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済州島四・三事件
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済州島四・三事件(チェジュド(さいしゅうとう)よんさんじけん)は、1948年4月3日に
現在の大韓民国南部、済州島で起こった人民遊撃隊の武装蜂起にともなうとされる虐殺
事件。南朝鮮労働党が関わっているとされ、政府軍・警察による粛清と鎮圧によって、
多くの島民が虐殺された
8月15日の大韓民国成立後も韓国軍(この時正式発足)によって継続して行われた。1950年
に南北朝鮮労働党が合併し、金日成の朝鮮民主主義人民共和国が侵攻(朝鮮戦争)すると、
いよいよ朝鮮労働党党員狩りは熾烈さを極め、1954年9月21日までに3万人が、完全に鎮圧
された1957年までには8万人の島民が殺害されたとも推測される。
流刑地だったことなどから朝鮮本土から差別され、また貧しかった済州島民は、新天地を
求めて日本へ出稼ぎに行き、定住する者もいた。韓国併合後、日本統治時代の初期に朝鮮
から日本に渡った20万人ほどの大半は済州島出身であったという。日本の敗戦による朝鮮
半島解放によってその3分の2程は帰国したが、四・三事件の難を逃れようとした済州島民
は再び日本などへ避難あるいは密入国し、そのまま在日コリアンとなった者も数多い。
事件前(1948年)に28万人[1]いた島民は、1957年には3万人弱にまで激減したとされる[2]。