道と心と武の地平at BUDOU
道と心と武の地平 - 暇つぶし2ch517:お内裏 ◆0srR6bU0ws
05/09/27 21:28:21 t1c1yXUU0

       ,,,
      ㍊㍊
   ,;㍊㍊㍊㌫
   ;㍊㍊㍊㍊㍊;
  ㍊㍊㍊㍊㍊㍊
  ㍊        ㍊
  ㍊ ー 一 ㍊
  |'':    !!   :~|       / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
  U',  ー   ,'U    <   怠らず、努め励んで、専心している修行者には、果報が期待され得る。         |
    iヽ._ _ . 'i        |  この迷いの生存に戻らないこと (不還) である。                          |
                  |  重ねて彼岸に渡ることはない。                                  |
                  |  ひとたび彼岸に渡った人は、二度とそこに赴く必要がない。                 |
                  |  彼岸ならぬ境地に還ることも彼岸ならぬ境地に住することもないからである。       |
                 \________ _________ _________ ________/

518:名無しさん@一本勝ち
05/09/27 21:47:06 /fIirVvg0
どうしてここにはDSとオウムの信者がこんなに多いんだ?

519:名無しさん@一本勝ち
05/09/27 21:59:45 lLEdq/PZ0
>>518

変な人が多いのは仕方ないよ。逆に
ピンは医療関係者や優秀な武術・武道の指導者やヤクザさん
キリはアニオタ、ロリペド、オウム信者、ホロン部、までと
住人の幅が広いのはカナリ面白いと思うけどな。
嫌いだからって追い出しても行くとこないだろうし
追い出すのも了見が狭いってもんだ。
垢とか汗とか以外にもくっさいエキスが
いっぱい溶け込んでいる風呂に鼻をつまみながらみんなで入るのも悪くない。


520:名無しさん@一本勝ち
05/09/27 22:38:59 FVPoIm7o0
>>528
>どうしてここにはDSとオウムの信者がこんなに多いんだ?

(ここには)多くはないでしょう。
しかし
運動科学を実践される方が同時に某反社会団体へ惹かれる傾向があるのは事実です。
積み重ね主義(鍛練主義)が説かれる共通の特徴を持つ文化ゆえ同時に興味を懐かれる方が多いのでしょう。

積み重ね主義(鍛練主義)はよい部分も持つと思います。
しかしそれは(頓悟を正道と説く)原始仏教とは大きく異なる概念であるため
積み重ね主義(鍛練主義)を無理にあてはめようとして反原始仏教に走ったりするのは戴けません。
ネット上の運動科学実践者諸氏が反原始仏教連合を成しつつあろうとされないようお願い申し上げます。

521:名無しさん@一本勝ち
05/09/27 22:49:37 FVPoIm7o0
>>503
>たとえばさ、生きてることや空気を吸ってることは何の修行も無しに常に持続してることだけど、
>それは不還や恒常ってこととは違うのかな?
>技術面でいえば、一旦自転車に乗れるようになったら乗れなくなるなんてことないわけだよねェ。
>それも不還なの?

「喩え」としては
素晴らしい例だと思います。

成し難きこと(恒常化させ難きこと)を恒常化させることが
「覚り」という話題を扱う上での意味に於いての恒常化なのではないでしょうか。

精神面での束縛は全て消すことはできると想像してます。
重力面での束縛はどうかと言いますと
疲労や動き辛さを生むそれは一切消し得るのではと想像してます。
最後に残る「重力線として一点を貫く重力」は心身の状態を最高にしてくれる束縛ならぬ善き友として残ると想像してます。

522:名無しさん@一本勝ち
05/09/27 23:00:14 FVPoIm7o0
>>503
>白隠禅師や名だたる名僧は業績がすごいんだからもうそれで覚っちゃってたって決めていいんじゃないの。

それでもいいとは思います。
けれどもそれではあまりに曖昧すぎる感も否めないため
キチンと考察してみるのも(時には)重要なのではないでしょうか。
白隠禅師に限らずどなたか過去の方の悪口が言いたいわけではないことは明言しておきます。
SRKWブッダ様も覚者の選別にあたっては強い語調を用いて説かれていたこともあったみたいですし
キチンと語る行為にはそれなりの意義があると思ってます。
学問的対話を好まれる方とのコミュニケーションを求めてここに来ております。
「覚者の選別」ということについてSRKWブッダ様の過去に発された言葉を探し当てましたので引用します。

523:名無しさん@一本勝ち
05/09/27 23:03:27 FVPoIm7o0

[89]SRKWブッダ 05/03/17 01:43 *.cBk0sepN4d*wWouYw3pmO
十界互具(ひいては一念三千)は天台の説だと伝えられています。
しかしながら、天台は仏では無いし、菩薩でも無いし、また賢者(明智ある人)でも無いことは明らかであり、
このことは(天台以降に)覚りの境地に至った諸々の如来にとっては周知のことであるのです。

それゆえに、もしある人が十界互具などの天台の説(外道の説)に心惹かれ、信心を起こし、
はたまたそれによって覚りの境地に至ることを目指そうと願うに至ったとするならば、その人もまた明智ある賢者では無いのだと
(知る人には)知られ、そして本人自らが現世の生涯を終えるときに、自分がまさしく愚者であったのだと気づくことになるでしょう。

ところで、天台の説に限らず、世間に飛び交う種々の外道の説に信仰を起こす人々がいるのは事実であり、
彼ら愚人に対して、少なくとも彼らがそのままである限りにおいて、(如来を含めた)いかなる人といえども
彼らの眼を開いてあげることはできないでしょう。

なぜならば、人が覚りの境地に至るということも、
また人が外道の説にとらわれてついに解脱できないままに死に至ってしまうということも、
各自のことがらであるからです。
けだし、いかなる人も他人を覚らせることはできないからです。
すべては、本人のこころにのみ依ることであるからです。

ゆえに、諸の如来は、
世間における賢者であると認めるべき、あるいは愚者だというべき、それぞれの人々のありさまをあるがままに見て、
人が覚りの境地に至るということは、ただそれぞれの人の因縁に縁るのだと説くのであり、それが世の真実に他なりません。

ただし、このことについての如来の真実の説を聞き及んで、もしも人がそれぞれの説の真偽を自ら正しく弁別するに至ったならば、
現在がどうであろうとも、かれは明智ある人(賢者)だと知られ、自らもそれを知ることになるでしょう。
彼が、正しい道を自ら見出し、その道を歩み、目的を遂げたその時に。

524:名無しさん@一本勝ち
05/09/27 23:16:57 FVPoIm7o0
>>503
>反社会団体の教義にも終わりが説かれてるって意見もあるけどそれはどう思う?
>『覚りの境地』に書かれてる教えと酷似してるって意見もある。

「解脱」は
原始仏教に於いては「覚り」を表すものでありそこに積み重ね思想は説かれてません。

「解脱」の意味を「漸次的意味」に書き換えてしまい
「最後の」を意味する形容語が頭にくっついた奇怪な造語性は
「原始仏教とは異なる」という意味では終わりを説いてはおりません。
積み重ね思想(積み重ね主義)としてはそれはそれで終わりに似た意味を持つかも知れません。

似ている処はほとんど見出されません。
似ても似つかないと言ってよいのではないでしょうか。

525:名無しさん@一本勝ち
05/09/27 23:21:43 FVPoIm7o0
>>503
>出家しなきゃその境地へはいけないとしか考えられないのがそういった団体を信奉する人たちの考えなんだけど。

SRKWブッダ様は次のように説かれてます。
過去の発言で適切な物を探し当てたので引用します。



[211]SRKWブッダ 04/08/08 15:04 *.cBk0sepN4d*aRLgz/pLivG
如来が説く理法、および善知識が世に表出する(瞬時の)法は、いわゆる出家や在家ということを意識して為されるものではありません。

526:名無しさん@一本勝ち
05/09/27 23:26:19 FVPoIm7o0
>>504
>ゴールしたなら覚った人はどうして死んじゃおうとしないのって意見もあるよ。(さすがに言葉が過ぎる意見だけど

やや長くなりますけど
それについて語られた箇所がHPに見つかりましたので引用させて頂きます。



【如来(ブッダ)が世にとどまる理由】

未だ覚りの境地に至っていない人(以下人、あるいは衆生と記す)がこの世に留まっているその理由は、
簡潔に説明すれば、
例えばユング心理学(分析心理学)に言うところの自らの魂(アニマ[アニムス],ゼーレ)ゆえのことである
と言ってよいでしょう。
すなわち、衆生は、自らの魂に従って例えば
公務員となり、商人となり、職人となり、料理人となり、
工員となり、経済人となり、政治家となり、報道人となり、
学者となり、教育者となり、医者となり、軍人となり、農業従事者となり、
芸術家となり、役者となり、格闘家となり、音楽家となり、歌手となり、スポーツ選手となり、
冒険家などになるからです。
つまり、人は、自らの魂の求めるところに従ってこの世を生きるべく、日々行為する対象物を見い出して世間を生きています。
そして、もし何らかのことがあって自らの魂と社会との関わり方のバランスを崩し、
あるいは魂を喪失し、あるいはまた行為の対象を喪失した状態になれば、
その人は病気になり、あるいは事故を起こし、あるいは老衰して死を迎えます。
そのとき、人は、基本的にはまったく唐突に死を迎えることになるのです。

527:名無しさん@一本勝ち
05/09/27 23:27:04 FVPoIm7o0

一方、覚りの境地に至った人(以下如来と記します)は、
そのような世間的にいうところの魂が無く、
その代わりに覚りの境地に至った瞬間にこころに顕現した「諸仏の誓願」が見かけ上の魂として機能している存在です。
すなわち、如来は、諸仏の誓願に依って(出世間の)世を生き、
諸仏の誓願にもとづく行為の対象である衆生を(ただ直接見るだけでなくこころに)見て生きているのです。

つまり、如来が現実にこの世に生きて留まっているのは、如来との関わりを求める人々(仏縁の衆生)が世にいるからであり、
彼らの存在を如来自身がはっきりと感じているゆえのことです。
したがって、もしそのような人々(仏縁の衆生)がこの世から皆いなくなれば、如来もまたこの世を去ることになるでしょう。
そして、そのときには如来自身が自らがこの世で関わるべき人々が皆いなくなったことをはっきりと知ることになるでしょう。
それは結果的に、如来自身に自分の死期が近いのだというはっきりした認識を与えることでしょう。

総括するならば、
如来が世に留まっているその理由は、如来としての死期がまだ到来していないからであるということに尽きるのです。
そして、これが如来が世に留まる理由のすべてであり、
したがって如来は特別な目的意識をこころ抱くためにこの世に留まっているのでも、
あるいはまたある種の使命感をこころに有するためにこの世に留まっているのでもないのです。

528:名無しさん@一本勝ち
05/09/28 02:11:07 JskCG1zI0
>>522
>白隠禅師や名だたる名僧は業績がすごいんだからもうそれで覚っちゃってたって決めていいんじゃないの。

白隠慧鶴は1686年1月19日駿河国原(現在の静岡県沼津市原)に生まれた。

本名は長沢岩次郎。8歳の時、寺子屋で地獄絵を見せられ、その日の夕に入浴していたところ、
昼間見せられた地獄の釜で煮られる人々の姿が思い出されてしまい、急に怖くなり母親に泣きついた。

「どうすれば死んだのちあのような場所(地獄)へ堕ちずに済むのでしょう」

泣いて地獄を恐れる我が子・岩次郎に、母親は、仏道に生きることを奨めたと言う。
母親が聡明であってくれたおかげでのちの臨済宗中興の祖である稀代の名僧・白隠が生まれることとなる。

出家をしたのは15歳。
諸国を行脚して修行を重ね、24歳の時、鐘の音を聞いて「第一の」悟りを開く。
しかし、それは浅い悟りであり、満足せず修行を続け、信濃(長野県)飯山の正受老人の指導を仰ぐなどを重ね、
実に生涯に開いた悟りの数は36回に及んだと言う。

529:名無しさん@一本勝ち
05/09/28 02:11:48 JskCG1zI0
地元にて布教を続け、臨済宗を復興させた。
臨済宗14派は全て白隠を中興としているため、現在に至っても、坐禅の折には彼の著になる「坐禅和讃」を読誦する。

白隠の思想面の業績としては、悟りの後の修行の重要性を初めて説いたことで知られる。
日本に於ける公案禅の創始者としても知られる。公案とは、弟子を悟りへ導く目的で出される禅問答を言う。
白隠は、自らの悟りの機縁となった「隻手音声」(せきしゅのおんじょう)と「趙州無字」の問いを公案の第一とし、
以後の修行者に必ず参究させるようにした。

石川慈俊より授けられた「軟酥の法」は道教的色合いの濃い禅法として画期的であり、
江戸後期「剣聖」と謳われる寺田五右衛門宗有、白井亨義謙両名をも生み出すこととなる。

漫画の如きタッチで描かれる白隠の手による禅画も多く残されており、弟子、後世の人々を教え導くに際し、
ユニークであることと平易であることの親しみ易さが多くの人の心をとらえた事実は高く評価されるべきと言えよう。

1769年1月18日、故郷・駿河の松蔭寺にて示寂す。享年82歳。
『遠羅手釜』『夜船閑話』『坐禅和讃』などの著作を残している。

530:名無しさん@一本勝ち
05/09/28 02:35:56 BZO9nQe00
同じ8歳の時で比べてみると…

長沢岩次郎
・8歳で地獄絵に打たれ母に奨められ出家を決意

Wolfgang Amadeus Mozart
・3歳で姉の弾くクラヴィアを聴き3度の和音を弾き当てた
・5歳でクラヴィアによる即興で最初の作曲
・8歳で最初の作品集『クラヴィアとバイオリンのためのソナタ』を刊行

