08/04/29 02:58:41 4GbdqahL
ちとチラ裏的な話。
まだインターネットなんて無かった(すくなくとも普通人に使えてなかった)あのころ
コンピュサーブというアメリカ系のパソコン通信ネットがあって
日本にもゲートがあってつなげられたのよ。
で、そこに国際電話で無理やりつないできている中国人ネットワーカーがいたのだな。
俺も無理やり日本からつないでいたんで、双方カタコトの英語で " Hello ! "とか
お互いの挨拶をローマ字で "NIE HAO!" "KONITIWA!"なんてくだらない会話してたんだが
あの年の春ごろを境に、ぷっつりその人来なくなったんだわ。
北京の大学だかで学生だけど英語教えてるようなこと言ってた、
あの当時あの国でPC使って通信しているなんて、そうとうインテリだったろうに。
彼がどうしちゃったんだろうと想像するたびにガクブルしてしまう俺がいる。
というわけで、個人的にも1989年6月4日は忘れられない日。
それを当の中国人が無かったことにしていたり、忘れているとは正直納得いかん。
ほんの20年前に戦車が市民をひき殺した町で、自称平和の祭典をしましょうってことも、どういう神経やねん。と、思っちまう俺がいる。