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感慨深げに振り返る金沢監督と坂本の出会いは2003年の夏だった。中学生だった坂本が所属するチームを訪ね、練習を見たのが最初だ。
「身のこなしが柔らかく、『プロに行く子だな』とピンときました。ただ、かなりヤンチャだっていうんです(笑い)。当時『ヤンチャな子は“更生学院”の金沢に預けろ』と言われていた」
ノックを「死ねボケ!」と言いながら返球
兵庫から青森へ“野球留学”。案の定、金沢監督は手を焼いた。
「最初の頃は授業態度も良くなくて、職員室に呼んで『プロに行ったとしても、野球以外のこともしっかりやらんヤツは一流になれんぞ』と諭すと、『そんなわけないやろ』とふてくされる。練習をさぼることはありませんでしたが、ノックを『死ねボケ!』と言いながら返球してきたり(笑い)」
高校1年の冬、正月休み明けに兵庫の実家から寮に戻ってくると、鼻にピアスをしていた。金沢監督は「それなら辞めろ」とその日のうちに実家に帰す一方で、父親とさまざまな策を講じて思い止まらせた。それも、今となってはいい思い出だ。
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