相沢永長齋直房
・8歳で篠竹を武器に飛び交う全ての蠅の首を斬り落とした

Akrit Pran Jaswal
・8歳でガン、エイズ共通の治療薬を発明

後代の3人は人間ばなれしてるような気がする。

531:名無しさん@一本勝ち
05/09/28 02:41:46 HqqWq6DY0
年齢で天才を比べるなんて馬鹿すぎる。
遅咲きの天才なんて幾らでもいるよ。

532:あぼーん
あぼーん
あぼーん

533:名無しさん@一本勝ち
05/09/28 07:49:51 x6Xd/EUn0
483 484 487 490 491 をスルーしてますよ。

534:名無しさん@一本勝ち
05/09/28 09:13:53 BdkknqY50
白隠慧鶴は7歳で法華経の提婆達多品を暗記して老婦人へ聴かせてみせたって話だし、
1699年に13歳(今で言う中学2年生)で出家をはたしてるくらいのバリバリの早熟型天才だったんだけど。
どこが遅咲きなの?
白幽仙人から軟酥の法を授けられたのも1709年以前だから少なくとも23歳より若い時期だったわけだしさ。
ちなみに身長が180cm超えてたとも伝わるよね。あの時代にしては大きい方になるかな、けっこう。

535:名無しさん@一本勝ち
05/09/28 18:44:06 v/WDrboW0
佐川幸義は6歳で四書五経を暗唱できたんでしたっけ。
ソースは合気ニュース。バックナンバーで見られないかなと思ってる。

536:名無しさん@一本勝ち
05/09/28 20:05:43 BYQu2aWO0
>>534
531をもう一度読もう。

537:名無しさん@一本勝ち
05/09/28 22:10:06 u+3zMswg0
考察は一通り書けたので
趣向を変えて
日々心がけている内容を書き出してみます。
実行し得てる内容のみ紹介すべきかと思うので注意して綴ります。

まず異見を認めるようにしております。
釈迦の言う「惰眠を貪らない」はまだ実行できてません。
4時間以内に抑えれば惰眠とは定義されないようですね。(釈迦の睡眠時間は4時間だったそうです
8時間以内には抑えてますが休みの日には8時間を超えますし合計すればかなり眠っているかも知れません。

538:名無しさん@一本勝ち
05/09/28 22:17:49 u+3zMswg0
陰口を言わないようにしております。
悪口を言わないようにしております。
異見を持つ人へ不満を持たないよう心がけております。
人(たとえばお客様)の気持ちになって行動するよう心がけております。

人から聞けたことはよく考察するようにしております。
他人に寄りかかりすぎないよう心がけております。
やれることはなるべく自分でやるようにしております。(まだ完全ではないのですが
頼りすぎないことを心がけた上で周囲に支えられて生きていることを忘れないように自戒しております。

539:名無しさん@一本勝ち
05/09/29 02:38:23 KWx4d+me0
情報を加えて改めて眺め比べてみると…


長沢岩次郎
・7歳で法華経の提婆達多品を暗記して老婦人へ聴かせてみせた
・8歳で地獄絵に打たれ母に奨められ出家を決意

Wolfgang Amadeus Mozart
・3歳で姉の弾くクラヴィアを聴き3度の和音を弾き当てた
・5歳でクラヴィアによる即興で最初の作曲
・8歳で最初の作品集『クラヴィアとバイオリンのためのソナタ』を刊行

相沢永長齋直房
・8歳で篠竹を武器に飛び交う全ての蠅の首を斬り落とした

佐川幸義
・6歳で四書五経が暗唱できた

Akrit Pran Jaswal
・8歳でガン、エイズ共通の治療薬を発明


モーツァルト、永長齋、ジャスワルの3人は人間離れしてると思う。

540:氣っちゃん ◆9RK4ery/lQ
05/09/29 22:10:58 TlAdBm8Z0

迷い人様

ありがとうございます。

>>468

> 私の常なる状態を示す「迷い人」ということで今後もよろしくお願い致します。

 ...私的な印象としては、純なる 「旅人」 様という感じでいらっしゃいますよ。ハ0 ^ヮ^)

 ...これからもよろしくお願い致します。 ...申し上げるまでもございませんが、わたしも、
迷いの真っ只中におります。 ...目指す物、学ぶ物は、定めることができましたが、その
他のことがまだまだでございます。 ...変える必要にかられてる対象が多くございます。

>>470

> 私は欲深く、もしもお金持ちなら働かずに鍛錬ばかりできて
> いいだろうなーなどと常に考えております。宝くじさえ当たれば。と考えつつ余り宝くじを買わない
> なんともやるきのない、欲深人間です。

 ...いえいえ、ごく普通でいらっしゃる、と思います。欲深くなんかありません。 ...お金を
必要としない人なんて、ほとんどいらっしゃらないんじゃございません? ...おもに旅費、
交通費としてわたしも使います。(先生がカナダ、アメリカにしか光臨してくださらなくて)

541:氣っちゃん ◆9RK4ery/lQ
05/09/29 22:12:35 TlAdBm8Z0

迷い人様

>>472

> 横内先生は気っちゃんか太極君が書いてたと思うのですが、内から気が吹き出た?
> 瀬戸先生は四六時中気が体内に吹き込む。
> 気っちゃんの金盤は手足頭を天に向け天の気を体内に採気。
> 横内先生だけ種類が違うのでしょうか?中からあふれるか、外から取り込むかの
> 違いに凡人には思えるのですが、どういう違いか教えていただけませんでしょうか。

 ...横内先生は、1992年に、額に 「真っ赤な太陽のエネルギーのような物」 が入って
きて、下腹に燃えるような熱さを感じ、そして、それ以来、氣功が使えるようになった、と
おっしゃってますが、氣が 「入ってきた」 のか 「内から吹き出た」 のか、その辺りの
厳密な違いまでは、うかがっておりません。ただ、現況としましては、手を広げるのみで
頭頂と掌に氣が吹き込んでくる、というタイプでいらっしゃいます。 ...横内先生は、氣の
パワーならびに体感の明瞭でいらっしゃる度合いが、わたしの知り得た方々の中では、
群を抜きます。 ...お腹を中心に、バウムクーヘン状に、赤→緑→赤→緑...  の色形で
オーラを放たれてるようです。 ...わたしとわたしの家族にとりまして、 「命の恩人」 に
あたるお方で、わたしの最も尊敬差し上げてる人間です。 ...語れることは尽きません。

(※お返事には足りませんが、とれるお時間の都合上、本日はこれでおゆるしください)

542:氣っちゃん ◆9RK4ery/lQ
05/09/29 22:13:54 TlAdBm8Z0

 ...氣が色、光、形状を持ち、可視の姿で現れる物を、 「オーラ」 と云います。 ...観る
ことができるには、 (わたし個人の経験知では) 松果体が利かせられればよいようで
ございます。観えることの利点は、 (自身もふくめて) ヒトの 「パーソナルカラー」 が
わかったりあつかえたりできるからです。 ...たとえば、自身のカラーが 「黄」 となって
おります時、黄色と、いわゆる 「補色関係」 にある 「青紫」 のカラーを持つ物や人、
食品、お洋服等を、自身と組みあわせることで、よりよき健康が獲得できるようでござい
ます。 ...街ゆく方たちの中に補色のカラーを目にしましたら、ひきよせる、または、波及
させることを、試みてみるとようございます。時には、自身ならびにオーラをお借りした方
両者共に不調が治されてしまうことさえあります。 ...色相環のHPと 「五行」 表です。

色相環
URLリンク(www.fsinet.or.jp)

543:氣っちゃん ◆9RK4ery/lQ
05/09/29 22:15:00 TlAdBm8Z0

+――+―+―+―+―+―+
| 五行 | 木 | 火 | 土 | 金 | 水 |
+――+―+―+―+―+―+
|   臓 | 肝 | 心 | 脾 | 肺 | 腎 |
+――+―+―+―+―+―+
|   色 | 青 | 赤 | 黄 | 白 | 黒 |
+――+―+―+―+―+―+
|   味 | 酸 | 苦 | 甘 | 辛 |塩辛|
+――+―+―+―+―+―+
|   香 | 脂 | 焦 | 香 | 腥 | 腐 |
+――+―+―+―+―+―+
|   腑 | 胆 |小腸| 胃 |大腸|膀胱|
+――+―+―+―+―+―+
|   官 | 目 | 舌 | 口 | 鼻 | 耳 |
+――+―+―+―+―+―+
|   情 | 喜 | 怒 | 思 | 悲 | 驚 |
+――+―+―+―+―+―+
| 方位 | 東 | 南 | 中 | 西 | 北 |
+――+―+―+―+―+―+
| 気象 | 風 | 暑 | 湿 | 燥 | 寒 |
+――+―+―+―+―+―+
| 季節 | 春 | 夏 |土用| 秋 | 冬 |
+――+―+―+―+―+―+

544:氣っちゃん ◆9RK4ery/lQ
05/09/29 22:16:01 TlAdBm8Z0

 ...フランスの自然学者・ Rene Descartes は、松果体を 「心の座」 と考えました。
今以って理解、賛同の得られない理論ですが、慧眼でいらっしゃるのではございません
でしょうか。 ...松果体は、人体器官のうち、最も早く衰えが始まる (7歳頃に石灰質化
する) 器官である事実からも、優れた働きを秘めている可能性が、考えさせられてなり
ません。 ...松果体の可使用ならびにオーラの可視には、経験上、腿と股関節も大事な
役割りを持つ、と云えるようです。氣は腿に貯蔵されている、との旧い言い伝えもござい
まして、特に右の腿に貯蔵量が多いとも云われ、そのことからも、右の腿をより刺激し、
そして、股関節が柔かくされる、 「金盤」 こそ、松果体の開発に最も適すようでござい
ます。 ...全ての補色である 「金」 がカラーに備わり得ることが語源かも知れません。

545:氣っちゃん ◆9RK4ery/lQ
05/09/29 22:18:17 TlAdBm8Z0

迷い人様

>>472

> もう一つ横内先生・瀬戸先生・気っちゃんともに肉食等についてですが。
> 私は食べます。それもよくたべます。また、私の流派の先人たちも年老いてからも
> たくさん食べていたようです。しかし、本来どうなのでしょうか?

 ...天に向かい伸びる物を食し地を這う物は食さないのが、中華氣功の教えではござい
ます。 ...ですが、水も、鳥も、魚も、草木も、みんな生きてます。 ...そこに 「ありがとう
ございます」 の気持ちさえあれば、何を食すのも、同じく承魂になるようでございます。

> 私の流派はたとえるなら、より丸を目指している感じです。
> 細身になっていくというより、丸。丸になるためには凸凹があれば、食べて、
> より丸くなる必要があり、食べるのも必然な気がします。

ありがとうございます。

大変面白い理論がお教え戴けました。ハ0 ^ヮ^リ   ...丸まるのは、好ましいことに思い
ます。 ...特に、わたし個人の場合、 「丸まっちい」 と云われて久しゅうございますし、
人が丸くあることは正しい、とつよく主張したい立場です。 ...共感を覚えてなりません。

 ...先生も、 「9歳~19歳」 を過ごされた寄宿学校の時代ならびに後の医大生の時代
には、社会規範を重んじられ、野菜のみですが、食事もされてたそうです。(※わたしが
教わり始めてからは、何も口にされてませんけど)  ...安心してよいようでございます。

546:名無しさん@一本勝ち
05/09/29 23:22:30 Vsd1o7/T0
>>541
>横内先生は、氣のパワーならびに体感の明瞭でいらっしゃる度合いが、わたしの知り得た方々の中では、群を抜きます。

横内先生とはどういう人なのですか?

547:名無しさん@一本勝ち
05/09/29 23:33:06 mZ6MJdzq0
それよりも太極君の師匠の師匠って人のほうが知りたいんだけど…
誰なのよ、これって。

>>416
>俄には信じられんだろうことに、師爺は師の「数百倍」のパワーを誇る大仙人です。

548:名無しさん@一本勝ち
05/09/29 23:54:12 4LdeTjCo0
読み返してみたら
まだ回答してない箇所がありました。

>>504
>それとどうして覚りをゴールと考えるの?人間はどこまでも進化・成長できるとは考えられない?

そこまで行ければもうそれ以上を求める必要がなく
一旦そこに至れば気をつけずとも低きへ還ることのない境地
それ(覚りの境地)を便宜上「ゴール」と呼ばせて頂いてるわけです。
打ち止めとかもうそれ以上成長できないとか言っているわけではありません。

但し
現実にはそれ(覚りの境地)以上の域まで心身を高め得ることなんて
ほとんどありえないのではないでしょうか。(実例が挙げられなければ説得力ありません
できもしないことを求めるより地味かも知れない最上の境地を認識してそれについて学ぶべきではないでしょうか。

549:名無しさん@一本勝ち
05/09/30 07:10:35 lKJOxeo60
>>549
わかりやすくまとめるなら

・そこへ至れば一切の努力なしにその境地が維持され衰えることがない
・その境地を超える実例が挙がらない

の二点により「ゴール」という表現をとるのが適切と考え使わせて頂くことを選んでおります。

550:名無しさん@一本勝ち
05/09/30 16:26:13 BjKvt9Mu0
微妙に「覚り」の定義が変わってきているような気がするのは気のせい?

