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たかだか曾爺さんの代からの下手物食いを日本の伝統に言い換えるのは間違い。
鯨の利用
本格的な捕鯨業が西日本を中心に各地に展開するようになった江戸時代の初めも、鯨の
利用は保存に適し商品価値が高い鯨油に中心が置かれ、西海の突組の鯨油は遠く江戸まで
運ばれていた。また最初は皮脂からのみだった鯨油生産が、内臓や骨をも利用するように
なっている。鯨油の用途は当初は灯油(明かりの行燈用)だったと考えられるが、18世
紀に入る頃には臭みがない麻油や菜種油の台頭で商品価値が低下し、代わって田に撒いて
害虫を退治する農薬として用いられるようになった。18世紀後半には西国諸藩で虫害に
備えて鯨油を備蓄するようになり、さらに大蔵永常が文政9年(1826)に刊行した
『除蝗録』によって、その効用が広く知られるようになった。
一方で、食用としての鯨肉の用途も江戸時代に次第に広まり、寛永20年(1643)
刊の『料理物語』をはじめとする多くの料理書に鯨料理が取り上げられるようになった。
さらに江戸時代後期に刊行された『鯨肉調味方』のような、鯨専門の料理書も登場する。
明治時代に入る頃には、食用としての鯨の用途が重要になっていたようだが、需要は漁場
周辺や大阪を中心に中部・北陸地方以西に偏っており、部位でも皮脂の需要が大きかった
が、赤身や内臓各部、果ては性器まで食用に供された。
ノルウェー式砲殺捕鯨法が導入された以降の近代捕鯨業時代には、鯨肉の需要特に赤身
の利用も増え、終戦直後の食糧難解消には南氷洋捕鯨がもたらした鯨肉が大いに活用され
た。しかし処理方法の問題もあって鯨肉は下等な肉と評価され、東日本では漁場周辺など
を除いて鯨食文化は根付くことはなかった。