09/03/25 23:01:34
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上:ル・コルビュジエの『ロンシャン教会』と『浮石寺』下:ル・コルビュジエがドミノシステムを適用して設
計した住宅である『サヴォア邸』と屏山書院の『晩対楼』
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ライトがグッゲンハイム設計の時にホテルの寝室に置いた『朝鮮白磁』と『グッゲンハイム』の外観
(ソウル=聨合ニュース)ル・コルビュジエ(1887-1965)の有名な建築物である「ロンシャン教会」の屋根
と浮石寺(プソクサ)の軒が似ているのは単なる偶然だろう。フランク・ロイド・ライト(1867-1957)が建築
した「グッゲンハイム美術館」の形態から朝鮮白磁を連想したらただの錯覚だろう。
偶然や錯覚ではないかもしれないという主張が韓国の国内学界で提唱された。20世紀三大建築家で
あるライトやル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエ(1886-1969)が韓屋(ハノク=韓国式伝統家
屋)から影響を受けたことがあるというのだ。
金ジョンホン培材(ペヂェ)大教授は最近発行された大韓建築学会論文集に載せた「17-20世紀初め
のヨーロッパとアメリカでの極東アジアに対する関心が近代建築に及ぼした影響の研究」という論文を
通じて「西洋の近代建築は、韓国、日本、中国など東アジアの建築に大きく影響を受けた」とこのよう
に主張した。
これまで日本と中国の西欧近代建築に対する影響を扱った論文は、ときたまあったが韓屋の影響を
扱った論文は今回が初めてだ。特に金教授はライトの場合、日本の帝国ホテル建築の過程で依頼主
である大倉喜八郎(1837-1928)の招待で彼の持家にあった資善堂(チャソンダン:東宮=朝鮮の王世
子の寝殿として使われていたが、日帝の時に日本に運ばれた景福宮内の建物)でオンドルを体験し、
これを理想的な暖房と考え、1936-1937年にシオン・ホバート・ジェイコブ邸に暖房設備としてオンドル
を敷いたと明らかにした。
引き続きライトが経済不況の1930年代、中産階級家庭用住居の形態として提案したユソニアン住宅
(Usonian House)にもパイプ・オンドルを暖房設備として採択し、韓国文化に対するライトの興味は彼が
保有した十長生図やニューヨーク、グッゲンハイム美術館作業の時、泊まったホテル内の寝室に置い
た朝鮮白磁を通じて確認することができる、と付け加えた。
彼はライトが建築した中産階級住居空間の平面図を日本の伝統住宅及び韓屋と比べながら居間を
中心に各空間が繋がったライトの平面構成は閉鎖的な日本住宅よりは大庁(テチョン:大広間・板の
間)を中心に奥座敷(アンバン:主婦が起居する内室。その家で一番良い、中心的な部屋)と別棟(ゴ
ンノンバン:板の間を挟んでアンバンのむかいにある部屋)で繋がれた韓屋に似ていたと提示した。
ル・コルビュジエが師匠オーギュスト・ペレ(1874-1954)が開発したコンクリートを利用して近代建築の
基本的な概念として発展させたドミノ(dom-ino)システムも韓屋の影響を受けたものと金教授は推定し
た。壁面で圧力を支える構造の積上式構造建築が当時西洋の主流建築様式だったが、オーギュス
ト・ペレは1902年、柱と梁に圧力が集中した「フランクリン街のアパート」(1902年)を作った。
これは1900年のパリ万博直後だっただけに、極東アジアの建築の影響によるものと見られ、その影
響はまたル・コルビュジエに及んだと金教授は説明した。金教授は「1900年のパリ博覧会で建てられ
た'朝鮮館'の建築家が、オーギュスト・ペレなのかどうかは確かではないが'ペレ'という記録が残って
いる」としてその可能性を大きく見た。
ミース・ファン・デル・ローエも、東洋思想および文化に関心が高かった建築家だ。彼の有名な建築物
「ファンズワース邸の場合、自然と住居空間を明確に分離する西欧の伝統でなく、自然と建物内外部
空間を連係する東洋圏の思考を確認することができる、と金教授は説明した。
金教授は「結局、韓国の伝統建築は近現代建築とも繋がっていて現代生活と断絶でなく連続性を持
つと見ることができる」と話した。
ソース:naver/聯合ニュース(韓国語) "韓屋が西洋現代建築に影響かけた"
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