551:名無しさん@一本勝ち
05/09/30 16:43:41 q1GZmWVZ0
長広舌氏は都合が悪くなると直ぐに逃げるクセを直した方が良いと思います。
身体宇宙掲示板でも都合の悪い質問にはスルーしてついには逃げ出しましたね。
483 484 487 490 491 をスルーしてますよ。

552:迷い人
05/09/30 19:07:28 1tUpAfjk0
気っちゃんへ
いつも丁寧に教えていただきありがとうございます。
気っちゃんは優しい方ですね。ご両親のために数々の先生にお会いして、
今また道を深めてらっしゃる。なんともすごい方がいらっしゃるものです。
私はまだまだ道遠いです。人のために何かできたら素晴らしいのでしょうが、
なんの力もありません。

横内先生だったんですか。私はてっきり中国の先生が気っちゃんのご家族をと
思っておりました。そこから更に中国の先生につかれている。いやはや
先が遠くて見える気配もしません。

 ...氣が色、光、形状を持ち、
残念ながらオーラには全く縁がないようです。ですから気もまだ理解してない
ということだと思うのですが。

ベジタリアンの話ありがとうございました。実は前回お手紙を書いた後、極力
食事の量を減らし、若干肉食を減らしていました。しかし、減らしたら練習は
うまくいきません。そのまま進むべきか、まだ早いのか、全く違う道を歩いて
るのか分かりません。しかし、せっかく気っちゃんにお近づきになって与えられた
テーマ。そこで、もう少し様子を見ようと思っているところです。
ところで、王樹金という強い方が昔いらっしゃいました。瀬戸先生も習われたこと
があるとのこと。気っちゃんもご存知だといいのですが。
王先生ベジタリアンだったとか。王先生は丸い方向に突き進まれました。
瀬戸先生は細身です。どこかに分かれ道があったのでしょうか。
いずれの方もベジタリアン。しかし、王先生は早くにお亡くなりになられたとか。
長生がいいとは思いませんが、何が正しい道なのか、検討がつきません。


553:迷い人
05/09/30 19:08:48 1tUpAfjk0
> 私の流派はたとえるなら、より丸を目指している感じです。
> 細身になっていくというより、丸。丸になるためには凸凹があれば、食べて、
> より丸くなる必要があり、食べるのも必然な気がします。
性格に言いますと、丸を目指すのですが。
煉精化気の精を得るためには食事が必要といわれました。で、精が満ちて気と
化して体を変えて行き、最終的には丸い方向へ。という感じでしょうか。
確かに精のつくものと言われているものは、にんにくとか以外は生臭な気がいたします。
そうすると食べるのか?食べるべきでないのか?まだそんな境地ではないのか?
凡人は悩むばかりでございます。
食事だけで丸いわけではありません。言葉足らずでした。失礼しました。
(ちなみに食事をとっても私は気を感じる訳ではありません。満腹感しか感じません)

気っちゃんに教えていただくのいつも心待ちにしております。

554:名無しさん@一本勝ち
05/09/30 20:49:33 HqXYLetL0
>>539
>モーツァルト

モーツァルトの作品は、推敲の跡が非常に少ないそうですね。
他方、ベートーヴェンが「推敲の鬼」だったのは非常に有名です。

あと、モーツァルトは両手利きだったとも言われてます。
この辺が秀才や単なる天才にとどまらない超天才の所以なのですかね。

555:名無しさん@一本勝ち
05/09/30 22:02:25 GHPlmM9F0
>>552
>王樹金という強い方が昔いらっしゃいました。

王樹金は日本では大人しかったが、中国に於いてはそのメガトンパンチで他流試合の相手の背骨を
胸側から砕いてしまっていたと言う。つまり、他流試合の相手はアボーン。
刀などで斬るのよりも、素手でのほうが業が深いとも聞く。ベジタリアンにもかかわらず癌に罹ることとなったのは、
業ゆえだったのかも知れない。人格者であられたそうだが、武力が強大過ぎたせいでそのようなことを招いたとしたなら、
武術とは何であろうと考えさせられる。

来日中に挑戦も多く受け、当時65歳の王樹金に力士、空手家、ボクサーの誰もかなわず、子ども扱いであった。
現役力士の新高山が挑戦したものの、組みつくがビクともせず、壁までほうり投げられ、激突し、壁に大穴が開いてしまう始末。
当時日本で名声の高かった武道家・格闘家は、双葉山が58歳、塩田剛三が55歳、木村政彦が53歳、大山倍達が47歳と、
いずれも王樹金に比べれば離れて歳若かったわけだが、挑める方はいなかったのであろうか。
いまや伝説となる明治神宮の演武会では、塩田剛三、藤平光一と競演、技量の違いを見せたが、その場にはかの佐川幸義も居たと言う。

556:名無しさん@一本勝ち
05/09/30 23:56:01 ZKkoE1cr0
佐川幸義宗範は「たいしたことないよ、あんなの!」と仰い、その場で悉く王樹金氏の業を、
それ以上の練度で、再現してみせました。
佐川幸義宗範は「採り入れられるモノなら何でも採り入れる」という姿勢をお持ちの方でした。
また非常に負けず嫌いな性質をされてました。(笑)

王樹金氏の演武会へ足を運ばれたのも研究と求道精神の表れでした。
一流一派を築かれた人には普通できませんよね。

筋肉も骨も内臓も極限まで柔らかくつくりあげておられ、163㎝57㎏の細いお体ながら、
王樹金氏と同じ様に、打たせた拳が手首まで埋まってしまって抜けなくなり、あまつさえ
その状態でブンブン振り回してしまう芸当ができました。

真剣で切り掛かる人間をスイスイ交わしてバンバン投げることもされてましたね。


557:迷い人
05/10/01 02:34:46 nBnoAQGx0
ここの方には私の説明不足知識不足を補っていただきありがとうございます。
おそらくお話されてる中に私が将来お話を聞きたいかたもいらっしゃるかと
思うのですが、ただまだレベルが低いゆえ、言ってることが分からない方も
多々いらっしゃると思います。いつか分かる日が来ることを祈りつつ。
失礼お許しください。

気っちゃんへ 追加です。
気っちゃんは気功かと思うのですが、一概に同じでないかもしれませんが、
教えてください。
練習時間についてです。練習する時間は横内先生は朝に、瀬戸先生は日に6時間も
Y先生は存じ上げませんが、一体いつ練習するのがいいのでしょうか。
私は一般人ゆえに、夜しか練習することができません。夜に練習ばかりしていると
陰の気を取り込んで良くないとか、昼だと太陽の気を取り込めて良いとか。そんな
話はあるのでしょうか?教えてください。ちなみに私の習ってるものには時間の話
が出てきません。他の流派では丑みつ時は駄目だとか書いてあったのを見た気がします。

それにしても気っちゃんはたくさんの尋常ならざる方4人にも習われてるとは、
3番目の先生関係のDX氏の話は驚愕でした。そのような立場であれば3番目の先生は
Y先生も当然ご存知なのでは。一体何がどうなってるのやら?!◎□???
ただ興味本位の話失礼しました。

558:紅葉
05/10/02 01:51:04 HXrOSjlj0

>>539

アクリト・ジャスワル君はこの発明が新しい医学につながりうるかどうか…
そこが彼の真価を問う試金石だと思う。

神童には違い無い。
しかしラマヌジャンかて新しい数学は生み出さんかった。

559:35
05/10/02 04:24:32 tl08Rxis0
独学者氏がカキコされた言葉でこういうのがあります。
『食べたためしの無い物を人に奨めるものではありません。
そして、その時その時に出来る事、為すべき事、
出来るように成るべき事を為す事が、その人にとってのセンターです。』

この言葉を私なりに解釈すると、
食べたことのないものを人にすすめる⇒まだ覚ってないのに、体感、体得していないのに人にすすめる。
つまり、個人的に信じるのは自由(信仰の自由)
だが、体得、体感してもいないのをひとにすすめるべきではないと、読める。

560:35
05/10/02 04:34:22 tl08Rxis0
>>136

だからこそ 人が目指すべき(目指す意味のある)境地であり
釈迦があれほどまでに求めた物であり
その実相を(このようにして)考えてみる意義のある対象なのでしょう。

だいたいこのスレは仏教のスレではないし、このスレで覚りを人が目指すべきもの
だなどといわれるだけで、違和感をもちますね。

目指すべきなどというのは、ようは人にすすめているわけで・・・。







561:35
05/10/02 04:39:13 tl08Rxis0
>『食べたためしの無い物を人に奨めるものではありません。
そして、その時その時に出来る事、為すべき事、
出来るように成るべき事を為す事が、その人にとってのセンターです。』

私は精神論とか観念論とかお説教とか嫌いなタイプなんだけど、上記の独学者氏の
言葉は、好きですね。

「そのときにできること、なすべき事」とは、まず今の自分の身体と向き合い
ゆるや軸タンをすることともとれるし、
自分の仕事、役割をはたしていくことともとれる。


562:名無しさん@一本勝ち
05/10/02 17:44:00 9K+L3jQ40
>>558
医療従事者ですか?
新しい医学というのの定義を教えてください。

563:紅葉
05/10/02 21:17:57 +VlvTnSr0

従事者とは違います。
三文治療者崩れではありますが(笑)。
新しい医学いうのは他の病気や医療技術に応用発展の利きうる医療的発見、
程度の簡単な意味で書きました。
個人的技術や一つの病気にだけ効く発見ではそこだけで完結してしまうんで。

564:名無しさん@一本勝ち
05/10/02 21:49:08 6Rd/waxT0
>>563
ん!ひょっとして太極君ご降臨ですか!?
治療は武術で会得した「気」を使ったりもするんですか。

565:名無しさん@一本勝ち
05/10/02 21:52:17 3zERU/lK0
>紅葉さん

こういう書き込みを見つけたのですが、9/29には何か感じましたか? 

174 名前:MARS 投稿日: 2005/09/30(金) 00:37:24

最近気になっていましたが 特に9/29 日本の広い範囲で 
かなり強い邪気が降ってきています 
今回は何故か気の感覚で刺す様な痛みを感じます 
同様に感じる方いますか?
特に感じていない人は 絶対に感じようとしないでください

566:常駐は控えますんで…
05/10/03 00:52:15 jKXNxQyB0

>>564

しますね。ちゅうか結局医療は気でしょう。
手術に耐えうる患者さんの体力いうのも実は気の流通で説明がつくんですよ。


>>565

世界流ですね。感じましたよ。
水曜と木曜の両夜間、主に胸郭の動点シグナルいう所やね。
大きな事故…起こっとりますなあ。

ただ体と同様、世界流も実は完全な健全性を得ん限り毎時が戦乱の只中ですよ。
大テロの時かて、もっと小さな辺鄙な出来事が邪気の正体だったりした訳ですし。

逐一反応していたら身が保たんいうのが私の持論です。
因みにテロの時は掲示板で事前に書いとりましたけど、それすら「偶々」正解だったいう訳です(正体が別だったんで…それ程毎日反応が在る)。

567:名無しさん@一本勝ち
05/10/03 20:36:04 nAaRkQRX0
>>566
感じる力が強いと、大変ですね・・・・。
世界流というものは、良い方向に持っていくことはできないのですか? 

568:名無しさん@一本勝ち
05/10/04 19:11:30 1t9PM0cJ0
こんな書き込みも見つけた。
これは・・・・  まんま「センター」?

>
>29 名前:飛騨 赤道 2005/03/12 (土) 19:00:57 TC:P9UKfIys
>太極拳のおばさん
>
>腰痛と肩こりを治す為に、カルチャーセンターで太極拳を習い始めた主婦の話。
>始めて1年後には、腰痛も肩こりも治ったそうです。
>更に2年後には、体質が変化して、別人のように健康になったそうです。
>始めて5年後、完全な脱力体を身につけたおばさんは、重力が体の中心を貫くのが感じられるようになりました。
>その日以来、おばさんは、不思議な技が出来るようになりました。
>どんな大男に腕を捕まれても、相手を床に転がすことが、できるのです。
>相手は、全く抵抗できないそうです。
>天才ではない普通の主婦でもこれくらいできると言う見本で、我々鍛錬者に希望を与える話です。

569:名無しさん@一本勝ち
05/10/04 19:27:50 7vrsdw9A0
>>568
これは一時期荒らしがコピペしまくったやつだよ。

570:名無しさん@一本勝ち
05/10/04 19:29:16 5jXTqY6z0
>>556
津本陽が佐川幸義の技を体験した時には、
胸の襟を持たせてもらった状態からコブみたいなのがせり出してきて、
それに押されて倒されたんだったっけか。どういう原理になってるのか!
肋骨を変形して使ってるのかな。ヨガ行者みたい。(ヨガ行者がそういうことできるのかは知らないけど

571:名無しさん@一本勝ち
05/10/04 19:38:27 9/ooHvMJ0
>>566
>手術に耐えうる患者さんの体力いうのも実は気の流通で説明がつくんですよ。

興味深いです。
詳細の解説をお願いできませんか。

572:名無しさん@一本勝ち
05/10/04 23:34:52 mLfhmrAR0
DS理論を使わないでセンターを入手した人々

SRKWブッダ
入手方法: 仏教

おばさん
入手方法: 太極拳

573:名無しさん@一本勝ち
05/10/05 00:23:34 jZy3Iev30
>>572
だから太極拳のおばさんの話は釣りだよ。

カルチャーセンターに来るおばさん達はその日だけしか練習しないし
腰を低く落とす本式の太極拳はしないよ。
それで内功を身に付けるのは不可能。

574:名無しさん@一本勝ち
05/10/05 07:37:30 Y962DOab0
読み返してみたら
>>549にアンカーミスが見つかりました。
正しいアンカー指定は「>>548」でした。
訂正すると同時に謝罪致します。(ごめんなさい
「過ちて改めざる 是を過ちと謂う」に反さないよう気をつけたいと思います。

575:名無しさん@一本勝ち
05/10/05 07:56:00 Y962DOab0
>>550
>微妙に「覚り」の定義が変わってきているような気がするのは気のせい?

