08/05/30 22:42:16 If6CX3er0
太極君は柳龍拳をえらい達人だと吹いて回ってた、ただの電波。
100:名無しさん@一本勝ち
08/05/30 23:08:58 GKjSxDN10
>>99
合気や催眠術に関しては「えらい達人」と言えるかも知れませんし、
お若い頃は更にそうだったかも知れませんよ。
101:名無しさん@一本勝ち
08/05/30 23:47:29 ZhyvBLvmO
対極君と柳氏の話題は電波が必ず擁護に出てきてスレが荒れまくるからタブー。
102:名無しさん@一本勝ち
08/05/30 23:50:59 GKjSxDN10
擁護と言うか、公平に見なくちゃという、至極まっとうな姿勢だと思います。
佐川幸義宗範に影響を受けた身として、他流には謙虚になりたいものと思います。
103:名無しさん@一本勝ち
08/05/31 04:09:30 JNkn+gxh0
昔から佐川関連スレで適当なことを書いてるのは陶海鮮だから気をつけろよ
少しの真実を混ぜることで真実味を持たせているが、ほとんどが大嘘
言い方が一見丁寧で年配風を装っているが言ってる内容は大嘘
しかもこいつは高岡信者だからすぐに高岡理論を持ち出す
ちょっと前に小説書いてた粘着気血外もこいつ
104:名無しさん@一本勝ち
08/05/31 04:13:13 JNkn+gxh0
この陶海鮮とかいうサイコは嘘で煽って、
本当の事を知りたがっている種類のダニです。
この手の寄生虫はどこにでもいる。
だいたいね、彼の言ってる事を真に受けちゃうってとこが、
もうそういう資質を備えてるって事です。
日本人は残念ながらそういう資質を備えた人間が多いのです。
そういう人間には2ちゃんねるはさぞかし天国でしょう。
105:名無しさん@一本勝ち
08/05/31 07:58:05 jyv3rRk40
合気系や中拳スレには頭がおかしい奴の一匹や二匹はいるもんだ。
こういうのはもう徹底的に無視するしかない。
106:名無しさん@一本勝ち
08/05/31 08:15:06 jyv3rRk40
私の経験からは、技が掛かる時にはおおよそ次のような場合があると思います。
A.体は平凡だがやり方を沢山知っている事で技が掛かっている。
B.鍛練で体を根本的に変えてしまっている事によって技が掛かっている。
C.AとBの複合(殆どすべての方がこのC.ですが、B.を顕著に持っている人は殆どいない)。
D.「相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術」で技が掛かっている(観たり受けたりして分かる技術とは違うので私にはたぶん受けても違いは区別出来ませんが、一応書いておきます)。
B.のように技を掛けている人は、技を受けた時の感じも通常の人と全然違います。私は良く電気按摩に例えるのですけど、電気按摩はちゃんと力を抜いた状態で(ここが重要です)
受けるとブゥーンとなっている振動が体の中で集中してきて入ってくる感じがしますよね?あれに似ている。B.のような事が出来る人に技を受けると、受けているだけで抵抗力も含め、
体が変わっていきます。後は少し要領が分かれば、自分で徐々に体を変えられるようになるんですが、そこまでが非常に難しい。
佐川道場を例にとると、(あくまで私の経験ですが)木村さんはB.という点で抜きん出ていました。皆分かっていたのかどうかは知りませんが、木村さんの稽古は行列で順番待ちで、
ある時、ノートを持っている木村さんから名前の確認をされたのですが、変な人が紛れ込まないように出欠簿でも取っているのかと思ったら、
木村さんの稽古を受ける順番待ちのノートでした。私からみればこれは自然な事で、つまり技を一回受ける度に体を変える切っ掛けを与えられているわけですから、
みな順番待ちで稽古を受ける訳です。B.のような事が出来る種類の人が道場にいるのといないのとでは全然違います。私個人の意見としては、
B.のような事が出来る先生がいるならば、別に佐川道場にこだわる必要はないと思います。その方にちゃんとついていれば質の高い体つくりが出来る。
107:名無しさん@一本勝ち
08/05/31 08:29:07 jyv3rRk40
私自身は、「相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術」について「どんな種類の力とも区別出来るものであるが」と定義しており、それはこの掲示板の前提となっているのは皆さんご存知の通りです。
これはどういう意味かというとより具体的に言えば、「相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術」は力学的な力でも物理的な力でもないという事です。
それが私の定義であり、この掲示板を利用する際に皆さんはその内容に賛同しているという事になっています。
それは佐川先生がやってみせたいくつかの技をみた経験がもとになっているのですが、例えば以下のような出来事があってそれがこの定義の下敷きになっています。
それはある時、木村さんが「透明な力」でも書かれているように先生に技を掛けられると自分の体が紙のようになってしまうという内容の話をしている時だったのですけど、
先生がこれまたとても機嫌が良い時で、「突きだって凄いんだ、」"気(合い)で吹っ飛んじゃう"と言いつつ突きをやってみせた事がありました。不明なのは気といったのか気合いといったのか、
正確に聞き取れませんでしたから、その辺が良く分からない。まああまり重要な箇所でないから良いでしょう。「気」と言ったのだとしたらちょっとしたブラックジョークだったんですかね(笑)?
その突きというのは、先生が椅子に座っていて、木村さんが少し離れて正座している状態だったのですが、先生が「ホイ」「ホレ」等と言いながら、突く動作をする。その突きは適当ではなくて、
何か意図された瞬間に突かれているようで、どこかに確実に狙い所があるという印象を持たされるようなやり方でした。
数回突きを出す内に少しすると木村さんは仰け反って殆ど倒れたような状態になるんですけど、倒れないように後ろに手をついて「ヒッ」「うわぁ」と仰け反っている。
後ろに片手をついてなんとか倒れないでいるという感じです。そういう場面がありました。
108:名無しさん@一本勝ち
08/05/31 08:29:36 jyv3rRk40
これはただのおふざけで、技の本質的な部分とは無関係の出来事だったのでしょうか?あるいは弟子が先生に対して媚びている典型的な例だったのでしょうか?
