08/01/16 21:06:16 0g1w/IAU0
>>319
江川の時代はおろか。80年代前半は変化球はどの投手もカーブくらいしか
投げなかったよ。その当時はそれで通用しただけの話し。バッティングの技術が
その程度だったんだ。打撃マシンで140㌔台の球をガンガン打って練習したのは
82,83年の池田高校あたりから。甲子園レベルの高校でも速くて130㌔台。
普通は120㌔程度のボールで打撃マシンの球を打っての打撃練習だった。
打撃マシンは江川の時代にはまだ無かったのでは?
打撃投手の遅いボールしか見たことがない打者が140㌔くらいの球を見れば
現在の150㌔以上にも感じたのさ。当時のレベルで考えればコンスタントに
130㌔後半~140㌔前半くらいのボールを投げられれば化け物クラスだった
のさ。