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怪物・江川卓伝説
江川の作新学院時代の成績は「怪物」と呼ばれるにふさわしいものである。
ストレートも高校時代が最も速かったといわれている。
特に素晴らしい成績を残しているのは2年生夏の大会からで、まず栃木県大会初戦の大田原を相手にノーヒットノーランを達成、続く2回戦の石橋戦は完全試合、準々決勝の栃木工戦もノーヒットノーラン(3試合連続ノーヒットノーラン)。
そして驚くことに準決勝の小山戦でも延長10回2死までノーヒットノーランを続け、なんと36イニング連続無安打を記録。
2年秋の県大会では5試合をすべて完封勝ちで優勝し関東大会に出場。関東大会では初戦の東京農大二戦で10奪三振(6回)、準決勝の銚子商戦では1安打完封の20奪三振、そして決勝の横浜戦では4安打完封の16奪三振。
この決勝で対戦した横浜は翌年の選抜優勝校だけに、江川がいかにずば抜けていたかがよく分かる。
3年春の選抜大会1回戦では、秋季近畿大会優勝校の北陽を19奪三振で完封。2回戦の小倉南戦では7回10奪三振で無失点勝利。
そして準々決勝の秋季四国大会優勝校・今治西戦では20奪三振の快投で完封。
準決勝の広島商戦の5回裏、2死二塁から佃のポテンヒットで1点を奪われた後、8回裏に2死一、二塁からダブルスチールを決められ、捕手の三塁悪送球で2点目を取られ敗退したものの、この試合でも11奪三振。
この試合での失点が前年の秋の新チーム結成から練習試合、公式試合含めて初の失点だったというから恐れ入る(139イニング連続無失点で15試合分に相当)。
結局、この大会で奪った三振は60で、この記録はいまだに破られない選抜大会記録である。
3年夏の県予選では5試合中3試合がノーヒットノーランで、県大会5試合の被安打がわずか2(オール完封)という超人的快投で甲子園に出場。
1回戦の柳川商戦では延長15回を投げ23奪三振で勝利。2回戦の銚子商戦12回裏押し出し四球で敗退。
その2カ月後、千葉で行われた国体では、この年の選抜で敗れた優勝校の広島商と初戦で対戦。
雪辱に燃える江川の剛速球は初回から唸りをあげ、終わってみれば2安打完封の17奪三振と力でねじふせ、1-0の勝利。
準々決勝の今治西戦では登板しなかったが、準決勝では夏の準優勝校・静岡をこれまた被安打4、11奪三振で完封。
決勝では銚子商に敗れたものの、この試合でも被安打2と好投した。
高校時代の成績は、完全試合2試合、ノーヒットノーラン10回。
36イニング連続無安打、139イニング連続無失点(高校2年秋~高校3年春まで)、145イニング連続無失点(高校3年春~夏まで)。
作新学院在学中の公式戦全投球数回数は354回、被安打103、四死球90、奪三振525、失点20、自責点16、公式戦の通算防御率は0・46となっている。
驚くのは354イニング投げて奪三振が525もあるということで、一試合平均奪三振数は13・3。つまり高校時代の江川は公式戦で打者2人に対して1個の三振を奪っていたということ。
また、39・3試合を投げ、被安打が103と非常に少なく、一試合平均で2・6本しかヒットを許していない計算になる。
39試合に投げて12試合がノーヒットノーラン試合(完全試合2試合を含む)だから、3試合に1試合弱の割合でノーヒットノーランを達成した計算にもなる。
ノーヒットノーラン達成率が3割などというのは江川にしかできない超人的な大記録である。
公式戦通算防御率0・46という数字も驚異的であり、恐らく江川が残した上記の記録は今後も永久に破られまい。
伝説の怪物投手・江川卓こそ高校野球史上最高の投手である。