09/03/03 23:36:28 ehBn2Nij
福沢はどこで変わったんだろう?
外国語を学ぶために緒方洪庵の塾に入り、勝の給仕役?で渡米し、
江戸で外国語塾を開いて、維新にはまったくといって良いほど興味を持たず、
塾友である長州の大村益次郎の作戦指導による彰義隊との上野の戦いも、
今は学問の時だと言った福沢だったが、まるで大村がのり移ったように、
朝鮮への関与を見せている。
おそらく、そんなに変わってはおらず自分の理想への追求だったかも知れない。
一つには龍馬のように国際人になろうとした点と、もう一つは、
やはり多くの維新の志士が思った身分制への反発、彼の場合憎しみにも似たものがあったからかもしれない。
彼の行動は入亜している。とすれば入亜覚醒だったともいえる。
しかしま、聖徳太子も同じだったが、徒労に終わっている。
新旧の万札を見るたびに、北進は凶と見るのが良いだろうな。