06/01/29 00:21:07 FSjeUkJt0
>>903
増田先生は、藤平先生についていたので、根底は共通している。しかし、その後、独自の研鑽の結果、技巧的な面の工夫が素晴らしく、敬服に値すると思う。普段の稽古では、あまり詳しいことを教えようとしない。残念。
佐々木先生は、昔からお話は多く、稽古時間の大半を費やしていた。
>>904
藤平先生は、実力ナンバー1だし、人気もあったのだけれど、この技は、こういう形でやれ、こういう気の流れでやれ、等々と事細かに決め、枠にはめらるような面が多すぎた。習う方は、自分の技を工夫したくなると、だんだん疎ましくなってくる。
自分に合った、自分独自の合気道をやりたい、というのは、成長していく過程で当然出てくる。それをなかなか許さなかったから、人が離れていった。
一挙手一投足を「形」として決めたような面では、その意味で藤平先生の教え方は、古武道的な色彩がある。
逆に大東流から離れ、「合気道」とした植芝開祖の功績は、形を決めずに、その解釈や展開を弟子たちに委ねたことにある。体格、考え、性格など個性を活かすことを案外許したのだと思う。
そのことが爆発的な普及につながったし、逆に藤平先生の「技の体系」が輝くような素晴らしさだったのに、それが思うように普及しないのは、
個性を許さず、俺のやり方が最高なのだから、一挙手一投足を同じようにやれ、と強制したからではないか。
簡単に言えば、そのようなことだと思う。少々不穏当な表現もあるかと思うが、大雑把に言えばそんなところではないか。