嘘か真か(あるいはどこまでが嘘でどこまでが真か)、それはその場にいた木村さん本人に聞くのが一番でしょうが、私には今その機会はありません。というより、
もうここにいる皆さんの為にここに書いてしまった手前、今後会ってもたぶん聞けない(笑)。ここでしゃべっていない事に関しては後々ゆっくり聞ける機会がある、、、、かもしれない(笑)。
ところで、私は上の出来事等を実際見てどう考えたかと言いますと、「相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術」についてこう推測しました。
つまりこの技術自体("自体"というところが重要です)は離れた状態であっても目的を達成出来る。しかし100%の確立で相手を倒したり極めたりするには相手に接触して働きかけなければならない。
だから"離れていては相手は倒れない"というのは嘘ではない。
それにしてもこの出来事の時は、木村さんはかなり必死な形相で(歯をむき出しにしてちょっと見、笑っているような表情で)倒れまいとしてました。
後ろに片手をついてなんとか倒れないでいるという感じです。普通の人だったらあれだけで簡単に倒れてしまうのかもしれません。
佐川先生の突きが余程の圧力を感じるようなものだったんでしょう(そういう技術があるのかもしれないし、それは私には分かりません)。受けの木村さんから攻めるのではなくて、
佐川先生が攻めてそういう状態になった。どこかで見かける演武で、攻めて来た相手を触らずに倒す、というのを見かけますが、あれとは異なる。
攻めているのは佐川先生の方だったのですから。とはいえこの辺りの話になると、外見上はやらせでいくらでも誤魔化せますね。そこがやっかいなところなんですが、そのようにして、
例えどんなに鍛えられた目があったとしても、本物とそうでないものの区別というのは外見上は本当に難しい。そこで、私のアドバイスに話が戻るわけです。
109:名無しさん@一本勝ち
08/05/31 08:56:57 iqo9AMdE0
おもしれーな
連載お願いします。
110:名無しさん@一本勝ち
08/05/31 09:01:08 jyv3rRk40
すでに指摘されてますが、これらは全部ひろりんごさんの掲示板からのものです。
有意義だと思うものを独断で転載してます。話のネタにでもなればと思って。
111:名無しさん@一本勝ち
08/05/31 10:11:19 jyv3rRk40
私が佐川道場に通わせてもらっていた頃には分かっていなかったなと今になって思う事がいくつかあるんですが、少なくとも私が通っていた頃の道場というのは、
道場内での考え方が統一されていないといいますか、先生がいる事で辛うじて道場としての統一感がある。そういう印象を強く受けました。私は一言でいうと、
道場の雰囲気自体は余り好きではありませんでした。
先生は嫌いな方がいて、そういう方が来るとあからさまに無視していました。私はそういうのをみて「そんなに嫌なら辞めてもらえば良いのに」とふと思ったりもしたのですが、
今思えば全く浅はかな考えでした。
というのは、私達はまずは色んな種類の人達を相手に技を掛けられるようにしなければならないわけでして、道場内の人間が皆似たような考え方ややり方に統一されてしまうと都合が良くない事がある。
道場内で全く異なる考え方で継続して稽古している人がいれば、それは非常に都合が良い環境なんですね。
だけれどもそういう状況をつくれて道場をまとめる事が出来るのは先生のような実力者が上にいるからで、余程の実力に裏付けされた権威がないと普通は周りの人間にペシャンコに潰されてしまう(笑)。
あるいは先生は適当に誤摩化されて神棚にまつりあげられ、どこかの新興宗教のようになってしまう。
とにかく道場にウマがあわない人間も含め色んな種類の人間がいると、良い事が沢山ある。津本陽氏は佐川先生の事を「隠遁者の性質をそなえておられるので、
世間とは没交渉主義である」と書いていますが、(それが意図された事なのかどうかはともかく)このような佐川道場の状況は「隠遁者」の欠点を補うのに役立った事でしょう。
112:名無しさん@一本勝ち
08/05/31 10:11:40 jyv3rRk40
しかしそのようにやって行くと一般的な人が望むような意味での「(居心地の)良い道場」とは趣が異なってくる。また表面では礼儀正しくとも、
人間の心のドロドロしたところが全面に出てくる(そういうものを感じ取れない人は悪い意味で余程鈍感な人です)。
そうは言っても、私は「(居心地の)良い道場」の方が好きです(笑)。この掲示板もきっと一般的に言ってなかなか居心地が良いのではないでしょうか?だからこそ、
その欠点を良く自覚しておかなければいけない、と私は常々考えています。
ちなみに私が観た限りでは先生は以下のような人を相当嫌っていました。
まず、やたらと意味もなく教えたがる人。
次に、明らかに誰から見ても常識外れな事をしている人(例えば道場や先生に無断で、佐川大東流の名の下に免状を出す。そういう人が堂々として道場にいる状況自体、
私には新鮮な驚きでしたが、、、)。
でもそういう人達も結局は追い出されたりしなかったわけで、そういう状況を見ると、普通の人は、佐川先生が寛容なのか偏狭なのか混乱したのではないかと思います。
一言でいえば「多面性」というのでしょうか、そういうものを佐川先生に対して感じました。
113:名無しさん@一本勝ち
08/05/31 16:38:39 TpvZqOq50
>>107-108
先々の先のもの凄いバージョンって気がするな。
空手なんかでも、こちらが出ようかな?って瞬間にスパン!って
上段抜かれると、やられたって感じでもう体が居着くんだよね。
これを遠間からやってるんじゃないかなぁ。
体は制止してても微妙に揺らいでるから、
例えば右から左へ重心を移動しようかなって瞬間に ほれ!ってやられたら
くずれるんじゃないかな。
見事に抜かれましたって突きをホイホイ出せるのなら、
近間でも遠間でも関係ないのかもしれない。
114:名無しさん@一本勝ち
08/05/31 21:57:49 JNkn+gxh0
"気で吹っ飛んじゃうといったんなら本当に気で飛ばしたんじゃないんですかね。
気合ではホイホイでは技はかからんでしょう。
よくある感応の一種じゃないですかね。
頻繁に佐川先生の技を受けてる木村さんだからかかったのであって、一般の素人にはかからない類のもの。
こういうことが起こること自体はそれほど驚かないけど、それを佐川先生が見せてたというのが驚きですね。
こういった一見カルト臭い技はやらない人だと思ってたから。
115:名無しさん@一本勝ち
08/05/31 22:44:55 +mcVZea8O
なんでもカルト認定団は世間によくいるよ
116:名無しさん@一本勝ち
08/05/31 23:47:23 0h4sAbUs0
木村さんなんて「透明な力」の著者であるだけで、本当に力あるのかな?
