09/03/03 22:39:50
>>1のつづき
≪拱手傍観する政治指導者≫
世界最大の陸軍大国ロシアに極東の小国日本が挑んでこれに勝利をもたらした要因はさまざまで
あるが、最も大きく貢献したのは日英同盟である。
ロシアの南下政策により、アヘン戦争以来、厖大(ぼうだい)に築き上げられた清国内の権益が侵される
ことを恐れたイギリスと利害を共有して、日英同盟は成立した。他を顧慮することなく国の総力をロシア
との戦いに注ぎ込む条件を、日本は日英同盟によって手にしたのである。
明治28年6月21日付の『時事新報』で福澤はこういう。
「我輩素(もと)より文明立国の自利主義を知らざるに非(あら)ず。唯これを知るが故に英人の必ず
我れに応ぜんことを信ずるものなり。其の次第を語らんに、抑(そもそ)も英人が自国の利益を衛(まも)
る為めに第一の目的とする所のものは、露国の南進を防ぎ彼をして海浜に頭角を現わすこと勿(なか)
らしむるの一事にして、多年来、英国の外交戦略と云へば殆(ほと)んど此の一事の外(ほか)に見る所
なしと称するも過言に非ず」
この社説が、第1次日英同盟成立(明治35年1月)の6年以上も前に書かれたものであることを知るだけ
でも、国際環境に対する福澤の予見力が驚嘆に値するほどに高いものであったことを理解できよう。
福澤は日英同盟締結の必要性を誰よりも早く説くと同時に、外交は利害の共有のうえにしか成り立た
ないという徹底したリアリズムを、この一文の中に鮮やかに浮かび上がらせている。
緊迫の度を増す現在の極東アジア地政学の中にあってなお、日米同盟における集団的自衛権の行使に
日本は半歩も踏み出すことができない。領土の確定、拉致被害者の救出にも拱手(きょうしゅ)傍観の体
である。政治指導者よ、君、国を捨つるなかれ。(おわり)