09/03/11 18:55:49
ソース:東亜日報(ハングル記事を記者が翻訳)
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「‘まずはやって見よう’という熱意と、やせがまんして走り回っていた若い頃を思えば、
現在の (三星電子の) グローバルトップという位置はまことに感激的であり桑田碧海(そう
でんへきかい=世の中の移り変わりの激しさ)であるに違いないです。」
最近経営の第一線で退いた呉東振 前三星電子北米総括社長(61・写真)が‘三星と共に
あった35年を振り返り’という題目で社内イントラネットにあげた1文が三星内部で静かな
感動を生んでいる。
呉前社長は1973年三星電子に入社し、三星電子の人事チーム長、グループ秘書室監査
チーム長、三星電子東南アジア総括副社長などの主要補職を歴任した。
彼は 「(1970年代)韓国という国、三星ブランドと製品力は全て一貫し中・後進国市場中心
の開拓が不可避でした」とし「(私は)行く先々で日本人になりすましロクに製品一つない中、
カタログのみで奥地まで足しげく通ったんです」と回想した。
2005年1月~2009年1月に北米総括として三星電子を率いた呉前社長は「最後の任地で
あるアメリカで、アナログパラダイムとは違うデジタル時代の勝者を一人占めするというの
は、冷厳な現実でありどのように生き残り飛躍することができるかに対し数多くの悩みを
抱えてきました。」と言う。
そして探し出した解答は李健煕前三星グループ会長がいつも強調して来た‘人’だと彼は
付け加えた。
「人種や色や思考が違っても、市場は現地人が問題も方法も一番よく分かっているので
どのようにして優秀な人材を見出し三星化するのかがカギでした。」
呉前社長は 「今、三星は再び残酷で難しい時期を迎えていますが、こういう‘三星ウェイ
(Way)’を皆でどこでも共有することができ、負担なく根付かせるができれば堅固に発展
できると確信しています。」と付け加えた。
彼は文の末尾で‘できる’ 精神を強調した。
「言葉では言い尽くせない感謝の中、年富力強(年が若くて気力が旺盛)の後輩たちに
‘Yes, We can’から ‘Yes, You Can’とバトンを渡しつつ、(私は) 後から心で後援する平凡
な日常人へ戻ろうかと思います。」
呉前社長の文を読んだ三星の後輩たちは「私も 20年、30年後にこんな文を後輩に残す
ことができる先輩になりたい」、「難しい時期に後輩たちへ感動の文を伝えた先輩に感謝
します」といったコメントをつけている。