客観的に示されるエビデンスがあれば知りたい。
117:名無しさん@一本勝ち
08/05/31 23:55:04 cwjj9mUj0
>>116 洗脳がうまい!
118:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 02:00:53 jANUZsBC0
透明な力とその後の合気習得への道を読み比べてみると、佐川先生は
かなり隠してるね。
台所で木村さんと二人のときと、道場で他の門人の前で話してるときとでは言ってる内容がまったく逆だったとかいってるし、あんな本で本当のことを書くわけがないと考えたほうがいいね。
119:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 06:59:55 K82onBTT0
(昭和天皇お隠れ時期、転勤上京時に入門3年程在籍)
A 例によって、木村さんに稽古を挑み、「立ち四方投げ裏転換」を繰り返していた。何とか転換までは往くものの、ぶら下がってもビクともしない。目の前の佐川先生が何やら「呟き」・・・
「〇〇さんは私を倒さないうちは古里に帰らないそうです」と木村さん返答。 先生「無理だろうね ・・もう一度やってごらん」・・・(再度、転換まで挑戦)・・「3cm右に」・・でストンと木村さんが倒れ、
互いに信じられない事象が起ったではないか。稽古を止めて観ていた人達も拍手。 後で木村さんに「石工の名人は割る“石の目”が分かるそうだが、
どうやら先生は人体の“目”が分かるのだね・・」と話したもの。・・これで“約束を果たし”まもなく転勤。
B 佐川先生「その腰なら無理でしょう・・、折角だから3年来てみなさい」と云われ、当時、現代合気武道初段だったし・・何とかなるだろうと思っての入門だったが、
3年間の稽古時に私が倒せた人は後から入った現代合気武道の3名程度。・・当時、「技は教えても、術は教えない世界」ではあること分かっていたが、木村さんにしつこく聞いたところ、
「四股でもふんだら・・・」と言われた。これを3週間まじめにやったが元々が蒲柳体質にて痔になり、“自分には適性なし”として、稽古を止めるか:続ケルカ“迷い苦行”の3年。
大阪から飛行機で稽古に通う人もいるのに、当方は早く転勤にならないかならないかと、今思えば贅沢不遜な態度だった。
C 座捕り合気上げ稽古時に、佐川先生「ココからココに工夫があるのだよ」と左1の腕を右手で示された。たしか木村さんが出てなかった比較的少人数の稽古日の言辞で、
強く印象に残っている。これを私は“禅の公案”のように今でも思量苦吟していて、3年ほど前に、ある “見解”が閃き、たまに遊ばしてもらう現代合気武道で試みて“効果絶大”。
先生17歳時の合気階梯の初階には位置するのではなかろうかと自負をしているが・・・道遠し。
D 現在は専ら20代初期から嗜んでいた社交ダンスに、これまでの“技術”が女性のリードに些か有効で、不思議がられている。
120:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 07:00:24 K82onBTT0
>先生「無理だろうね ・・もう一度やってごらん」・・・(再度、転換まで挑戦)・・「3cm右に」
これ、良く分かります。女性の門人が片手四方投げの練習を、非常に上手い黒帯の方相手にやっている時、私も似たような場面をみました。とにかく先生が真面目に教えようとする時、
そのポイントは非常に細かかった。口頭で指示するだけなんですけど、それだけで面白いように技が掛かるようになる。佐川先生が教えた人が強くなるのはある種当たり前なのだと思うと同時に、
あれを観た時、ああ、形ではダメというのは本当なんだな、と思いました。
121:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 07:05:26 K82onBTT0
鍛え方にも必要な発想は沢山あって、頭を使って行かなければならないから大変です。例えばさっと必要な体勢というか姿勢を創る時でも、
正しく出来ているかどうか本人が確認出来る基準のようなものがある。その基準がどういう訳か、本来の目的にこだわっていると観えないところのものである事が多い
(例えば肺を精密にコントロールするならばその要となるのは肺ではなく手首の中である等々、実例は沢山ありますね)。となると目的に固執する人はその時点でもう可能性が殆ど無くなってしまう。
本質が観えなくなってしまう落とし穴というかそういうところに沢山気付かなければいけないのですが、まあどんなものでも深い部分を観て行けば、如何に難しく複雑であるかという事を知るのみです。
もっとも、複雑といってもいったん体を慣らしてしまえばやる側としては歩くのと同じくらい簡単です。しかしどうやって体を慣らして行かなければならないのかを教えるのは難しい。
多分無理なんじゃないでしょうか?一応会得したもののレベルを自身で把握しておく事は大事なのでどうやったら教えられるかという事は常に考えている訳ですが、
それをあえてするのはなぜかと言えば、目指しているところが教える事が出来ないレベルのものだからです。教えられないものであるがしっかり存在するという事がはっきり分かった時点で、
ホッと一息つく訳ですね(笑)。それをあえて何とか教えようと言うのはなんというか矛盾している気がします。名人に名教師はいないという人がいますが、あれは嘘だと思いますね。
上手い人ほどその内容が教えられるものであるか教えられる可能性を超えたものであるかきちんと検証している筈です。佐川先生も教えようとした時は本当に上手かったです。
注意をしたタイミングにすら意味があった。
122:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 07:05:48 K82onBTT0
教えられないレベルの内容をあえて教えるとするとどうすれば良いか?その視点で観ると佐川道場の教え方は大変優秀な教え方だと思います。
言葉でのアドバイスもそんなに沢山あった訳ではないのですが、どれもこれ以外には考えられないというくらい有用で、今その言葉を追求し続けて来た恩恵を受けているといった感じです。
佐川道場で朝顔の手とか聞いた事はなかったですね。どういう事なんでしょうかねあれは。先生が本気で教えようとした時点で朝顔の手という言葉もお役御免になったのでしょうか?
