任した父親に付いて京城で中学時代を過ごした中島敦(1909-1942)は小説「巡査の居る
風景」で総督を暗殺しようとしていた朝鮮人ウを逮捕して自己恥辱感を感じる朝鮮人巡査、趙教英(チ
ョ・ギョヤン)を登場させる。「その犯人の眼は明らかにものを言って居るのだ。教英は日頃感じて居る、
あの圧迫感が二十倍もの重みで、自分を押しつけるのを感じた。捕われたものは誰だ。 捕えたもの
は誰だ。」(249ページ)
356ページ。1万9千ウォン。
ソース:毎日経済) [美しくて危なげな近代朝鮮風景] '日本作家たちが見た近代朝鮮'出刊
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