ここで
新しく「SRKWブッダ様」の存在を知るに至りましたので
豊かな言語表現や生々しい証言等が加わることとはなりましたが
一貫して考察を展開させて頂いてきた定義の根幹は変わっておりません。

>>554
>モーツァルトは両手利きだったとも言われてます。

個人的には共感を覚える特徴ですが
モーツァルトのそれはレベルが違うものだったのでしょうね。
高岡英夫師の解析では中心軸が宇宙全体を貫く物だったとのことで
破線状の中心軸ではあったそうですが規模がそこまでいかれてたら覚者と似た身体特徴も発現されるものなのですかね。

576:名無しさん@一本勝ち
05/10/05 08:02:39 Y962DOab0
>>568
>腰痛と肩こりを治す為に、カルチャーセンターで太極拳を習い始めた主婦の話。
>始めて1年後には、腰痛も肩こりも治ったそうです。
>更に2年後には、体質が変化して、別人のように健康になったそうです。
>始めて5年後、完全な脱力体を身につけたおばさんは、重力が体の中心を貫くのが感じられるようになりました。

またしてもお一人
センターの体感者すなわち覚者の存在を知るに至りました。
貴重な情報ばかりお寄せ頂けてここの皆様には本当に感謝しております。
お名前その他の追加情報があれば是非教えて頂けませんでしょうか。(お願い致します

577:名無しさん@一本勝ち
05/10/05 08:21:10 Y962DOab0
>>572
>DS理論を使わないでセンターを入手した人々

禅宗の六祖・慧能は
「私の中には天地を支える物がある」
という言葉を残されてます。
「天地を」という表現から体の前後方向や左右方向ではない上下方向の何かが
「中には」という表現から体の輪切り面積ではない一部分あるいは一点に存在することがわかります。

センターの作用に
「天地を支える」という作用(機能)があるのかは
悲しいかな体感し得てない身なのでわかりませんし適切な考察は難しいのですけど
積み重ねた「些細な一瞬の体感」を想像と併用して敢えて考察を試みてそして書き出してみるなら
慧能の言い残された「天地を支える物」は運動科学で言う「センター」を意味する物だったのではないかと考えます。

578:名無しさん@一本勝ち
05/10/05 08:36:01 Y962DOab0
真似た企画ですが
運動科学を用いることなくセンターを体感されるに至った方の
センターの体感を述べられた証言(かと思われる物)を並べてみます。
一覧表の形で並べてみますとわかりやすいですし後世に資する貴重な資料にもなってくれるかも知れません。


慧能
「私の中には天地を支える物がある」

おば様
「重力が体の中心を貫くのが感じられるようになりました」

SRKWブッダ様
「身体の中心軸が通り、重心が安定し、つまづかない(動作が基本的に対称的になる)」


他にも
ご存知でしたら
故事に見る中心軸(センター)を
皆様からもお寄せ頂ければ嬉しいです。

579:名無しさん@一本勝ち
05/10/05 17:00:55 eqOIf7r30
>>576
>追加情報があれば是非

どうぞ。

>
>32 名前:飛騨 赤道 2005/03/13 (日) 04:32:01 TC:pEzI8qKQ
>
>雑誌のインタビューにそのおばさんが答えているのを読んだのです。

580:名無しさん@一本勝ち
05/10/05 17:04:55 eqOIf7r30
ついでに同じ人の書いたのを。
考え方が覚りの境地と似てるかも知れない。

>
>18 名前:飛騨 赤道 2005/03/11 (金) 06:34:52 TC:Tzwp/Z5M
>気功では練習をサボると、気を感じなくなり、一から練習をやり直さなければいけない。
>一方、自転車の場合は、一度乗り方を覚えれば、一生そのコツを忘れない。

581:名無しさん@一本勝ち
05/10/05 19:02:28 Jz8o66Du0
故事に見る中心軸、か・・・  そういえば知らないなぁ、実例。
あたりまえのように知ってるつもりになってたけど。すぐには挙がらないものだなぁ。

582:名無しさん@一本勝ち
05/10/05 19:13:58 uUWO2uI40
>>581
>あたりまえのように知ってるつもりになってたけど

ここがミソ。
武道・武術には正中線などの教えがあるから知ってるつもりになっちゃいがち。
現実に体感者が挙がるかと言うと一人も挙がらない。
正中線などの教えの無い分野からは尚更。
そもそも「正中線」って用語を発明したのって誰なんだろうね。

583:名無しさん@一本勝ち
05/10/05 20:35:24 fMTnn/Cv0
>>556
>真剣で切り掛かる人間をスイスイ交わしてバンバン投げることもされてましたね。

佐川幸義の対武器に於ける無手の立ち合いで有名なのが、高野佐三郎の養子・高野茂義とのそれである。

茂義は中山博道をも破った剣の達人であった。
茂義の師は玄武館の駿才・「朱鞘の秀」こと下江秀太郎恒明。言わずと知れた
10代にして玄武館で塾頭を務めた幕末の天才剣士であり、そのような人物より教えを受けた茂義は、
「人間が素手で剣に勝てるわけがない」との持論および確信を持っていた。
そして、茂義は、師である秀太郎をかつて破った武田惣角の残した最高傑作・佐川幸義と出会い、立ち会うこととなる。

木刀を以って構える茂義の前で、佐川幸義は茂義に背を向けて立ったと言う。
手には何も持っていない。それどころか、ただ背を向けて立っているだけで、構えてすらいない。

「そんなはずはない。できるわけがない。歴史ができないと言っている・・・ 」

茂義は思う。師・秀太郎でさえそんなことはできなかった。幕末にすら、そのような話は聞いたことがない。
茂義は意を決して斬り込む。使うのを選んだ技は胴袈裟斬り。武器を使い防ぐ技であり、最もかわしづらいと言われる技である。

「打った!」 ・・・と、思った。が、しかし、佐川幸義の姿は、目の前からかき消えていた。
なんと、背後に回られてしまっていた。反応することさえできず!
茂義の反応速度をして、左右どちらから抜けられたのかすら感じとれなかった、と言う。
再び対峙させてもらう茂義。今度は突きを試みる。が、木刀をキャッチされてしまった。襲いくる合気を警戒し、咄嗟に木刀を離そうと
する茂義。しかし、時既に遅し。木刀は手から離れなくなり、後はいいように投げられてしまった。そのような立ち合いが延々と続いたと言う。

合気おそるべし。佐川幸義おそるべし。日本柔術の最高傑作と呼ばれる所以であろうか。

584:名無しさん@一本勝ち
05/10/05 20:51:16 2g7LwvBL0
DS理論を使わないでセンターを入手した人々

慧能
入手方法: 禅

おばさん
入手方法: 太極拳

SRKWブッダ
入手方法: 仏教

585:名無しさん@一本勝ち
05/10/05 21:34:49 J0UAiAi80
>>579
感謝致します。
詳密な情報は卸されてないようですね。

>>580
>自転車の場合は、一度乗り方を覚えれば、一生そのコツを忘れない。

大変見事に正法を語っておられますね。
「覚り」の喩えとして素晴らしく適切なので以後拝借しても宜しいでしょうか。

飛騨赤道様のごとき方を「智者」と呼びます。
正法に気がつき正法を語れる(口から発せる)人のことを「智者」と呼ばせて頂いております。

586:名無しさん@一本勝ち
05/10/05 21:50:50 J0UAiAi80
>>584
>DS理論を使わないでセンターを入手した人々
>慧能
>入手方法: 禅

ちょっと違います。
慧能は街で『金剛般若経』を耳にし
その中の「応無処住而生其心(まさに住する処無くしてしかもその心を生ず)」の一節が
正法であることに気づき「覚り」へ至ったと言われます。

禅などの専門的な道へ入られる前のお話です。
SRKWブッダ様の過去の発言を読み集めて勉強させて頂くことを続けてましたら
「人が何かの言葉を聞きあるいは目にしてその中に正法が含まれていることに気がつけた時その人は覚りに至る」
というのがSRKWブッダ様ならびに過去の諸佛の説かれる旨であるということが(遅ればせながら)だんだん理解できてまいりました。

587:名無しさん@一本勝ち
05/10/05 22:14:21 J0UAiAi80
教えられるのではなく
自分で気がつくことができる時
その人は「覚り」に至れるのだそうです。
また覚者は正法が含まれた文章あるいは言葉に遭った時ことごとく気がつけるのだそうです。
『金剛般若経』『法華経』にそれぞれ唯一箇所のみ書かれている正法部分をSRKWブッダ様が示してくださってましたので引用します。



[244]SRKWブッダ 03/12/23 3:30 *.cBk0sepN4d*O33mdipLixM

金剛般若経の中の正法部分を、記しておきます。

応無処住而生其心(まさに住するところなくして、しかもその心を生ずべし)

588:名無しさん@一本勝ち
05/10/05 22:17:33 J0UAiAi80

[384]SRKWブッダ 04/01/12 11:54 *.cBk0sepN4d*yT5usdpLixM

【正法】

法華経における正法はただ一ヶ所、漢文でわずかに16文字。以下の通りです。

正法: 諸佛世尊唯以一大事因縁故出現於世(諸仏世尊はただ一大事因縁のみによって世に出現したまう)

589:名無しさん@一本勝ち
05/10/05 22:18:19 J0UAiAi80

諸仏、精確には諸仏の誓願は、
法身を本体として覚りの境地に至った人のこころの深奥に報身(受用身)として投影され、
その人には名称と形態(nama-rupa)が滅尽されているゆえに、表層の心として応身(変化身)が顕れ、
それを外から見れば如来と見えます。
一方、未だ覚りの境地に至らぬ人においては、法身が報身(受用身)として投影されず、
ただ一大事においてのみ停止する名称と形態(nama-rupa)の合間を縫って表層に投影され、
それを化身(一瞬の化身仏)と呼びます。
それが、善知識に他なりません。

また、一大事は、世間におけるそれとは違い、極些細なこと、一見して何気ないところにあり、
それが一大事であると知らぬゆえに、人々(衆生)は苦に追い込まれています。
煩悩(本能にもとづく心の動揺)あるところには一大事があり、
あらゆる種類と形を伴った煩悩をただ一つでも正しく滅することができたならば、それが覚りの瞬間です。

その時、
その人の名称と形態(nama-rupa)は滅尽し、
こころの覆いがすっかり取り除かれ、
苦を伴うあらゆる識別作用が滅し、あらゆる煩いが根こそぎなくなります。
そしてそれ以後は、一切の継続的努力無くして貪嗔痴は戒定慧に変じ、三種の明智が顕わになります。
一切後悔することがなくなった人。
その人は、
およそこの世で知るべきことをすべて知り終わって、為すべきことを為し終えた人となり、
自らの(世間的な)望みを絶ち切り、諸仏の誓願に生きる人となるのです。
法(ダルマ)を知る人は、法(ダルマ)にのみ依拠して生きる人となるのです。
またその人は、こころを苛立たせ動揺させるあらゆる要因が滅し、怒ることや争うことが完全になくなり、
信と平等と徳行について努力することなくして常に精励しそれを為し遂げ、
円かなる平安の境地、安穏のニルヴァーナに常に住することになります。
その結果、あらゆることについて執着と妄執が滅尽し、目覚めた人と知られるのです。
これが覚りの境地の全貌であり、それはただ一大事因縁によって為し遂げられるのです。
それは間違いありません。

590:名無しさん@一本勝ち
05/10/06 03:42:03 0dMjznfe0
>>575
都合のいい情報だけを取り入れて都合の悪い情報には答えない。
逃げないで正面からぶつからないと何も手に入りませんよ。


591:名無しさん@一本勝ち
05/10/06 07:49:34 Vg0DqvPF0
>>589
>>587-588とひとつづきの引用させて頂いたSRKWブッダ様の言葉です。

書き手を誤解なさる方はいらっしゃらないかも知れませんが
慎重を期して事実(>>589がSRKWブッダ様の言葉であること)を明言しておきます。

592:名無しさん@一本勝ち
05/10/06 07:59:07 Vg0DqvPF0
河出書房新社から
『道の手帖 中村元』という本が発売になりました。
(宣伝にならないよう慎重に)お奨めしても宜しいでしょうか。
SRKWブッダ様も原始仏典の引用には中村元師の著作をお使いになられてるようです。


593:名無しさん@一本勝ち
05/10/06 08:23:08 Vg0DqvPF0
スレッドタイトルにそぐうよう
少々「武」についても語らせて頂きます。

手前味噌な話になり恐縮ですが
武術の追求(外家拳)は10代の後半までだった身でありながら
現在でもなおヘビー級の格闘技選手をあしらうことができたりするのは
「両手利き」という素地に加えてその素地が呼んだのか日々の心がけの追求が芽生えているゆえです。

「両手利き」という素地が備わっていたゆえでしょうか
無意識に「覚り」に目が向くようになりそのことが身体バランスを促進させたみたいで
ひたすら体を鍛えるをよしとする考えのもと武術をされてる方々とは差が開くのも仕方なかったようです。
体に備わる善き素地を発見しそしてそれを巧く伸ばすことができれば武術にも何事にも必ずや資することでしょう。

594:名無しさん@一本勝ち
05/10/06 08:40:48 Vg0DqvPF0
たとえ覚っていなくても
卑下することなく自分の特技を思い出すことも大事なのでしょうね。

「センターが体感できてなければいけないんだ」と
思いつめすぎて「体感を追いすぎる」という方向へ行くのもあまりよいことに思えません。
センターを体感できてない身でありながら有名道場の有名師範から「天才」と重宝されるなどして
『秘伝』誌や福昌堂のジム紹介の単行本にとりあげられた人も皆様の目の前にいるような気もするわけですし。

体感は追う物ではなく
あちらからやってくるのを待つ物なのではないでしょうか。(慧能もおば様もSRKWブッダ様も体感を求めてはいなかったでしょうし

595:梅花
05/10/06 18:02:13 ET57g6kw0
どなた? 笑 >単行本にとりあげられた人

596:名無しさん@一本勝ち
05/10/06 18:46:05 gzrCVDBn0
>>583
あなたならひょっとして↓の佐川幸義より強かったって人のことを知ってるんじゃありません?