昔は朝顔の手とか山吹の花とか言っていたようですが、、、私の結論としてはこの言葉も額の「気」の字と同じでカモフラージュです。これは私の中で不動でしょう。それ以外に考えられない。
ただし、意図的に要点を隠したのか、その時点ではそのようにしか説明の仕様がなかったのかという点までは分かりませんね。
学び会得しようとする側としてはその違いは余り気にする必要はないと思いますし、、、、。
123:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 07:14:20 K82onBTT0
最近とある方に紹介されたページに、最近の佐川道場を訪れた方の体験記が書かれていたのですが、会話中の木村達雄さんの発言と私は元々同じ考え方ですので(以前書いたように、
私は同じ考え方をする出来るだけ優れた方々に会いに行っていたのです)、その部分と他に興味深い部分を引用しておきます。
ちなみにこの方は以前佐川道場に通っていた西野氏のところにも行った事があり、両者の違いについてとても冷静に分析しています。そこには「西野先生は確かに、すごい方です。
気を使って、人を飛ばす事ができていました。でも、その気は、おなじ師弟同士が長い事関わってやり続けた相手に対して、気が反応しあえるようになるもので、入門したばかりの人間とか、
相手によっては反応できない人のほうが多かったのです。」と書かれています。
この方は、そういう感応という現象によって出来たり出来なかったりするものと、"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"は異なるという事を明確に感じ取ったようです。
とても興味深い事です。理論は分からなくても明確に存在を感じるという事はありますね。
その方:「なぜテレビに出て世間にこんなに凄いものがあるということを見せないのですか?」
木村さん:「テレビで見せたって、嘘だと思われますし、真似する偽者がでてきていんちきをやりますから意味がないのです。」
その方:「なんでこんなに凄い武道なのに、広まらないのでしょうか?」
木村さん:「本物は広める必要はないです。一子相伝がいいのです。広まってしまうものに凄いものはないですよ」
木村さん:「佐川先生の考えがすべて僕の体と心に入っています。先生が亡くなったからといって
もう先生の考えに従わなくていいなんて思えないですよ。技ができることも、自分の気持ちに、先生を敬う気持ちがなくなれば、武術の精神も宿らなくなるとおもっています。
武術って技だけでなく精神が大切なんです」
124:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 07:59:54 K82onBTT0
佐川先生に会ったとき、好き嫌いの激しさも凄かったですし「うわぁ、この人凄い口悪いなぁ」とは思いましたが、悪意があったり根に持つタイプでは全然ないと感じました。
逆に門人の方にそういうタイプはいましたけどね(爆)。他の方も入門した時に言われたようですが、木村さんが「ここは大人の道場だから大丈夫」とと言われたので入ってみると、
確かに大人のドロドロした関係も含めて大人の道場でした。確かに大人の道場だ、、、、、。基本的な礼儀はしっかりしていて、変にそれが宗教かかっていないところが、私は好きでしたね。
神棚に礼をしなくても良いところが、特に好きでした。道場がこれでもかっというくらいカビ臭かったのは、好きではありませんでした、、、、、。
こういう言い方すると現役の門人の方々には激怒されるかもしれませんが、佐川先生は正直にバカがつくタイプの方だったような、、、、(笑)。
以前家の母親に佐川先生の話を可能な限り詳細に言葉で描写すると「あぁ、そういうのは正直にバカが付くっていうんだ」とそのまま言っていましたが、、、(笑)。
それと佐川道場を一種のカルトだと言っている方がいるそうなんですが、それはまずあり得ない話です。大体、佐川先生にさんざん言われた人なんかは、
陰であのジジイはなんたらかんたらと色々言ってましたし、どう考えても佐川先生の事が好きではない方も結構いました(どういう基準で入門を決めているのか分かりかねるくらいの人がいました)。
とにかく佐川先生に対しても必ずしも先生という感じではなく、自分の祖父を相手にしている感じで「あの爺さんもう先は長くねぇだろうからなぁ」とか言っているのも時々耳にしました。
125:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 08:00:16 K82onBTT0
木村さんだってもう見るからに勝ち気な人だから、佐川先生に技かけられて色々おもちゃにされている時に、まあ、顔は笑っているんですけど、歯を剥き出しにして“このジジイ”って感じでしたね(笑)。
まあ、考えてもみれば、親って言うのは普通こちらが成人するくらいになると、親の方が子供に勝てなくなる訳です。それが九十歳辺りになってもこちらが勝たせて貰えないのだから、
そういう気持ちは皆さん分かると思います(笑)。
だいたい技の効く効かないという事に関しては誤魔化したくないという方々が集っているわけですから、、、、。帰り道でも門人の方々が「あの人の技は全然効かないね」
「**さんと++さんの技はどうも違う」とかそのような話が良くされているのを見かけました。まあ、そういう面では厳しいですね。歳を重ねるだけで残っていける感じではなかった。
実力がないと、、、、。
とにかく私の印象としては、佐川先生はどうもその人を好きとか嫌いとかではなく、なにか別の基準で入門を決めていたのではないかな、と思うところがあります。
これは確認をしていませんのでなんとも言えませんが、、、、。
まあ、カルトというのは一つの見解なんでしょうが、とてもそうは思えなかったですね。今現在の事は知りません。
126:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 13:44:06 Lu9fxKXL0
コピペするのが悪いとは言わないが、ちゃんと分かるように出典先を
明記しとけよな。
分かる奴には分かるかもしれないが、一応礼儀だぞ。
127:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 14:35:54 yrxwmgla0
↑
案外、ご本人が書いてるかもしれない。それでも出典?
128:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 14:38:02 Ht1owrnz0
>>127
全部既出の文章だよ
知らない奴は黙ってろカス
129:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 14:56:23 M2riNgWf0
ひろりんごさんはちょっと深く考えすぎなんじゃないか?
特に最近・・・。
130:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 16:36:22 8OuyA7S30
たとえば?
131:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 16:44:53 M2riNgWf0
ユダの福音書がどうのこうのとか。合気が天風女后から来た言葉とか。
132:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 17:21:26 8OuyA7S30
はっは、四書五経にまで目を通すとは~。
読まなきゃとは思ったことあるけどめんどくさいからやってないわ。
まあいいんじゃね?別段害がある訳じゃなし。
133:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 17:25:58 8OuyA7S30
「合気」って言葉は昔の伝書にもあるよ。
無住心剣術なんて自流が目指すものを合気を絡めて説明したりしてる。
一刀流の伝書にもあるらしいし。
134:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 17:33:12 M2riNgWf0
そう。合気はそっち方面から来たと思うんだよね。
惣角は剣術諸流派修行してたし。
135:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 17:57:54 8OuyA7S30
俺なりに理解したことを大雑把に説明すると、敵から殺気を向けられる等
自身の外部の出来事に呼応して自身の内部に変化が生じることを 合気する。
外部の出来事に対し自らの内的静寂を守り無変化を保つことを 合気を外す。
合気を外すことに深く習熟するのを自流の目的として特化したのが無住心剣術。
天心独露だったかな。伝書にちゃんと書いてある。
ちなみに俺は惣角翁以前に合気を使える人がいなかったとは思っていない。
現在合気を使えるのが木村・吉丸・有満各師範やホエさんなど佐川系の限られた
人だけだとも思っていない。
他流の黒田師範や宇城師範などは合気と言わなくても中身は同じことを
やってると思ってる。「本当の修行」を始めてる人は相当数いるはず。
だって目指すものは簡単なんだからさ。
もっとも、不可能性を志向しない奴は自分で勝手に壁にブチ当たる。
136:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 18:05:29 M2riNgWf0
>ちなみに俺は惣角翁以前に合気を使える人がいなかったとは思っていない。
俺も思ってないけどそれは惣角や佐川さんの合気とは同じじゃないと思う。
つまり言葉は同じだけど違う技術だと思う。
137:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 18:10:59 8OuyA7S30
それに合気ができれば万事解決みたいに考えてる奴って甘いよな。
合気が自分と同じぐらいのレベルで使える奴とやらなきゃいけなくなったらどうすんの?
スイッチ切れてる奴のスイッチをあんたはどうやって切るつもりなの?って感じ。
内部感覚の生成を深く追究するするのはいいことだらけなんだろうけどさ。
木村師範が佐川先生にさ、道場でやるのとは全然違う合気上げをやってもらったって話あるだろ。
あと錬体会のHPで吉丸師範が言ってる佐川先生は道場で本当の合気は見せなかった的な話。
それとホエさんの、直伝講習での佐川先生の技とか合気上げの話。
あれってさー、佐川先生が道場で本当の合気を見せなかったんだとしたら、
それって対戦者として佐川先生に匹敵する合気を身に付けた相手を想定して
そのための練習を道場でしてたからじゃないの?
138:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 18:17:10 8OuyA7S30
違わないと思うね。違うとしたらそれは鍛錬の違いだよ。
人間のやる技術の根本となる原理にいくつもあると考えているのだとしたら、
それは鍛錬の方向が間違ってる。
もうねー、佐川先生の「合気は力ではない」って言葉を素直に聞けない人が多いと思うな。
素直に聞かないで難しい分からない言ってる人ってリアルでアホなんじゃないの?
139:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 18:28:42 8OuyA7S30
「透明な力」に目を通したって、佐川先生が宮本武蔵を相当意識していることが
窺えるだろうに。分からない人は五輪書に目を通したことある?
合気ができないってことは、
言い換えればそれが力技であることが保証されてるんだよ。
ち・か・ら・わ・ざ。
ち・か・ら を使っていることが保証されている。
「力ではない」ことができていない。
ち・か・ら・で・は・な・い・ことが、 で・き・て・い・な・い。
140:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 18:32:18 GZ6/gLHM0
>>135
そんなこと「天真独露」に書いてないぞ。
お前原文読んでないだろw
甲野の本で読みかじっただけじゃないか?
141:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 18:35:53 8OuyA7S30
やっぱりアホな人には分からないのかもな。
力について、体で培ったものを用いて深い洞察を加えることができないアホンダラには。
アホには難しい分からないと悩む資格もない。
142:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 18:42:52 M2riNgWf0
まあまあ落ち着いて。
佐川さんは合気が出来るもの同士がやりあったら速さが問題になるだろうといっているよ。
スイッチがきれてようが何だろうが合気は掛かるって事。
結局は定義の問題になるんじゃないかな。
俺の考えている合気と呼べる物は>>>82に書かれてる条件を満たすもののみ。
>月並みですが、相手が抵抗力がついて技が効かなくなるというのは、合気ではない。
>抵抗力のある相手にも苦もなく掛かるのが合気です。
143:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 18:48:51 8OuyA7S30
>>140
俺の手元の天真独露が載ってる書籍には書いてある。
まあ書いてあってもお前には読めんだろな。お前アホっぽいもんなw
アホついでに合気を離れるの一法にあるのみっていう部分が
甲野師範のなんて本のどこに書いてあるか言ってみ?
言えないだろ知ったかだから~アホめwひゃっひゃっひゃw
随感録を見ると最近の甲野師範は格段に無住心剣術の理に迫ってる気がする。
実力が2ちゃんで言われてる通りなのかは知らんが。
少ししゃべり過ぎたか。
144:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 18:53:44 GZ6/gLHM0
だから「天真独露」が載っている書籍の題名書けっつのw!
そうしないと説得力ないだろ、バカw
145:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 19:06:35 Ht1owrnz0
>>141>>143
この沸点の低さじゃ合気の理なんて説いても説得力全くないんだが…
社会生活に応用できない合気なんて糞の役にもたたんじゃろ
まだカレー屋の方がマシだw
146:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 19:07:01 8OuyA7S30
>>142
悪いがお前の定義には関心がない。
>>144
お前なんぞを説得しなきゃならん理由もないし本当だと言い張るつもりもない。
嘘だと思いたければ思ってればいい。俺は困らない。
147:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 19:13:27 Ht1owrnz0
なんだ結局はったりか
アホの相手するとこっちまでアホがうつりそうだ
148:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 19:31:58 W8MfvCEa0
愛器も所詮技術の一つ。
愛器ができたものどおりなら愛器の上手さ、
愛器が同レベルなら筋力、柔術技術の上のものが勝つ。
それも同等なら乱捕り慣れとか喧嘩なれした方が勝つ。
愛気そのものなら佐川先生がナンバーワンだとしても、
喧嘩は総合力。
だから、佐川先生は、自由乱捕りを弟子としなかった。
「握ってきなさい」「突いてきなさい」
ただし、鍛錬を積んだ弟子や他流派の高レベル者以外、
単なるドキュン等相手なら、乱捕りでもかるくやっちゃえるだろう。
149:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 19:32:27 W8MfvCEa0
愛器ができたものどおりなら愛器の上手さ、
愛器ができたもの同士なら愛器の上手さ、
150:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 19:50:23 M2riNgWf0
自由捕りというのを昔はやってたみたいですが。弟子に好きに掛からせるという。
前スレでお弟子さんの息子さんが書いてました。
151:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 19:54:11 W8MfvCEa0
自由捕りというのを昔はやってたみたいですが。
弟子に好きに掛からせるという。
どっちかというと係り稽古に近いやり方だね。
それでも、やはり年取ってやばいと感じたからやめたのでしょう。
152:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 19:55:50 W8MfvCEa0
柔道も30台で選手は引退。
愛器にしても、年齢がいって反射神経やら瞬発力、スタミナ等が
なくなると、乱捕りでは弱くなるのでしょうね。
感覚的に、強さのピークは40ぐらいだろう。
153:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 20:00:45 0roW+EG0O
中二病みたいなレスばかりだな
佐川の話は大人になってからしようね
154:名無しさん@一本勝ち
08/06/01 20:39:45 yrxwmgla0
>>135
合気が分かるようになるには、最低5000単位ぐらいは
練習しなければ無理だとおもう。
木村、吉丸は滞空時間5000は超えているだろうな。
155:名無しさん@一本勝ち
08/06/02 06:58:45 Z22TqF/J0
合気は目の付け所が違います。
柔らかく、まるで雲のように、霞のように。それでいて瞬間的に力が抜けます。それは触れる必要もありません。
貴殿のおっしゃられる「重心力」は合気を会得するための一部分にすぎず、伸筋については佐川先生は「そんなものではない!」と否定されています。
また世間一般で言われている「円運動」も佐川先生は否定しています。
佐川先生は「しいていうなら円運動の終端を外す」とおっしゃっています。
いかがでしょうか?
> ひろりんご様、元佐川道場様に質問です。
>
> 1.”崩れている状態”あるいは”崩されている状態”とは具体的にどのような状態なのでしょうか?
→合気で崩されるときは力が抜け、全く抵抗ができない、力が入らない状態です。
一般的な佐川道場の門人達の崩しは普通の人では感じない極々わずかな崩しです。
具体的には説明可能ですが一つ一つの技で崩す方向が変わりますし、相手の足の位置
によっても変わってきますし。
ですからこのような定性的な表現になってしまいます。
柔道の崩ししか知らない方には合気でなくとも不思議な崩しでしょう。
要は「崩し」というと柔道の崩しのイメージが強すぎるんですよね。柔道は崩しすぎなんですよ。
物理的な話をします。
身体は地面からの抗力を受けています。
身体に受ける抗力は足の裏の範囲内にあるときは倒れません。
足の裏からこの抗力のベクトルが出ると人は倒れます。
この抗力のベクトルが足の裏の範囲内から出るギリギリのところまで崩せばいいのです。
もっとももっと精密化することはできますが。
> 2.自分が”崩れた状態”になったことを自覚することは可能なのでしょうか?
