【広島】朝鮮の人々は植民地支配で土地を奪われ、仕方なく日本に渡ってきた…元高校教師、在韓被爆者救援に奔走★2[04/02]at NEWS4PLUS
【広島】朝鮮の人々は植民地支配で土地を奪われ、仕方なく日本に渡ってきた…元高校教師、在韓被爆者救援に奔走★2[04/02] - 暇つぶし2ch2:出世ウホφ ★
09/04/03 02:32:42
「自分たちには日本からも韓国からも支援がない。存在さえ知られていない」と聞いた。
帰国後、大阪の市民団体「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」の活動に加わり、
広島支部をつくった。
韓国人被爆者が被爆者健康手帳を得るための証人捜しに奔走するうちに、
あの日、爆心地近くに入った自分も入市被爆者だと初めて知った。

「被爆者の知り合いはおらんか」。
83年、大阪市内の府立高校にいる知人の教師から電話がかかってきた。
当時、修学旅行の生徒たちに証言をしてくれる被爆者は少なく、
教師たちは証言者を確保するのに四苦八苦していた。
「わしも被爆者じゃ」。豊永さんはつい口を滑らせた。
家族にさえ語ったことがない被爆体験を語るはめになった。
11月、220人の生徒たちと平和記念公園で会った。
制服を着ていなかったり、濃い化粧をしていたり……。
事前に聞いていた以上の「不良」に見えた。その夜、ホテルで証言に臨むのが怖かった。
「一番つらい思い出を誰にも聞いてもらえなければ惨めだ」
生徒たちは最初、寝そべり、おしゃべりをしながら豊永さんの話を聴いていた。
だが、次第に私語は消えていった。
「豊永さん!」。証言を終えた豊永さんに、2人の女子生徒が涙を流しながら駆け寄ってきた。
「いい話でした。 ぜひもっと多くの子どもに話してください」

「広島に来る子たちにもっと語りたい」。志を同じくする被爆者13人で84年、
「ヒロシマを語る会」を結成した。
勤務先でも、最初の授業で必ず被爆証言をした。
「今日は学校が静かだった」と後で同僚が驚くほど、生徒たちは熱心に耳を傾けた。
01年に高齢化で会は解散したものの、今も全国から寄せられる依頼に元会員たちと応じている。

米国、ブラジル、メキシコ……。豊永さんらの活動を通じ、
朝鮮半島以外の国々にも苦しんでいる被爆者が多くいることがわかってきた。
訴訟も相次ぎ、厚生労働省は03年、出国した被爆者への健康管理手当の
支給を打ち切る通達をようやく廃止した。

豊永さんは、広島で原爆関係の訴訟があるときは必ず裁判所に足を運ぶ。
気になるのは、在外被爆者の訴訟だと傍聴者が少ないことだ。
「日本人被爆者ともっと連携していきたい。同じ被爆者なのだから」(秋山千佳)
(おわり)


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