322 名前: 陶海鮮 投稿日: 03/06/12 23:44 ID:ePaVHR19
>>199さん
>10代でなくなった方ってそれほどの天才だったんですか?たとえるなら漫画のバキのような。
『バキ』という漫画(のキャラ?)を存じ上げません。
不勉強で、申し訳ないです。(汗
漫画の登場人物に、ちょっと適切な例(似た)を探すのは難しいのですけど、敢えて言いますと
『あずみ』という漫画をご存知ですか?
その漫画に描かれるあずみさんという方と似た育ち方(育てられ方)をされたようです。
学校なんか行ってる暇はありません、10代〝前半″で佐川先生を越えてしまった人なのですから。
あずみさんに似てると申した理由は、単に異常な若さでそこまで強くなれた、ということだけではなく、
『あずみ』に出て来た表現を使わせて頂きますと、心に菩薩を持っておられたから、です。
佐川先生も、その方のご人格を、たいへん認めておられたそうです。
思い出し、お話なさる度に、涙を流しておられた、とか、、、
しかしながら、人はそこまで根を詰めた鍛錬に耐えられるようには、出来ていないのでしょう。
肉体と精神が崩壊するのです、、、 「現代の和田金五郎」と喩えるべき御方でしょうか、、、

597:お内裏 ◆0srR6bU0ws
05/10/06 20:25:10 CGEGWWUC0

> cTノT∂ ミ彡"
>  /Д| /ヽ   ウガガアアアア
>ノ彡~''"  ヽ      (:. ⌒ (:.
>    「 ̄ __i -==(:. 薫  風 ))
>    | | ̄  ブッ  (( (:.   (  )
>  (____|     |____)

       ,,,
      ㍊㍊
   ,;㍊㍊㍊㌫
   ;㍊㍊㍊㍊㍊;
  ㍊㍊㍊㍊㍊㍊
  ㍊        ㍊
  ㍊ ー 一 ㍊
  |'':    !!   :~|       / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
  U',  ー   ,'U    <   私、ブッダの覚った無常、縁起の真理は、                                          |
    iヽ._ _ . 'i        |  私のつくりだした物でも、また、誰か他の人がつくった物でもない。                          |
                  |  この真理、つまり縁起法は、                                             |
                  |  ブッダがこの世に生まれ出ようと出まいとにかかわらず、厳然として全宇宙を貫く常在の法である。    |

598:お内裏 ◆0srR6bU0ws
05/10/06 20:26:28 CGEGWWUC0

                  |  私によって開示され、顕にされたからと言って、ブッダの創作などと思ってはならない。           |
                  |  真理という物は 「自作自覚」 「他作他覚」 など自力・他力によって左右される物ではない。       |
                  |  私には師はいない。                                                   |
                  |  無師独悟である。                                                     |
                  |  独悟とは十方法界の常住の法である真理に、純粋に帰依したということである。                   |
                  |  そして、この法こそが、私の苦を滅し、もろもろの人の苦悩を滅するのである。                   |
                 \_______ _______ ______ _______ _______ _______/

599:名無しさん@一本勝ち
05/10/06 20:35:23 mI2wWVzD0
DS理論を使わないでセンターの体感を入手した人々

慧能
入手方法: 般若経

おばさん
入手方法: 太極拳

SRKWブッダ
入手方法: 縁起法

600:名無しさん@一本勝ち
05/10/06 20:59:13 vvU2YQpC0
>>438
>段階思想

『覚りの境地』を読み進めてたらこういう記事が出てきた。

>
>【段階の説】
>
>すでに覚りの境地に至った覚者が、
>あるいは未だ覚りの境地に至っていない道の人が、
>はたまた覚りの境地とはまだ無縁のその他如何なる者どもが、
>人が覚りの境地に至ることについての如何なる段階の説を述べたとしても、
>それらの段階の説はあくまでも便宜上の説であることを覚りの境地に至った人は知っています。

601:名無しさん@一本勝ち
05/10/06 21:00:26 vvU2YQpC0

>
>そして、未だ覚りの境地に至っていない人が、
>(如来の説を含めた)如何なる人が覚りの境地に至ることについて述べた如何なる段階の説の、
>どの段階に今現在の自分がいるであろうと考え、想いを馳せ、また思い込み、あるいは信じたとしても、
>そのことによってその人がそのような如何なる段階の説の通りに、その説に従って、そのようにして段階的に覚りの境地に至ることは
>あり得ないのであると(知る人には)知られます。

602:名無しさん@一本勝ち
05/10/06 21:02:11 vvU2YQpC0

>
>それは例えば、大人になりたがりの少年が、
>あれこれと大人びたことを聞きかじって、その結果自分が少しは大人になったであろうと信じこむことに似ています。
>しかしながら、現実には、彼がそのようにすることを直接の原因として大人になるわけではありません。
>それと同様に、人が段階の説によって、それを直接の因として覚りの境地に至ることはあり得ないのです。
>
>それゆえに、覚りの境地に至ることを目指す人は、
>覚りの境地に至る修行についての段階の説という一種魅惑的な説を聞き及んでも、
>それらを正しく捨て去って、それだけでなく世間において語られる如何なる説にもそのままに依拠することなく、ただ自らにのみ依拠し、
>自らの本心(=真如)に従って停滞することなく道を歩んで、速やかに覚りの境地に至るべきであると言えるのです。
>
>そして、このことわりを本当に信じ切るためには、
>善知識が放つ法の句を聞いてそれを正しく理解し、観において、
>それらが如何なる段階の説に依ることなくもたらされたものであることに(気づきではなくして)気づかなくてはなりません。
>それがそのように実際に起きたとき、それを<一大事因縁>と名づけるのです。

603:名無しさん@一本勝ち
05/10/06 21:03:41 vvU2YQpC0

>
>[補足説明]
>釈尊の原始経典には、次の記述が見られます。
>明知の人は、これが決して覚りの境地に至ることについての如何なる段階の説をも擁護したものでは無いことに気づくべきです。
>
>○ 道の人(ブッダ)は高く、或いは低い種々の道を説き明かしたまうた。
>   重ねて彼岸に至ることはないが、一度で彼岸に至ることもないと知って。(スッタニパータ)

604:名無しさん@一本勝ち
05/10/06 21:18:18 HXqEYp0r0
このスレ、何気に面白いな。
だが、もう容量がいっぱいに近づいてる。一人一人の書き込みが長文なんだよね。

605:名無しさん@一本勝ち
05/10/06 22:38:21 mwoUNy6N0
>>596
>10代〝前半″で佐川先生を越えてしまった人

佐川幸義は、その幼少期、体が弱く床に伏せがちだった。
「合気」は、多様な要素で成り立つ高度な技法であるが、重大なファクターの一つとして、
屈筋の少量であるのが望ましいとも言われ、幸か不幸か、佐川幸義が9歳まで伏せがちな生活であったことは、
のちに誰にも優り合気がとれたことの理由となったのかも知れない。
力んだ状態を手本として見せることさえできなかった佐川幸義は、より幼少の頃から体を変えることの大事さをわかっていたのであろう。

佐川幸義は、やがて生まれた我が子・佐川慶幸に、ゆりかごにいた頃より合気揚げの稽古を課した、と言われる。

力む癖をつけさせないように、門弟とも会わせず、学校へ通わせることもしなかった。そのようにしてつくりあげられた
佐川慶幸は、10代の前半にして父・佐川幸義を超えていた、と言われる。人が何処まで強くなれるのかを親子で追求した結晶が、
他ならぬ佐川慶幸であった。全てを教え込まれ、分暇を無駄にせずつくり上げられた慶幸は、幸義の期待に応えることを喜びとする
心やさしき少年であったと言う。しかし・・  10代の後半に入る頃、慶幸は夭折する。過労であったとも言われる。幸義の奥方も時を同じくして
亡くなる怪事件でもあった。人の生きる道を他の家の者があれこれ言うべきでなく、これ以上は申さないほうがよいであろう。

>「現代の和田金五郎」と喩えるべき御方

和田金五郎に喩えるのは慧眼であろう。
新田宮流居合を創始した和田平助は、狭い場所に閉じ込められた状態に於いても、刀を抜くことができた。
不始末をおかして処刑されることとなった平助は、籠に乗せられ刑場へ向かうが、到着後、人が籠の簾を開けてみたら
そこには自分で首を切り落とした平助の姿があった、と言われる。その平助が全てを注ぎつくりあげたのが、その子・金五郎だった。
和田金五郎も、佐川慶幸と同様、10代にして父を遠く超えていた。
「不可視の居合」と称されたその神速の居合を以って、夜、就寝中の金五郎へ平助が斬りつけるも、かわされてしまうほどであった、と言う。
和田金五郎は、宙に飛ぶハエを居合で微塵切りにしてのけた、とも言う。だが・・  おそらくは過労死であろう。慶幸と同じく、夭折した。

606:名無しさん@一本勝ち
05/10/06 23:04:35 2CKjMo5+0
よ、容量が・・・
長文書き込み落とされちゃうと厳しい・・・

607:名無しさん@一本勝ち
05/10/06 23:53:47 C7RhbHAt0
>>599
逃げクセをつけると覚れません。

608:名無しさん@一本勝ち
05/10/06 23:59:07 FnIDyB/A0
>>595
ここで申し上げたいのは
自慢などではなく知恵の持つ力の偉大さなので
「武」そのものについて深く分け入って述べるのは控えようと思います。
為し難いことでありつつ最も平易なことなのに道場の皆様は気がついてはくださらなかったようです。

609:名無しさん@一本勝ち
05/10/07 00:05:51 l9nAHf4g0
>>600
>段階の説はあくまでも便宜上の説であることを覚りの境地に至った人は知っています。

要約すれば
「段階思想は間違っていると思います」と意見させて頂いてきた主張の内容は
SRKWブッダ様のおっしゃるのと同じことが言いたかったわけです。
覚者は明確にそれがおわかりになるのでしょうけど凡人でも想像力を働かせて同じ考察を持つことはできるのですね。

610:名無しさん@一本勝ち
05/10/07 00:15:06 l9nAHf4g0
人生は気づきのゲームなのかも知れません。
パズルのピースを見つけてくるかのごとく世に浮遊する言葉から正法を見つけ出す
様々な智者の語った残してくださった言葉から輝く切れ端を探し出して正法の探索作業を行う
こういったことに大変楽しみを覚えております。(このスレッドにお集まりの皆様はこういう作業は好きですか

611:名無しさん@一本勝ち
05/10/07 00:20:01 l9nAHf4g0
「目のつけどころが違う」
この表現は昔から使われる物みたいですが
悟性ある生き方を見事に表した適確な表現ではないでしょうか。
「武」に於いても同じであり「奇を衒う」のは間違ってますが正しい気づきが大事なようです。

612:名無しさん@一本勝ち
05/10/07 00:34:43 l9nAHf4g0
今夜心に残った言葉は
SRKWブッダ様の言葉にありました。
SRKWブッダ様が禅宗の六祖・慧能の著作から引用した言葉です。
転載してみます。(覚者で著作を残されてるのは慧能唯お一人かも知れませんね



【六祖慧能】

中国の禅の六祖・慧能ブッダは、自ら著作した六祖壇教において次のように述べています。

*** 引用(六祖壇教の和訳から)

善知識よ、
われわれの法門は、昔からずっと無念をおしたてて宗旨とし、無相を主体と為し、無住を根本としている。
無相とはどういうことかというと、無相とは相の中にいて相を離れるのである。
無念とは念じつつしかも念じないのであり、無住とは人間の本性のありようである。
一瞬一瞬のこころが如何なるものにも依拠しないのであれば、過去より現在そして未来へと、念は絶えず正しく働いて途切れることはない。
もし一瞬でも正しい念が途切れたら、法身はすぐさま肉身を離れてしまうであろう。
正しいこころの働きは、どんな時もどんな存在に対しても依拠しないことによって成り立っている。
もし一瞬でも何かに依拠して念じるならば、こころの働きも何かに依拠したものとなり、こころは何ものかに束縛されたものとなってしまう。
どんな存在に対しても依拠しないでいられるのであれば、それこそが束縛のないこころに他ならない。
それゆえ、無住を以て根本と為すのである。

