05/10/26 07:28:48 xNtd2Qff0
木村はエリオが決めたルールで試合をしたのだ。
それも、エリオは第一ラウンドの10分間を大金を積んで買った。
1951年のブラジル遠征で木村は1983年当時の金にして
3億円を稼ぎ出した。その金額の半分以上は、
エリオが第一ラウンドを買う為に木村に払った金らしい。
最初は木村が、八百長でエリオに負ける予定になっていたが、
それを知った日系人たちが、日本大使館にそのことを報告し、
日本大使が直接木村にあって、「日本柔道を代表する木村さんが、
八百長でブラジル人に負けたとなると、日本の名誉にかかわるので、
八百長で負けることは絶対に許されない」といって八百長をやめさせた。
エリオは木村との真剣勝負を避ける為、「木村は、カンボジア人らしい。
偽者の日本人と試合することはできない」と新聞に発表した。
木村はすぐさま、日本大使館から、自分が正真正銘の日本人である証拠を
新聞に掲載した。真剣勝負を避けられなくなったエリオは、
大金を積んで第一ラウンドの10分間を買う羽目になった。
したがって、木村は、第一ラウンドでは、エリオをしとめなかった。
20回ほど、関節技や締め技をかけてははずす、
ということをくりかえした。実際エリオは、
自分は木村に完全に子ども扱いされたと告白している。
木村は、松涛館空手の道場の師範代まで勤めた空手の使い手であり、
ボクシングも米軍海兵隊のボクシング王者から1年間にわたって
個人レッスンを受けている。もちろん木村にとってエリオを殺すのに、
打撃など使う必要は全く無かったのだが、
もし、打撃OKのルールなら、更なる地獄を見るのは、エリオのほうである。