07/12/24 18:44
「核廃絶」実現を掲げる以上
近代的世界観に違和感を持つのは当たり前!■
◎220氏<人類学の研究対象がヒトである以上、そこを起源とする
ような文脈があっても違和感はありません。>
▼水幡は科学的合理性の文脈にこだわります。だから「人間=理性
ある動物」と整合性を持たせるため無理矢理設定された「ヒト起源」
を否定します。220氏が違和感がないというのは、「人間=理性
ある動物」という近代的人間定義を信じているからでしょう。要する
に人間だけは自然界で特別な存在で、「世界」といえば「人間世界」。
「歴史」といえば「人間の歴史」(人間理性による自然支配史観)
という、近代思想に違和感がないということです。
水幡は「世界」といえば「ヒト種もその一員の生命共同体」だと
思っています。また「歴史」といえば38億年の「ヒト祖先の歴史」
(=ヒト生態史)だと思っています。生命共同体の一員としてヒト
祖先が、どのような生態史的変遷を経て今日に至ったのか。それは
今日のヒト種社会が、38億年の生態史を共有した人類共同体と
して一つであることを確認できる思想でもあります。
「核廃絶」実現を掲げる以上、、それをもたらした近代的世界観
に違和感を持つのは当たり前です。それを止揚するポスト近代(未
代)的世界観を求めるのも当たり前です・・・(続く)