05/10/25 16:18:16 +sDeLmGX
>>842
煽ってる気はさらさら無いんだが。
「実相を知ること」→「人生の疑問」この連想はなかなか出来まいて。
『宗教』と言われたらまっ先にイメージされるのは神仏に信者が皆して祈り捧げるモノ、
それ以上掘り下げる必要はここでは無いかと思われる。
>まぁ、これは一つの考へ方と理解して欲しい。
こう言われちゃ実も蓋も無いが、なら相手の語を否定的に踏まえた話の展開は止した方が。
>逆に質問だが、術から道へは、どのように行くのか簡単に解説して欲しひ。
太古の狩猟弓矢=弓矢が武器
中世の戦争道具=弓術が武器
江戸の武士の嗜=武士道・名誉・嗜み
明治維新~戦前=パトロンが消え弓術の意義が問われ
GHQ解除~現在=健康の為の弓道
知っての通り型射法だけトレースしても弓の腕前は上達しない。
術を極めんと探究し、その過程の中に己自信の探究もあるんじゃないかな。
藩の庇護と武士階級が消えた事で半ば義務的に剣術弓術をやる意義が消えた、
となると恐らく自然と行われていた弓術の存続にはその意義を明らかにする必要が出る。
そこで浮き彫りになってきたものが、則ち弓道ではないのでしょうか。
つまり個人レベルでもこの変遷は当て嵌まる所あり、とな。
と聞かれりゃこう答えるが。日弓連やどこぞの流派は知らんがね。
ただ疑問なのは、学問やハイテク技術は過去の発明を足掛かりに発展しているが、
弓術は流祖なりが最高とされる節がある。
それを超えられないと言われればそれまでだが、何故だろうな?