613:名無しさん@一本勝ち
05/10/07 00:39:30 l9nAHf4g0

善知識よ、
外に対して一切の相を離れることを無相というのである。
無相になることさえできれば、われわれの本性は本質的に清浄でいられるのである。
それで、無相が主体だと分かるのである。
また、どんな境界にもこころが汚されぬ様子を無念とよぶ。
それは、自分のこころのうちですべての境界を脱け出ているだけでなく、
あらゆるものに対してそもそも念の起きることがないことをいうのである。
しかし、無念はこころに何も思いうかべないということではない。
つまり、こころのうちから念がすべて締め出されてしまうというのではいけないのである。
もし、こころをそのように閉ざしてしまうならば、うつせみの別世界に心を追いやってしまうことになるからである。
このことは、道を学ぶものはとくに注意すべきことである。
法{ダルマ}を求めるこころを停止させてはならないのだ。
自分だけ誤っているならまだしもだが、そのうえ他の人にその過ちをおしつけることがあってはならないからである。
そのような人は、自分を見失って真理を見ないばかりか、さらに経文を非難する愚を犯してしまう。
そのようなことがないように、無念をおしたてて宗旨とするのである。
つまり、自分を見失ったものがさまざまな境界において念を起こし、念ゆえに邪見を起こすに至るから、
あらゆる煩悩と妄念がそこへ現れ出てしまうのである。
しかし、わが法門は無念をおしたてて宗旨とする。 
われわれはあらかじめ分別を脱けでていて、念を起こしはしない。
もし念が最初からなければ、無念すらおしたてる必要はないのである。
ところで、無とは何かが無いのであり、念とは何かを念ずることである。
これらは何かと言えば、無とは{名称と形態〔nama-rupa〕にもとづく}二つの相が無いのであり、
念とはありのままの本性{真如}を念ずることをいうのである。
真如なるものが念の主体であり、念は真如の作用に他ならない。
真如なる本性が念を起こすのだから、見聞覚知の心が働きながら如何なる境界にも汚されず、いつも思いのままでいられるのである。
その様子について、「維摩経」は言っている。
「外にあらゆるものの相を区別しつつ、内には第一義{絶対的な立場}に於いて動じることがない」と。

614:名無しさん@一本勝ち
05/10/07 00:51:36 l9nAHf4g0

善知識よ、
わが法門の坐禅は、はじめから心を見つめもしなければ、こころの清浄なことを見守りもせず、また動かぬことをいうのでもない。
もし心を見つめよというのなら、心ははじめから虚妄なるものである。
虚妄なるものは幻のごときものであるから、見つめようがあるまい。
そうかといって、もしこころの清浄なことを見守れというのなら、われわれの本性はそのようなことをせずともはじめから清浄である。
{こころが汚れて見えるのは}妄念ゆえに真如が覆い隠されているためである。
それゆえ、妄念を離れることさえできれば、本性は清浄であると直ちに分かるのである。
本性がはじめから清浄であることを知らないで、心を起こして清浄なものを見守ろうとするならば、
かえって清浄という妄念を生みだすことになってしまうであろう。
しかして、真実には妄念には{自性としての}根底がないのだから、見守ることの方が妄念であると{わかる人には}わかるのである。
そうとは知らない人は、清浄には元々形がないのにかえって清浄という形をおしたてて、いろいろと工夫することが手柄であると考えてしまうのだ。
このような考え方をするものは、自分の本性を自らさまたげて、自分の方から清浄に縛られているのである。
本当に動かぬ境地に至った人は、どんな人の過失も目に入ることは無いし、そのようにしていられることが即ち本性の動かぬことの証である。
一方、自分を見失ったものは、自分の身を投じて善き行いを為すことが無いのに、口を開けばすぐに他人の善し悪しを問うて、
まさにそのことによって仏道に自ら背を向けてしまう結果となる。
それゆえ、心を見つめ、こころの清浄を見守るのは、かえって道をさまたげる原因であると言わなければならないのである。

615:名無しさん@一本勝ち
05/10/07 00:53:12 l9nAHf4g0

今、私は君たちに断言しておく。
およそわが法門で、坐禅とは何かと言うなら、この法門では何のさまたげもなく善く行為することを言うのである。
すなわち、外にはあらゆる存在に対して妄念の起こらぬのが坐であり、本性に目覚めて乱れぬのを禅と為すのである。
禅定とは何を言うのかと言えば、外には{人にけとられるような}如何なる相も出さないのが禅であり、内にはこころの乱れぬのが定である。
それゆえ、外見にもし何かの相が見えたとしても、内面に本性の乱れがなければ、こころはもとよりそれ自から清浄であり安定していると考えてよい。
つまり、縁によってさまざまな境界と接触するゆえに心に乱れを生じるのが世の実相であるからだ。
したがって、相を出ることができれば、こころが乱れることなどそもそも無くなるのである。
外に対してあらゆる相を離れている状態がすなわち禅であり、内に心の乱れぬ状態がすなわち定である。
{覚りの境地においては}外は禅、内は定であるから、これを禅定と名づけるのである。
{その境地について}維摩経は言っている。
「{覚れる人はそのとき}即時にカラリと本来のこころに立ち戻ったのだ」と。
また、菩薩戒経(梵網経)に言っている。
「もともと本性清浄でなくてはならぬ」と。

616:名無しさん@一本勝ち
05/10/07 00:54:42 l9nAHf4g0

善知識よ、
{覚りの境地を目指す人は}自らの本性それ自体が清浄であることを見るべきである。
自ら修め、自ら完成するのが、本性たる法身そのものであることに気づくべきである。
自ら行ずるのが仏行であり、自ら成り切って、自ら完成するのが仏道に他ならないのである。

*** 引用おわり

注記) { }内は、当サイトの起草者が付与。

617:名無しさん@一本勝ち
05/10/07 00:57:35 l9nAHf4g0
>>612-616は
SRKWブッダ様のHPからの引用です。
耳の痛い手厳しい言葉も多いですが
勉強になりましたので当スレッドの皆様へも紹介したくてなりませんで転載してみました。

618:名無しさん@一本勝ち
05/10/07 01:16:31 Hc5Pq6SS0
情報を加えて改めて眺め比べてみると…


長沢岩次郎
・7歳で法華経の提婆達多品を暗記して老婦人へ聴かせてみせた
・8歳で地獄絵に打たれ母に奨められ出家を決意

Wolfgang Amadeus Mozart
・3歳で姉の弾くクラヴィアを聴き3度の和音を弾き当てた
・5歳でクラヴィアによる即興で最初の作曲
・8歳で最初の作品集『クラヴィアとバイオリンのためのソナタ』を刊行

相沢永長齋直房
・8歳で篠竹を武器に飛び交う全ての蠅の首を斬り落とした

佐川幸義
・6歳で四書五経が暗唱できた

Akrit Pran Jaswal
・おしめをつけたことがなかった
・3歳でシェイクスピアが暗唱できた
・5歳で私設の学校の英語と数学の教師を務めていた
・8歳でガン、エイズ共通の治療薬を発明


モーツァルト、永長齋、ジャスワルの3人は人間離れしてると思う。

619:名無しさん@一本勝ち
05/10/07 07:33:29 I4pmy/Xm0
>>593-594はけして自慢ではなく
「たまたま武才があった」というだけの話でありその独白にすぎません。

このスレッドに多々いらっしゃるように
画才があったり文才があったり一人一人特技が備わっている筈ですから自信をお持ちください。(そうすれば他人や異見が認められます

620:名無しさん@一本勝ち
05/10/07 18:56:53 nQTSGNhD0
>>618
モーツァルトは最初の出版から作風も作品レベルも変化してないそうです。
モーツァルトは最初からモーツァルトであったとか。
初めから歴史上の並みいる大音楽家を寄せつけない音楽家であったと。
8歳(5歳?)からそうだったとしたらすごいことですね。人類史上最高の天才と言われるのもわかります。

621:名無しさん@一本勝ち
05/10/07 19:45:46 mnTO06zN0
>>612-616
長すぎる行があるし、もうすこし考えてコピペしたほうがいいんじゃないかな…
あと、補足説明が転載されてない。それと、「>」を使ったほうが読みやすくなると思う。改善しておくね。

>
>【六祖慧能】
>
>中国の禅の六祖・慧能ブッダは、自ら著作した六祖壇教において次のように述べています。
>
>*** 引用(六祖壇教の和訳から)
>
>善知識よ、
>われわれの法門は、
>昔からずっと無念をおしたてて宗旨とし、無相を主体と為し、無住を根本としている。
>無相とはどういうことかというと、無相とは相の中にいて相を離れるのである。
>無念とは念じつつしかも念じないのであり、
>無住とは人間の本性のありようである。
>一瞬一瞬のこころが如何なるものにも依拠しないのであれば、
>過去より現在そして未来へと、念は絶えず正しく働いて途切れることはない。
>もし一瞬でも正しい念が途切れたら、法身はすぐさま肉身を離れてしまうであろう。
>正しいこころの働きは、どんな時もどんな存在に対しても依拠しないことによって成り立っている。
>もし一瞬でも何かに依拠して念じるならば、
>こころの働きも何かに依拠した物となり、こころは何ものかに束縛された物となってしまう。
>どんな存在に対しても依拠しないでいられるのであれば、それこそが束縛のないこころに他ならない。
>それゆえ、無住を以て根本と為すのである。

622:名無しさん@一本勝ち
05/10/07 19:49:46 mnTO06zN0

>
>善知識よ、
>外に対して一切の相を離れることを無相というのである。
>無相になることさえできれば、われわれの本性は本質的に清浄でいられるのである。
>それで、無相が主体だと分かるのである。
>また、どんな境界にもこころが汚されぬ様子を無念とよぶ。
>それは、自分のこころのうちですべての境界を脱け出ているだけでなく、
>あらゆるものに対してそもそも念の起きることがないことをいうのである。
>しかし、無念はこころに何も思いうかべないということではない。
>つまり、こころのうちから念がすべて締め出されてしまうというのではいけないのである。
>もし、こころをそのように閉ざしてしまうならば、うつせみの別世界に心を追いやってしまうことになるからである。
>このことは、道を学ぶものはとくに注意すべきことである。
>法{ダルマ}を求めるこころを停止させてはならないのだ。
>自分だけ誤っているならまだしもだが、そのうえ他の人にその過ちをおしつけることがあってはならないからである。

623:名無しさん@一本勝ち
05/10/07 19:50:52 mnTO06zN0

>
>そのような人は、自分を見失って真理を見ないばかりか、さらに経文を非難する愚を犯してしまう。
>そのようなことがないように、無念をおしたてて宗旨とするのである。
>つまり、自分を見失ったものがさまざまな境界において念を起こし、念ゆえに邪見を起こすに至るから、
>あらゆる煩悩と妄念がそこへ現れ出てしまうのである。
>しかし、わが法門は無念をおしたてて宗旨とする。 
>われわれはあらかじめ分別を脱けでていて、念を起こしはしない。
>もし念が最初からなければ、無念すらおしたてる必要はないのである。
>ところで、無とは何かが無いのであり、念とは何かを念ずることである。
>これらは何かと言えば、無とは{名称と形態〔nama-rupa〕にもとづく}二つの相が無いのであり、
>念とはありのままの本性{真如}を念ずることをいうのである。
>真如なるものが念の主体であり、念は真如の作用に他ならない。
>真如なる本性が念を起こすのだから、見聞覚知の心が働きながら如何なる境界にも汚されず、いつも思いのままでいられるのである。
>その様子について、「維摩経」は言っている。
>「外にあらゆるものの相を区別しつつ、内には第一義{絶対的な立場}に於いて動じることがない」と。

624:名無しさん@一本勝ち
05/10/07 19:52:10 mnTO06zN0

>
>善知識よ、
>わが法門の坐禅は、
>はじめから心を見つめもしなければ、
>こころの清浄なことを見守りもせず、また動かぬことをいうのでもない。
>もし心を見つめよというのなら、心ははじめから虚妄なるものである。
>虚妄なるものは幻のごときものであるから、見つめようがあるまい。
>そうかといって、もしこころの清浄なことを見守れというのなら、
>われわれの本性はそのようなことをせずともはじめから清浄である。
>{こころが汚れて見えるのは}妄念ゆえに真如が覆い隠されているためである。
>それゆえ、妄念を離れることさえできれば、本性は清浄であると直ちに分かるのである。
>本性がはじめから清浄であることを知らないで、心を起こして清浄なものを見守ろうとするならば、
>かえって清浄という妄念を生みだすことになってしまうであろう。
>しかして、
>真実には妄念には{自性としての}根底がないのだから、見守ることの方が妄念であると{わかる人には}わかるのである。
>そうとは知らない人は、
>清浄には元々形がないのにかえって清浄という形をおしたてて、いろいろと工夫することが手柄であると考えてしまうのだ。
>このような考え方をするものは、自分の本性を自らさまたげて、自分の方から清浄に縛られているのである。
>本当に動かぬ境地に至った人は、
>どんな人の過失も目に入ることは無いし、そのようにしていられることが即ち本性の動かぬことの証である。
>一方、自分を見失ったものは、自分の身を投じて善き行いを為すことが無いのに、口を開けばすぐに他人の善し悪しを問うて、
>まさにそのことによって仏道に自ら背を向けてしまう結果となる。
>それゆえ、心を見つめ、こころの清浄を見守るのは、かえって道をさまたげる原因であると言わなければならないのである。

