05/12/03 02:06:54 3i+4jsUG0
無抵抗な約束組み手でできることと、相手が抵抗する闘争の状態では
違いますね。約束組み手でできると言うことは「理解した」であり
「できる」といえるのは武道家相手の戦いで使えると言うことでしょう。
極真で言えば、白帯がローとかを一応それなりに蹴れたとして、
それを「できる」とは言えないでしょう。
実際相手があるわけですら、闘争の時はそうそう自分の思うとおりに崩
れてくれません。だから、力で強引にしないと負ける状態もあります。
最高の技術を求めるとともに、最高の肉体ももとめることが、護身には
大事なことだと思います。
>朝青龍だろうとヒョードルだろうと氷の上で転んだら尻餅つくだろう
>それは不思議でも何でもないよって話だったんだけどね
試合のなかですべって転ぶことは無いでしょう?そういう用心した状態
で転がせてこそ「できる」ということです。
私でも片手で切りこて掛けたり、逆こて掛けたりすることは「約束
組み手」ではできます。でも「できる」と胸はっては言えません。
「できる」のレベルが、少林寺では低いのでは?