テコンドーの【光と深すぎる影】at BUDOU
テコンドーの【光と深すぎる影】 - 暇つぶし2ch546:名無しさん@お腹いっぱい。
04/08/29 01:43 yy2Onbv+
忠州はソウルから車で2~3時間の、小さな田舎町である。ここに道場を構え、200名あまりの門弟を抱えて指導にあたっていたのは、
35歳と以外にも若い鄭景和(ジョンキョンファ)だった。
「私の師である辛漢承(シンハンスン)先生が、昨年の7月に亡くなられ、辛先生の師にあたる宋徳基(ソントツキ)先生も同時期に
亡くなられてしまったので、今は私が指導にあたっています。辛先生も宋先生も、テッキョンの正当継承者として人間文化財に指定された方々でした」
 ’61年に制定された文化財保護法によって、両老師ばかりでなく、テッキョンそのものも’83年に重要無形文化財の指定を受けている。
「韓国人は今まで伝統文化をかえりみてきませんでしたが、ようやくそれに気づいて祖先の輝く文化の保護を考えはじめたんです」
 テッキョンの歴史はおそろしく古い。記録をさかのぼると、紀元前の高句麗時代までたどることができる。当時の高句麗には
毎年3月にシンスゥトウという祭りがあり、そこで総合武術大会がひらかれた。その大会でテッキョンやシルムの試合が行われたと、
古文献に記述されているという。以後、三国時代に入ってから朝鮮半島全域に広まり、特に花郎(ファラン)という青年武士団が
組織された新羅ではおおいに隆盛をきわめた。李氏朝鮮時代に入り、文人優位の政治が続いてからは次第に衰え、
さらに日帝時代には大きな打撃を受けたが、それでも伝統は絶えることなく今日まで連綿と受け継がれてきた。
 ちなみにテッキョンは韓国の固有語であるため、本来はハングルでしか表記できない。「托肩」とも書くが、これは当て字である。


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