625:名無しさん@一本勝ち
05/10/07 19:53:39 mnTO06zN0

>
>今、私は君たちに断言しておく。
>およそわが法門で、坐禅とは何かと言うなら、
>この法門では何のさまたげもなく善く行為することを言うのである。
>すなわち、外にはあらゆる存在に対して妄念の起こらぬのが坐であり、
>本性に目覚めて乱れぬのを禅と為すのである。
>禅定とは何を言うのかと言えば、
>外には{人にけとられるような}如何なる相も出さないのが禅であり、
>内にはこころの乱れぬのが定である。
>それゆえ、外見にもし何かの相が見えたとしても、
>内面に本性の乱れがなければ、こころはもとよりそれ自ら清浄であり安定していると考えてよい。
>つまり、縁によってさまざまな境界と接触するゆえに心に乱れを生じるのが世の実相であるからだ。
>したがって、相を出ることができれば、こころが乱れることなどそもそも無くなるのである。
>外に対してあらゆる相を離れている状態がすなわち禅であり、内に心の乱れぬ状態がすなわち定である。
>{覚りの境地においては}外は禅、内は定であるから、これを禅定と名づけるのである。
>{その境地について}維摩経は言っている。「{覚れる人はその時}即時にカラリと本来のこころに立ち戻ったのだ」と。
>また、菩薩戒経(梵網経)に言っている。「もともと本性清浄でなくてはならぬ」と。

626:名無しさん@一本勝ち
05/10/07 19:54:51 mnTO06zN0


>
>善知識よ、
>{覚りの境地を目指す人は}自らの本性それ自体が清浄であることを見るべきである。
>自ら修め、自ら完成するのが、本性たる法身そのものであることに気づくべきである。
>自ら行ずるのが仏行であり、自ら成り切って、自ら完成するのが仏道に他ならないのである。

627:名無しさん@一本勝ち
05/10/07 19:56:13 mnTO06zN0

>
>*** 引用おわり
>
>注記) { }内は、当サイトの起草者が付与。
>
>
>[補足説明]
>維摩経-仏国土品の一節を引用。
>
>○ ─ 法王の法力は群生を超えています。
>   常に法の財を一切のものに施し、能く諸法の相を分別し、第一義に立って動じない。
>   すでに諸法について自在を得ておられる。 ─
>
>
>[補足説明(2)]
>維摩経-弟子品の一節を引用。
>
>○ ─ 一切衆生の心の本性が無垢であることは、このとおりである。
>   妄想はすなわち垢である。
>   妄想のないことはすなわち浄である。
>   顛倒した見解はすなわち垢である。
>   顛倒せる見解がないということはすなわち浄である。
>   我が有ると考えるのは垢である。 我に執著しないのは浄である。
>   一切のことがらは消滅して住まらないこと、幻のごとく電光のごとくである。
>   もろもろのことがらは相互に依存しているのではないし、乃至一刹那といえども住まらない。
>   もろもろのことがらは皆妄見である。
>   夢のごとく、蜃気楼のごとく、水中の月のごとく、鏡の中の像のごとくであり、妄想によって生ずるのである。
>   このことわりを知るであろう者は、戒律を奉じている者と名づけ、また<善く理解している者>と名づける。 ─

628:このスレは
05/10/07 20:04:29 p4Prx4kD0
慧能ブッダとSRKWブッダのファンスレとなりました。

629:名無しさん@一本勝ち
05/10/07 20:38:34 LcSztiYG0
>>541
横内先生ってどういう人なのですか?

> ...横内先生は、1992年に、額に 「真っ赤な太陽のエネルギーのような物」 が入って
>きて、下腹に燃えるような熱さを感じ、そして、それ以来、氣功が使えるようになった、と

    ↑
覚醒体験を比べてどう感じますか。
    ↓

>181 名前: 独学者 04/10/12 20:06:29 ID:tXt6DKMS
>
>振り返りますと、全てが効いていたようです。
>完成した瞬間は、鍛錬の最中ではありませんでした。
>鍛錬の直後、仕事の問題、家庭の問題、対人関係の問題が一挙に押し寄せ、
>諦観をもって臨んだ、受け入れた瞬間センターが完成し、身体の力と全ての難事が氷解しました。

630:名無しさん@一本勝ち
05/10/07 21:32:05 jSkpYZ790
>>629
>横内先生

検索したらこんな記事が出てきた。

>
>横内医院&横内正典先生 -6- 「わかるんですか!!」
>
>
>早川先生が来てくれたのは去年の7月25日。暑い日でした。
>
>一緒に来てくれた男の先生がすぐに診てくれました。
>驚き!
>だって、服を着たままなのに、服の上から癌の場所と大きさがピッタリ分かってしまうんです。普通だと直に触診するじゃないですか。ブラを付けて、ブラウスを着てるのに、その上から銀色の棒のようなものをスライドするだけで分かってしまうんです。
>
>思わず言っちゃいました。
>「わかるんですか!?」
>
>そうしたら、「初めて見ましたか?」って。
>
>(センセ、私、少しビックリしているんですけど~(^_^;))
>
>先生が描いて見せてくれた図が、病院の先生がCTで撮って説明してくれたのと同じでした。
>
>
># by fun-at-yokouchi | 2005-08-03 13:22 | Trackback

631:名無しさん@一本勝ち
05/10/07 21:36:43 jSkpYZ790

>
>横内医院&横内正典先生 -7- 「初めての漢方生薬」
>
>
>その日のウチに、乳癌のあるところに小さな黒い粒のようなものをたくさん貼ってくれました。
>これが癌をうち消すように働くそうです。
>そして、「ここまで大きいと漢方生薬が必要です。私たちの大先生のところに行きなさい。」と指示されました。
>
>その大先生が横内先生だったんです。
>横内医院は日本中からガン患者が行くので予約待ちが長いから、前もって漢方薬をもらってくれることになりました。
>
>初めての漢方生薬のもらい方にまたまたビックリ。
>私の写真を送るとだいたい分かるらしいんです。
>
>とにかく、服の上から触らないでも分かる先生の、そのまた大先生ならソンナこともあるかも・・・
>とこのやり方で行ってみる気になりました。
>
>
># by fun-at-yokouchi | 2005-08-03 13:36 | Trackback(1)

632:名無しさん@一本勝ち
05/10/08 00:21:07 I0jVj+gb0
>>593
自分は総合をしています。
ヘビー級の格闘技選手をあしらうことができる技を体感したいです。
よろしかったら手合わせをしたいです。
総合やってますので一応どのスタイルにも合わせられますので
そちらの得意なスタイルで軽く汗を流しませんか?

633:名無しさん@一本勝ち
05/10/09 22:04:54 kKP8Jrfm0

     ::|     /ヽ
     ::|    イヽ .ト、
     ::|.  /   |.| ヽ.
     ::|. /     |.|  ヽ
     ::|-〈  __   ||  `l_
     ::||ヾ||〈  ̄`i ||r‐'''''i| |
     ::|.|:::|| `--イ |ゝ-イ:|/
     ::|.ヾ/.::.    |  ./   「ゾフィー隊長万歳!」まで読んだ。
     ::|  ';:::::┌===┐./
     ::| _〉ヾ ヾ二ソ./
     ::| 。 ゝ::::::::`---´:ト。
     ::|:ヽ 。ヽ:::::::::::::::::ノ 。 `|:⌒`。
     ::|:::ヽ 。ヾ::::::/  。  ノ:::i   `。
     ::|:::::::| 。 |:::|  。 /:::::::|ヾ:::::::::)
     ::|::::::::| . 。 (●) 。 |:::::::::::|、  ::::〈

634:梅花
05/10/11 19:42:28 3Hg5ludk0
>>628 孤雲懐奘

635:名無しさん@一本勝ち
05/10/11 23:58:54 jBX8WJVr0
>>178
覚ると自然に化勁が備わる、とお考えでしょうか?
つまり。

636:名無しさん@一本勝ち
05/10/12 07:43:28 dNMiZz/50
>>621
>もうすこし考えてコピペしたほうが

反省したいと思います。

>>632
掲示板で対話していきましょう。

637:名無しさん@一本勝ち
05/10/12 07:44:32 dNMiZz/50
>>634
>孤雲懐奘

初めて耳にするお名前ですが
その方も「ブッダ」であるとおっしゃりたいのでしょうか。

>>635
そう考えております。
(覚りへの)途上に於いても顕著な変化が持ち得ると思います。

638:名無しさん@一本勝ち
05/10/12 18:56:45 kwyOCoDH0
なんぼなんでもそれはないでしょうw
密教や道家の金縛術(のイメージ)では?

639:氣っちゃん♯8332
05/10/13 21:30:14 xnQKlxN90

迷い人様

ありがとうございます。

>>552

> 実は前回お手紙を書いた後、極力
> 食事の量を減らし、若干肉食を減らしていました。しかし、減らしたら練習は
> うまくいきません。そのまま進むべきか、まだ早いのか、全く違う道を歩いて
> るのか分かりません。しかし、せっかく気っちゃんにお近づきになって与えられた
> テーマ。そこで、もう少し様子を見ようと思っているところです。

 ...人づき合いもございますし、お肉を食べざるをえない機会は、誰でも、大なり小なり、
持つものでございますからね...  それに、その人ごとに、それまで積み上げてこられた
食生活という物がございますし、お肉を摂ることに関しても、ご自身ならびにそれぞれの
進まれる道と相談されて、自由に選ばれるのが、ようございます。 ...武術をされてる方
には、お肉 (の摂取) もある程度必要と感じますし、何より、迷い人様の、これまでに
築かれてきたことを乱すようなことがあっては、わたしとしても申し訳なく思いますので、
自然に体が変わるのを待たれますのも一案かと...  1品のみ、 「これは」 と奨められ
ます食品は、 「生姜」 でございます。氣のパワーをつよめてくれる働きがあり、数ある
食品のうち、Y.X.先生が唯1品お奨めになる食品です。( ...気が向かれたら、お試しを)

640:氣っちゃん ◆9RK4ery/lQ
05/10/13 21:31:51 xnQKlxN90

迷い人様

>>552

> ところで、王樹金という強い方が昔いらっしゃいました。
> 王先生ベジタリアンだったとか。王先生は丸い方向に突き進まれました。
> 瀬戸先生は細身です。どこかに分かれ道があったのでしょうか。

 ...立功と坐功への分かれでしょう。 ...王樹金師は、立位の煉功を徹底してやられて、
瀬戸先生は、坐功の道へ進まれた、その違いが、お2人の相違および差異となったよう
です。 ...瀬戸先生は、構えをとられる際、4指が丸まって小指のみが伸びているのが、
氣功の観点から 「完璧」 と申せまして、それに加えて、王樹金師との大きな違いは、
股関節の柔かさです。股関節の柔かさは、盤坐功を徹底してやり込まれることで得た、
とのお話です。 ...瀬戸先生のおやりになってる奥伝の煉法は、韓国でご住職を務めて
いた禅僧の方から授かった物なようで、他、課せられた様々な仙人修行によって、食が
極端に細くなられたことなどがあり、結果、体型その他に王樹金師との違いが生まれる
ことになったのでしょうね。 ...お腹を中心とされ体がふくらまれてる特徴は同じですが。

641:氣っちゃん ◆9RK4ery/lQ
05/10/13 21:33:04 xnQKlxN90

迷い人様

>>553

> 正確に言いますと、丸を目指すのですが。
> 煉精化気の精を得るためには食事が必要といわれました。で、精が満ちて気と
> 化して体を変えて行き、最終的には丸い方向へ。という感じでしょうか。

ありがとうございます。

またまた興味深い理論がお教え戴けました。ハ0 ^ヮ^リ   ...勉強になります。丸には、
どうやら、真理があるようでございますね。 ...わたしは、修行を、 「17歳10ヶ月」 から
始めたのですが、 「18歳4ヶ月」 を迎えた時は、体重が 「30kg」 ふえておりました。
それ以来、目立つ増減はございませんが、その時の6ヶ月間は、何を食べても身になる
実感つよく、そしてそれ以上に、大気から食物に代わるエネルギーが直接採りこまれる
実感がつようございました。 ...もちろん、わたしは武術の経験もない、素人の横意見に
過ぎませんので、間違いも多いかと存じますが、形意拳の目指すところの理想が、この
時の経験からおぼろげながら共感できるかも知れなく思え、思い切って紹介させて戴き
ました。ご寛恕戴ければ幸いでございます。 ...これからも色々と多くをお教えください。

642:氣っちゃん ◆9RK4ery/lQ
05/10/13 21:34:04 xnQKlxN90

迷い人様

>>557

> 練習時間についてです。練習する時間は横内先生は朝に、瀬戸先生は日に6時間も
> Y先生は存じ上げませんが、一体いつ練習するのがいいのでしょうか。
> 私は一般人ゆえに、夜しか練習することができません。夜に練習ばかりしていると
> 陰の気を取り込んで良くないとか、昼だと太陽の気を取り込めて良いとか。そんな
> 話はあるのでしょうか?教えてください。ちなみに私の習ってるものには時間の話
> が出てきません。他の流派では丑みつ時は駄目だとか書いてあったのを見た気がします。

 ...おっしゃるように、たしかに日光があるのが望ましいですが、しかし、さほど心配され
なくともよいようです。 ...早朝のみ 「東」 を向いて、あとの時間帯は 「北」 を向いて
おこなうようにされれば、時間帯の別による不利、不足を補うことができ、よいようです。

 ...Y.X.先生は、煉功をおこなうのは深夜、それも、 「墓場」 でおやりになるそうです。
今は北米にいらっしゃりますので、かなり広い集団墓地で、ということになるでしょうね。
 ...先生は交通機関を使われませんので、突然の出現を偶然目撃なさった方は、さぞ...