> あるいは相手が”崩れた状態”になったことを観察することは可能なのでしょうか?
→両者とも可能です。
156:名無しさん@一本勝ち
08/06/02 07:01:37 Z22TqF/J0
前々から書いておきたかった事なので、これを書くことにします。
佐川道場には木村達雄さんもそうですが、皆さんおそらくご存じの通り田口さん(私はいい加減なもので、名前は調べないと分かりません)
というかなり古くから佐川先生のもとで教えを受けていた人がいました。
ある時、木村さんが佐川先生といつものように稽古の途中で話はじめました。これは合気ニュース1998年夏号でもある程度触れられている事のように思いますが、
木村さんが入門するかしないかくらいの頃、佐川先生の技を疑ってかかって「これはどうですか?」「では、こうしたらどうですか?」と色々試した、
という昔話を木村さんの方から持ちかけたのです。おおよそ次のように話が続きました。
木村さん:私もあの頃は信じられなかったので、「こうしたらどうなりますか?」とか「これはどうですか?」とか色々試して、、、(笑)。
先生:(椅子に座って少し上体を仰け反るようにして)あ~~、あれはもう、、、、(一寸静かになって間が開く)びっくりしたよ、、、、(と言いながら少し体を乗り出す、妙にドスの効いた声)。
木村さん:今では畏れ多い事で(笑)。
先生:(何か言った筈だが、記憶が不鮮明)
木村さん:(合気ニュースに書かれている通り、田口さんの学校を尋ねた時に、職員室の真ん中をロッカーで囲んで稽古場にしていたという話しに触れる)
先生:(少し椅子にもたれかかったようになって、表情や口調が柔らかくなり)あ~、あの人も変な人だよ。
その時私が感じたのは、佐川先生は木村さんと田口さんの事が好きなのだな、という事でした。「変な人だよ」と言っていましたが、決して嫌悪を示す表情や口調ではなく、
むしろ親しみを込めて言っているように感じました。私から見れば、3人とも十分変な人でしたから(笑)、何か通じ合うところがあったのかもしれません。
157:名無しさん@一本勝ち
08/06/02 07:11:25 Z22TqF/J0
待ち合わせ場所に指定されたとある喫茶店に到着する。
私:「あの、済みません、佐川道場に入門する事になっているものなんですが、、、、この喫茶店は」
店の女性:「ああ~、はいはい、もうすぐ来る時間だと思うんだけど」
女性の口から佐川先生の話題になると、マスターらしき男性がとたんに不機嫌になっている(ように見える)。なんだろう?
木村先生が到着する。
------かなーり省略-----
質問第一声は「佐川先生ってどんな感じの人ですか?」だった、
しまった、そんな質問するつもりじゃなかったのに!
木村先生「ウッスッスッス、そんな事とても一言じゃいい表せないよぉ(笑)」
木村先生に「大橋巨泉かい!」などとは決して突っ込まないのである。
私「そうですよね、ははは」
木村先生は技を掛けるときも「スゥーーット」といって掛ける。
母音のウ音とオ音だ。佐川先生も似ている。
------省略---------
158:名無しさん@一本勝ち
08/06/02 07:11:47 Z22TqF/J0
木村先生はカレーライスを注文する。たしかカツカレーだった。生卵も付いている。
私「カレーが好きなんですか?」
木村先生「最近医者に食事制限を受けちゃって、、、コレステロール値がヤバイんだって(笑)」
------省略-------
ある紙に必要な事項を書かなければならないらしく、それを渡される。
紹介者の名前とかも書くことになっているらしく、
私「済みません、ここには何を書けば良いんでしょうか?」
木村先生「あ、そこは“とうめいなちから”って書いて」
私「あ、はい、分かりました」
----しばらく経過-----
私「先生、すみません」
木村先生「はい。書けた?」
私「とうめいの“とう”って漢字でどう書くんでしたっけ(汗)?」
木村先生「この前入門した若い子も同じ事聞いたよ(笑)。君で3人目だ(笑)」
恥ずかしくて顔が真っ赤になってしまった。
159:名無しさん@一本勝ち
08/06/02 07:13:05 Z22TqF/J0
出来事:
稽古終了、着替えが遅れて、殆どの門人は帰途についている。
静かな道場の雰囲気ははじめてだ。しかしこのあとまだ稽古がある雰囲気。なんだろう?
道場内にてお使いを頼まれているらしい若い門人と、先生の会話、若い人にはビックリするほど丁寧である、というよりとてもやさしい。気を使っているのが感じられる。
先生「それと、カッパ巻きは、、、、、あるの?」
門人「はい、あると思います」
先生「あ、そう、じゃそれと、、、」
会話が色々あったが聞き取れず、やがてもう一人の古い門人の方が話に入り、話込んでいる。話を総合すると、以前もらって飲んだアロエジュースを、佐川先生は気に入ったらしい。
また飲みたいというような事をいっていた。先ほど受け取った月謝袋(と思われる)から一万円札を取り出して、使いの門人に手渡す。門人は使いに出る。
先生「ちょっと相撲見てくる」
自分の部屋へ戻られてしまった。時折道場へ戻られて、「***は負けちゃったよ(聞き取れず)」と門人と話されると、また部屋へ戻る。
少し時間が経過して、とある門人の方がこちらに歩み寄り「なにか?」と聞かれたので、「あ、いえ、これから帰るところです」といってそそくさと道場を後にする。
160:名無しさん@一本勝ち
08/06/02 07:13:54 Z22TqF/J0
「ついこないだまで、機嫌が悪くてなかなか技をみせてくれなかったんだけど、最近突然また色々やってくれるようになってすっかり技も変わっちゃった」
「達人が年をとるとああいう風になるのかという感じだね」
「君はもっと食べて体重をつけないと」
「もう先生カンカンでさぁ、大変だったんだから」
着想:ちょっとでも体の線が細かったりすると、道場に入門する人は大抵、体重をつけろ、というようなニュアンスの事を言われる。これは推論だが、合気を会得できる可能性は限りなく低い。
となると、それが力の集中であれ、どんなに特殊な力の出し方であれ、結局は体重の問題となる。同じ条件下ならば体重差がそのまま実力差となる。だから体重をつけろと言うのではないか?
