09/03/08 10:32:28 pu9nV223
近代日本は明治維新以降大発展をとげました。
以前、東京の名前は朝鮮王朝が授けた事実を皆さんに伝えさせていただきましたが、
なぜ、一国の首都の名前を他の国に託したのでしょうか。
それは、当時の朝鮮王朝が近代日本の成立いわゆる、明治維新を起こし日本の近代化を推し進めたからです。
維新を実行した明治政府の高官がこれを恩に思い首都の名前の命名を願ったのです。
さて、朝鮮王朝はどのように明治維新を指示したのでしょうか。
当時、徳川幕府による支配を見守っていた朝鮮王朝歴代国王はその文明の遅れ、うまくいっていない支配を心配していました。
そして24代国王憲宗 25代国王哲宗は、世界の流れからこのままでは日本は取り残されると思い、日本各地に文明教育、
世界の事情の教育のために高官を派遣し心ある若者のための学校をつくりました。そこにはたくさんの人物が通い、多くを学びました。
このような学校で学んだ人物は
吉田松陰
佐久間象山
がおり、彼らがここで学んだことをさらに多くの若者に伝えて近代化に向けての意識を日本国内でかためていくのです。
そして、とうとう世の中が大きく動き出しました。
朝鮮王朝は積極的に長州、薩摩等の維新の中心となる勢力に多くの援助を行いました。
軍事教練、軍艦、金銭、鉄砲などその支援は多くの分野にわたりました。
そして、最後、朝鮮王朝の使者が江戸に入り、将軍慶喜に対して、世界の現状と日本の未来を説き、大政奉還を決意させたのです。
そして、明治維新が成立したのです。
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