643:氣っちゃん ◆9RK4ery/lQ
05/10/13 21:35:19 xnQKlxN90

 ...横内先生は、 「40歳」 になられてから修行を始めたのがすばらしい、と思います。

 ...外科医師としては天才でいらっしゃったそうですが、氣功に関しては素質がおありで
なく、会得に苦節 「8年」 も要されたそうです。 ...しかし、現在の横内先生は、すでに
修行の必要もなくなってしまわれてて、掌を開くだけで、頭頂と掌へ氣が流れこんでくる
状態に在り、普通に暮らされてるのみで氣のパワーがどんどん増大されてる、とのお話
です。 ...発功時、しばしば指先が (しかも指の内部から) 焼けてしまう現象は、近似
した例を他に聞きません。 ...また、横内先生の周囲の植物が、 「ジャックと豆の木」 
みたいに、ことごとく、ありえない大きさに育っておりまして、植物から氣を戴くのが自然
界の法則ならば、逆転現象が起きてしまっているのです。 ...天地からもらう氣の、その
増幅装置として、たしかに横内先生は、迷い人様の云われるよう、特殊みたいですね。

>>546

> 横内先生とはどういう人なのですか。

 ...絵にしてみました。1944年10月17日 Lushun のお生まれで、お体が大きいです。

       ,::::::::::::,
     .::'    ゙i
     :::゙ ...  .. !
      i'!: ´ .」` !
     ゙::, ...´::`. !
    ,::人::::: ̄:/
    /'ヽ::'::::':::':ヽ
  , '    )ノ'◎ヽ! ' ,
 /______i    ┃  .! __.ゝ
  '!   i     ┃  .!: i
  !  :!.    ┃  .!: !

644:氣っちゃん ◆9RK4ery/lQ
05/10/13 21:36:33 xnQKlxN90

迷い人様

>>557

> 3番目の先生関係のDX氏の話は驚愕でした。そのような立場であれば3番目の先生は
> Y先生も当然ご存知なのでは。

 ...3番目の先生については、その在り方 (生き方) に疑問がございましたので、Y.X.
先生にうかがってみたことがございました。 ...その時のご返答が、先の (>>316の) 
「医術に生きるのも武術に生きるのもそこに価値の上下はありません」 だったのです。

 ...余談となりますが、Y.X.先生が1990年に中国を去られてから以後は、病気の治療を
求めて Fuyan 村をおとずれる方々を治療していたのは、Y.X.先生のおばあ様でした。
おばあ様は、Y.X.先生と同様、ご生来より 「坐ったままその場から1歩も動かずお掃除
家事の一切がおこなえた」 人で、また、Y.X.先生の最初の師となった方でもあります。
 ...引きも切らさずおとずれるご病人をY.X.先生に代わって治療しつづけたおばあ様は、
消耗あまりに激しく、そして、1990年代後半、D.X.氏が死んでしまったのを何とかされる
ようお願いされたおばあ様は、お力をつかい、 (短い年数でしたが) 生き返らせた、と
云われます。 ...しかし、中国の最高指導者にそなわる生命力は巨大で、生き返らせる
には、とほうもなき生命力、おばあ様のお命が代わりに必要となってしまったのでした...

645:名無しさん@一本勝ち
05/10/14 00:59:49 cKVd1s680
>>605
佐川慶幸のような感じでそれが有名になった例が王郷齋と。
王郷齋も10代前半で佐川幸義を超えてたでしょ。野盗50~60人をたった一人で撃退してたんだから。

646:名無しさん@一本勝ち
05/10/14 01:08:06 pZBPm9GT0
>>645
王郷齋は中国を回って手合わせをしたけどボコボコに負けた経験がある。
そんな奴と佐川幸義を比べるなよ。

647:名無しさん@一本勝ち
05/10/14 01:13:12 cQzkXS+c0
佐川幸義と言えば木村達雄氏がこういう本を出すみたいですね。
URLリンク(www.aikinews.com)

合気修得への道 (\2,835)

佐川幸義先生に就いた二十年
Discovering Aiki
My 20 years with Yukiyoshi Sagawa

11月上旬発売予定

648:名無しさん@一本勝ち
05/10/14 01:14:49 cQzkXS+c0
URLリンク(ime.st)

56ページにおよぶ佐川師範の演武集
未公開写真を含む全100枚収録

筑波大学数学系教授として学問の道をきわめる一方、
大東流合気武術佐川幸義師範に就き、合気の道をきわめること20年。
著者が語る数学研究と合気修行人生、そして師・佐川幸義師範のこと。
また、佐川幸義師範の技写真(写真解説:著者)も本書に迫力を添えている。
季刊『道』前身、季刊『合気ニュース』で行なってきた、木村達雄氏への会見をまとめ、
さらに氏による合気についての書き下ろし、実弟・佐川廣氏の会見、
そして未公開のものを含む所蔵の写真でつづる佐川幸義のすべて。巻末に一部英文訳を収録した。

[内容]
カラーグラビア 佐川幸義師範演武 (8ページ)
第一章 佐川幸義先生演武写真集 技解説 木村達雄 (48ページ)
第二章 数学の研究と合気修得に明け暮れた日々
第三章 大東流合気武術 佐川幸義先生
第四章 合気について―人体の非物質的システムの働きを消す (書き下ろし)
第五章 佐川幸義先生の修行時代―実弟・佐川廣氏談
第六章 佐川幸義宗範語録 (著者の稽古日誌より 初公開語録集)
英訳 Discovering Aiki―My 20 years with Yukiyoshi Sagawa sensei

商品情報: kimu01, 上製A5判 248頁

649:名無しさん@一本勝ち
05/10/14 01:33:01 BudRg9/N0

       ,,,
      ㍊㍊
   ,;㍊㍊㍊㌫
   ;㍊㍊㍊㍊㍊;
  ㍊㍊㍊㍊㍊㍊
  ㍊        ㍊
  ㍊ ー 一 ㍊
  |'':    !!   :~|
  U',  ー   ,'U
    iヽ._ _ . 'i



       ,::::::::::::,
     .::'    ゙i
     :::゙ ...  .. !
      i'!: ´ .」` !
     ゙::, ...´::`. !
    ,::人::::: ̄:/
    /'ヽ::'::::':::':ヽ
  , '    )ノ'◎ヽ! ' ,
 /______i    ┃  .! __.ゝ
  '!   i     ┃  .!: i
  !  :!.    ┃  .!: !



どちらの人が優れてると思われますか。

650:名無しさん@一本勝ち
05/10/14 10:11:45 ud/mBdlt0
身体宇宙掲示板で拾った空海のAA

    ____
   /      ヽ
  /          'i,
 ( ,-- --,     'i,
  ) ◎ ◎   ,--. '!
 (  / ',  ,' .!  〉'!
  ', ノー,,''ヽ    〈 !
  '! ∈>'    '-' !
   ι        ノ  :!
   'ー― '    !
    , - ''i,       / ' - ,

651:SRKWブッダ
05/10/14 11:47:46 oGMmOt8o0
自分を他の人とを引き比べて、すぐれているとか、劣っているとか、まして等しいとも考えず、世間の何に接しても自己をあれこれと妄想せず、欲を捨て、執著を離れ、濁り無く、一切を公平・平等に見る人。 かれが<すぐれたひと>であると知られます。

明知の人は、このことわりをこころに知って、こだわりを離れ、勝敗を捨て、怒りを正しく制して、悪をとどめ、自らすぐれたひとになれかし。


652:名無しさん@一本勝ち
05/10/15 13:11:52 Dj0KH/lc0
仏陀キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!!!!!

653:迷い人
05/10/15 18:03:28 qq+k9Mv00
気っちゃんいつもいつも丁寧に説明していただきありがとうございます。先を行かれる方に教えていただけるのは本当に
ありがたいことです。方角の件、時間帯の件、食事の件ありがとうございました。
> ...立功と坐功への分かれでしょう。瀬戸先生は、坐功の道へ進まれた、その違いが、お2人の相違および差異となったよう
>です。 それに加えて、王樹金師との大きな違いは、 股関節の柔かさです。股関節の柔かさは、盤坐功を徹底してやり込ま
>れることで得た、とのお話です。
そうですか、坐功なんですね。やはり立っての道には限界があるのでしょうか。しかし、気っちゃんに教えていただいた金盤は
足の太さにより今は無理です。なんとも残念です。また座っていた方が股関節が柔らかくなるとは、やってないものには難しい
です。 
>外科医師としては天才でいらっしゃったそうですが、氣功に関しては素質がおありでなく、会得に苦節「8年」も。
横内先生は一体どのような種類の鍛錬をされたのでしょうか?
8年が素質ないとは、私はトホホです。瀬戸先生は毎日6時間で6年?でしたか?横内先生は8年。私は一体そのスタート地点
に立てるのやら。です。気っちゃんは記憶が曖昧で申し訳ありませんが、もう少し短かった気が致します。やはり練習の体系に
よる違いなのでしょうか?そうしますと私の道は遠回り、いや別の方向を向いてるやもしれません。
> ...3番目の先生については、その在り方 (生き方) に疑問がございましたので、Y.X.
>先生にうかがってみたことがございました。 ...その時のご返答が、先の (>>316の) 
>「医術に生きるのも武術に生きるのもそこに価値の上下はありません」 だったのです。
医術武術の比較対象が3番目の先生となりますと、その存在に上下が無いやもしれませんが、私のような凡人でも上下が無いの
でしょうか?といいますか、武術の先に道があるのでしょうか?その道はY先生のものより遠回りで、場合によっては道から
それてしまうのでしょうか?小人(私)は愚かです。


654:迷い人
05/10/15 18:21:34 qq+k9Mv00
>...しかし、中国の最高指導者にそなわる生命力は巨大で、生き返らせる
>には、とほうもなき生命力、おばあ様のお命が代わりに必要となってしまったのでした...
気っちゃんにお聞きしたいです。そもそも人にそのような上下があるのでしょうか?地位によりその人の生命の重さが違うの
でしょうか?私は個人的には生きているものは全て同じで、たまたま人間がこのように地球上勢力を大にしているだけなので
はと思っています。そのくせ私は他の生命を頂く罪深い偽善者なのですが。

いつもいつも気っちゃんには感謝の気持ちでいっぱいなのですが、私の事を申し上げられなくて一方的に聞いているだけ。
もしも私の事を申し上げられたらもっと適確に教えていただけるのでは。と思ったりもします。
本当に失礼極まりないと思うのですが、今は公の場で話せないためお許しください。また、公の場でちょっと聞きにくいこと
(余りにも愚かな質問のため)もあるのですが、気っちゃんにお会いすることはできませんでしょうか?気っちゃんは教えて
らっしゃると見た気がするのですが、ネット上では見当たりません。

> ...わたしは、修行を、 「17歳10ヶ月」 から
>始めたのですが、 「18歳4ヶ月」 を迎えた時は、体重が 「30kg」 ふえておりました。
そのようなお若いときから始められたとは、本当にご自身の徳による縁から発生されたものなんでしょうね。
しかも、半年で30㌔とは聞いたことありません。私も始めてより4年くらいで30キロ増えたことがありま
すが、スピードが全然違います。やはりカリキュラムの違いからでしょうか。そうしますとますます気っちゃんの
道への興味(こんな軽い言い方失礼でしょうか?)が湧いてまいります。

SRKWブッダ様(気っちゃんは呼び捨てなのにすいません。呼びやすいものでつい)は心を鍛錬され重心が安定
された。孫禄堂の本に先人の言葉でしょうか「腹は実を極め、心は虚を極め」という文章がありました。
身体を鍛錬すると心がその先にある。一方心を鍛錬されると身体も自然に。違うルートより登る同じ道なので
しょうか?もっとも武術と悟りを開かれた方を同じように比較するのは悟られたSRKWブッダ様に失礼ですが。


655:梅花
05/10/15 18:24:53 vl4t2uUa0
>>635-638 化勁 というより空勁とな 難しい 8卦氏推薦の若〇氏とて 実用は矢張り発勁 とのたまう

656:迷い人
05/10/15 18:35:12 qq+k9Mv00
SRKWブッダ様

気っちゃんのご紹介によりホームページを拝見させていただきました。難しいです。しかし、読んで私の愚かさが
身にしみています。しかし、難しいため読むのは少しづつにしかなっておりません。また、ちょと書いてあること
を実践してみようと思ってするのですが、すぐに愚かな心が芽生えてしまいます。(教えを忘れてしまいます。)
SRKWブッダ様にはもっと身体の鍛錬が終わって心に入り込めたらお聞きできたらいいなーと思っておりました。
しかし、SRKWブッダ様がやってくるとは。私はまだ未熟すぎる気がしています。お聞きしたいことがあるので
しょうが、私の中ではっきりとしません。

>自分を他の人とを引き比べて、すぐれているとか、劣っているとか、まして等しいとも考えず。世間の何に接しても自己をあれこれと妄想せず、
>欲を捨て、執著を離れ、濁り無く、一切を公平・平等に見る人。 かれが<すぐれたひと>であると知られます。 明知の人は、このことわりを
>こころに知って、こだわりを離れ、勝敗を捨て、怒りを正しく制して、悪をとどめ、自らすぐれたひとになれかし。
私はこの正反対です。他と比較し、欲があり、怒りは身体からあふれ制することできず、悪もまた湯水のごとく溢れてきます。
お話できる資格未だ備わっていないと考えております。


次ページ
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch