マラソン界最高のセメント・レスラー◆瀬古利彦at WRES
マラソン界最高のセメント・レスラー◆瀬古利彦 - 暇つぶし2ch105:お前名無しだろ
07/07/16 21:50:35 jrh31ZL00
あがつまんガンバレ

106:お前名無しだろ
07/07/17 15:23:10 8T30rg7N0
須磨学園・中山卓也に注目のインタ-ハイ

107:お前名無しだろ
07/07/17 22:06:08 6BRperyK0
デンシモの2時間6分50秒での世界記録も怪しまれてたな。
その前の児玉泰介の2時間7分35秒の日本記録はもっと怪しまれてた。
でも、ラストの切れ味対決と言う事で、瀬古対児玉も見てみたかった。

108:お前名無しだろ
07/07/19 09:02:52 65+uppC10
無知なんで聞くけど、距離不足とかってどういう理由で起きるの?
最初にコース設定する時に陸上協会的所が確認してたら起きないと思うんだけど・・。

109:お前名無しだろ
07/07/20 06:25:53 0Pban3JK0
勝手な妄想だが、5キロごとの誤差が積み重なったりするんでねーの?
83年東京で瀬古が勝った時は逆に距離オーバーという説もあったが。

110:お前名無しだろ
07/07/20 06:47:54 92SbEK3k0
というより中国ですから・・・斬り

111:お前名無しだろ
07/07/20 22:21:46 e8YJ2eoB0
>>109
あの東京のコースは最初の5kmが114m長く、次の5kmは逆に114m
短かった。要するにズレていた。
最初の5km15分58秒はいかにも不自然。次の5kmは14分44秒だが、
10km30分42秒は、そうハイペースでもない。
ところが、ここから日本初上陸だったジュマ・イカンガーが小刻みにペース・アップ
を重ね、30kmまでの各5kmをすべて14分台でカバー。30km通過は
1時間29分56秒という当時としては超高速レースとなった。イカンガーの
体力が持たず、それに付いていた集団のペースも落ちたのだが、瀬古利彦が記録に
色気を出して35kmで仕掛けていたら、2時間7分台の当時の世界記録が出て
いたことは間違いなかった。

112:お前名無しだろ
07/07/20 22:28:24 e8YJ2eoB0
児玉泰介が当時の日本最高記録(当時世界歴代3位)の記録を出した
北京は距離表示がでたらめだった。ただし、距離全体は合っていると
国際陸連からお墨付きを貰っている。最初に距離全体を計測した後、
「5kmは、このへんだった」などという、アバウトさで距離表示。
途中もおかしい箇所があるが、35kmから40kmまでは明らかに
長く、40kmからのラスト2.195kmは明らかに短い。
北京のレースでは、35km過ぎで児玉が勝負をかけたのに、16分
台を要している。普通16分台まで落ちたペースを14分台まで引き上げる
のは100%不可能に近いが、ラスト2.195kmは6分26秒という、
5km換算14分台ペースで走破している。

113:お前名無しだろ
07/07/21 00:21:33 1iGqCFFO0
5km14分台!このフレーズが当時、わくわくさせてくれたなー。
中山みたいなランナーは不世出だよ。
走るフォームもカッコ良かった。左肘をちょっと突き出して
大きなストライドでさー。

114:お前名無しだろ
07/07/22 00:08:39 GN7Hc3+/0
瀬古は当時としても型の古いシューズを履いていた。
アシックスのマラップRSという代物だが、市販されていたシューズを
アシックスのシューズ担当・三村氏が改良していた。
当時でもナイロン素材のものが主流の中、そのマラップRSは布製。
重量も210gもあり、今のジョギングシューズ並であった。
高校時代からこれを履く瀬古は、この靴で連勝し、試合では必ずこれを履いた。
彼にとってマラップRSはゲン担ぎでもあった。
83年福岡国際マラソンまでは順調に勝利を収めたが、ロス五輪は
初の夏マラソン。気温が20度後半になる中でこの布製マラップRSを
三村氏が磨き上げて改良したが夏に履くには限界があった。
瀬古はロスで惨敗した後は、マラップRSをあっさり止めて最新のシューズに
切り替えた。

115:お前名無しだろ
07/07/22 22:12:47 blx1x7Ce0
三村氏、で思い出したが、森下広一のマラソンデビュー戦で森下vs中山の
接戦の影で渋く3位に入った三村徹(カネボウ)の近況を知りたい。
あの時(91年・別大)2時間9分23秒という好タイムだったのだ。

116:お前名無しだろ
07/07/23 06:23:41 elnWzgkA0
>>114
というかその前の選考レースで後半息切れした時点で瀬古の体力もシューズも限界に来てたべw

117:お前名無しだろ
07/07/24 14:26:50 Bz2UYvCT0
血尿が出てたロス五輪前の瀬古利彦

118:お前名無しだろ
07/07/25 13:00:24 tZtBbWc30
血尿だ下痢だ夏だ、と言い訳する様になったら終わり。

119:お前名無しだろ
07/07/27 10:48:57 1ylXXR7V0
「瀬古かキャステラか」と戦前予想された84ロス五輪。

120:お前名無しだろ
07/07/27 12:33:54 6WPNdEAC0
キャステラ5位、イカンガー6位だったな。
連続でゴールした後この2人が握手してたのが印象的だった。

121:お前名無しだろ
07/07/27 16:09:56 LYuv+zK/0
当時日本人選手の中では比較的安定した走力の持ち主であり
ながら、中山の陰に隠れていたダイエー陸上部No.2の実力者
仙内勇のイケメンぶりだけはガチ

122:お前名無しだろ
07/07/27 21:06:05 KtTx4nSI0
仙内がいて、小指がいて…、だったらもう少し駅伝でも
ダイエーは活躍できなかったモンなのかな

123:お前名無しだろ
07/07/27 21:24:38 K3rTK+65O
>>99-100
度重なるコース変更ののち、今は御幸町折り返しのスピードコースとなったが、当時は雁ノ巣折り返しの苛烈なコースだったからなぁ。
和白を曲がると容赦なく大陸から玄海灘を渡る季節風が吹き、冷たく強い風がランナーを襲った。
奈多を過ぎると基本的に防風林の中を行くコースだが、防風林がところどころ切れて、容赦なく風がランナーに叩き付けるコースだった。
また昔の福岡は雪やあられやみぞれも多く、風雪やあられやみぞれが叩き付ける中のマラソンもしばしばだった。
あんな中で勝てるなんてすごいものだった。

124:お前名無しだろ
07/07/31 22:04:12 Xo92rl4O0
「風車の理論」が瀬古で、「叩き潰すプロレス」が中山、
って構図だろうか?
強さは感じないが、何時の間にか勝っている、って
NWA王者のような戦い方なのは谷口。
実力が実績に反映されなかった伊藤は坂口的存在か?
児玉は一瞬だけAWA世界のベルトを巻いたマサ斉藤。
流れ星のように消えた森下とオーエン・ハート。
早田は「善戦マン」。
しかし「怪物」「存在自体が反則」視されるのは高岡。
本番の負けっぷりの大胆さは犬伏さんか、高田さんか?
のらりくらりで実績残す蝶野スタイルの油谷。
哲学者・藤田は、西村よろしくブレイク継続せず。

かなり無理やりが入っているので、宗兄弟とファンクスを
ダブらせるのはやめとくw


125:お前名無しだろ
07/08/01 13:59:20 WHLCn7vK0
ただ実績からすると宗兄弟はやっぱりファンクスに一番近い。
バション兄弟もマスカラス兄弟も百田兄弟も実績で宗兄弟に遠く及ばないから。
児玉はトミー・リッチかも。坂口=伊籐国光はピッタリ。片やデカイ人、方や
小さな巨人、だけど。


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