09/03/22 01:52:55
10年間以上も多くの裁判所の部長判事を勤めた方が「どうせ植民地暮らしをするなら日本帝国だった
のは非常に幸い」という言葉をぬけぬけと口にするのを見た。その方のお話では鉄道を作ってくれ、
学校を建ててくれ、工場を建ててくれたことがありがたいという意味だが誠に情けない考えに違いない。
その方よりもっと高い席にいたある長官さえも日帝の植民地だったから今日、この程度の近代化を成
すことができたと言い切る。
日本帝国が大韓帝国を強制的に併合しながらやらかした蛮行は一つや二つではないが、その中でも
朝鮮王室の主宮である景福宮勤政殿の前庭に朝鮮総督府の庁舎を石造で作ったことは彼らがどれ
ほど無知で浅薄な人々なのかを如実に見せてくれた結果だ。このようなやり方ならフランスを占領し
たナチスドイツ軍はベルサイユ宮に占領軍司令部を建てなければならないし、戦後に日本に進駐した
米軍は彼らの天皇がとどまる宮城にGHQ(占領軍司令部)を置かなければならない。しかし、ナチスも
米軍もそんな無道はしなかった。
1924年5月、日帝は京城帝国大学の官制によって法文学部・医学部を設置し、5月10日予科を開講
することでいわゆる<京城帝国大学>が開校することになる。朝鮮は燦爛たる歴史を持ち、歴史に対す
る畏敬心で一杯な民族だったが、不幸にも近代学問としての歴史研究はその試みさえできなかった
時代だ。朴殷植、申采浩など歴史に興味を持った人はいたが、朝鮮の歴史を近代的な学問として定
立することができなかったという意味だ。その結果が京城帝国大学法文学部に<朝鮮史>という科目
が設置されてもその講義を担当する朝鮮人学者が全くいない状態だった。
朝鮮総督付きの歴史編修官だった今西龍が京城帝国大学の史学教授として赴任することで日本人
教授が近代学問としての<朝鮮史>を講義するようになる。恥ずかしい事だが、今西のような日本人学
者が<朝鮮史を近代的な学問として定立するためには無条件に読まなければならない諸本がある。
まさにそれが<朝鮮王朝実録>、<大東野乗>、<燃藜室記述>などの朝鮮の歴史を書いた本だ。このよ
うな諸本は日本の地にあるのではなく、すべて朝鮮にあったが、朝鮮の知識人は探求しなかったし、
朝鮮を侵奪した日本人学者がそれを読んで<朝鮮史>を近代学問として定立した、という事実に強い
羞恥心を感じるしかない。
京城帝国大学法文学部に入学して<朝鮮史>を習わなければならない朝鮮人青年の惨憺たる姿を考
えて見れば分かる。朝鮮人の秀才らに<朝鮮史>を講義する今西教授が朝鮮のアイデンティティ(正体
性)、朝鮮人の歴史認識などをありのまま、正直に講義するわけがない。彼は日本人だったから朝鮮
国と日本国が合併するしかなかった当為性を講義するしかない。朝鮮王朝は李姓を持った一部の部
族が治めた国だから<李氏朝鮮>でなければならなかったし、<朝鮮>という言葉の代わりに<李朝>とい
う言葉を使うようになり、<朝鮮王朝実録>は<李朝実録>に卑下され、<朝鮮白磁>は<李朝白磁>に卑
下されるしかない。
それだけではない。朝鮮人は三人集まれば争うから<四色党争>になったし、このように国論の統一を
成すことがなかったので日本国に寄り掛かって新しい文物を受け入れるしかない。このような考えが
いわゆる<植民地史観>だ。京城帝国大学に入学した朝鮮人の秀才らはそれをそのまま勉強して踏襲
しながら京城帝国大学を卒業するようになる。まさに彼らが朝鮮総督付きの編修官や専門学校の史
学教授として赴任し、師匠の今西龍が口にした植民史観が今度は朝鮮人教授の口を通じてもっと広く
深く広がって行く悪循環が20余年も繰り返された。
-党派争いのため朝鮮王朝は亡びた。並大抵な妄言ではない。各派閥の利益のみのために争う党争
は朝鮮王朝時代より今の方がもっと熾烈で汚らしい。私たち韓国のハンナラ党と民主党の争いがそう
で、海の彼方、日本の自民党と民主党がまたそうだ。韓国の事情、日本の事情そしてアメリカの事情
がまったく同じなのに党争のため国の亡びた例はない。どうして朝鮮王朝だけが党争のために国が
亡びるのか。朝鮮王朝の党争は高度な理論が対決する。学識の足りない人間は割りこむこともでき
なかった。それは党争ではなく<政争>だ。
文/シン・ボンソン劇作家
ソース:デイリアン(韓国語) 党派争いで朝鮮が亡びる?
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