06/09/27 01:14:12 pFC4O7gN0
>>970
間違い箇所があるので訂正しますね。
康夫氏は20歳で初めて奥田氏に入門する。当時、同時期に入門した門弟の証言
や先輩に当たる門弟の話に基づく。
どこまで進んだかは康夫氏の名誉に関わる話なのでここでは伏せておく。
稽古嫌いな為、次第に稽古にこなくなる。
その後、研修会を出たH氏に担がれ保存会に加わるが、実際は宗家とは名ばかり
でH氏が実権を持っていた為、保存会を離脱。
鹿児島では研修会・保存会が幅を利かせているので東京を中心に活動を始める。
その頃から「宗家」を声高に主張するようになる。
I氏の「薬丸自顕流」の商標登録に危機感を感じ、早急にNPOの申請を行う。
ちなみに>>978の話はただ島津家の墓守としての薬丸家当主としての話であり
「薬丸自顕流」の宗家としてではない。