着想2:佐川先生を怒らすと、とばっちりは全部古い身近な門人の方々に集中するようだ。しかし若い人達には相変わらず礼儀正しく、やさしい。不機嫌な時は技の片鱗すらみせようとしない日がある。
白帯でめちゃくちゃ上手い人がいるがなぜ白帯なのか疑問だ。どうやらその人には佐川先生は全く教えようとしないという事のようだ。考えられる理由は、その人は大変な教え魔だという事。
勝手な間違いを教えていると怒っているのか、あるいは教えすぎる教え方に怒っているのか、分からないが、どちらかが当たらずともなんとやらというやつだろう。
161:名無しさん@一本勝ち
08/06/02 07:18:31 Z22TqF/J0
稽古初日終了、木村先生が近づいてきて「どうでしたか?」と聞かれる。
「いや~、面白かったですね。それに人によってやり方が全然違うんですね。」
すると木村先生、苦虫を潰したような顔で手を横に振り
------以下かなり検閲&省略-------
「帰り道は分かりますか?」と聞かれ、「いえ、憶えてません(笑)」と答えると、
「彼が帰り道は案内してくれますから、それと道場の細かいことは彼が説明してくれるので聞いて下さい」と言われて、ある若い門人の方を指し示した。
その方は近所に住んでいるらしく、駅まで案内してくれた。武道は何をやってましたか?と聞かれる。ここに来ていったい何回これを聞かれただろう。「全くないんですよ」と答えると不思議な顔をされた。
礼儀正しい方で、手首がすり切れた時にどうすれば良いかなど、道場での基本的な事を教える役割を引き受けているようだ。
今日最初に言われたこと「持たれたところだけに力を入れる」、木村さんは電気アンマのような感じがした。ゆっくり上げられるが分からない。しかし、掛けられてからも、逃げることは出来る。
速く掛けられれば逃げられないのだろう。佐川先生だと逃げられないという話だ。掴まれる側に回れば逃げることは不可能。大東流は掴み手を成功させるための戦術?
掴み手を成功させるための過程を沢山持っているのが大東流?
後の補足:力むクセのある人には指を伸ばすようにアドバイスしている模様。自身については、力みについては注意はなかったが、体力をつけろ体重をつけろと良く言われた。
さらに後の補足:上手の人達が、手のひらを上に向けているように感じたという感覚は正しい。まずそれで肘が落ちる。その状態を保って手のひらを下に向ける。
分からないと手のひらを上に向けた時点で崩れているので、力の使い方を知る人間があいてならばその時点ですでに崩される。
さらに後の補足:力を入れる出すは余り気にする必要はなし。両方を同時に行う方法がある。力を一カ所に集める方法が理解できれば、両方自然にやってるのだから。
腕相撲に応用可能確認。手の内。手のひらは出来るだけ柔かければ柔らかい程良い。親指人差し指小指をみるとその人のやり方が分かり易い。小指を鍛える事。
誤:手のひらを上に向けた時点で
正:手のひらを下に向けた時点で
162:名無しさん@一本勝ち
08/06/02 07:21:00 Z22TqF/J0
佐川道場では守るべき事として、
特に技を施したり力を使ったりする時に
1.踵を気持ち上げておく(ベタ足とならない)。
2.腰を反らさない。
3.肩の力を抜く。
という事を特に明確に注意しているようだ。
1.や2.は別段佐川道場でなくとも理解できるが、3.は不可能に近い。
他流の人間が道場に来ると、殆どここについて注意される。
次にこれは特別注意を受けている人を見かけなかったが、道場で上手の人をみて推測した事は
4.足の小指側に荷重をかけて、足の親指側に重心を置く。
5.手のひらは出来るだけ柔らかくしておき、その上で掴みや力を使う。
6.前に進む際は、足を前に差し出して、その足で体を引っ張るもしくは寄せるようにして歩く。
4.と6.はずいぶん昔に、私独自に出した結論で、呼吸法としてはこれは正しい。
道場の上手い人をみてもどうも間違いではないように思える。佐川先生の歩き方もこれに沿っているようにみえた。
5.は道場の人達をみてそのように感じたこと。
3.と5.は上手い人に触れたりして確かめない限り、会得する事は出来ないだろう。
他は頼らずとも会得出来る。
また、呼吸法への理解の浅い人間に対しては殆ど例外なく「もっと胸をはって」と注意されている。これは結論としては正しい。
163:名無しさん@一本勝ち
08/06/02 07:26:42 Z22TqF/J0
手を斬り下ろす動作を繰り返す時、そこには3種類の意識が存在する。
斬り下ろす時/斬る下ろすまでの上げる動作/斬り下ろす直前の間
それぞれが異なる脳の働きで、つまりそれぞれが異なる意識状態で行われる。
どんな天才でも、この3種類のものを、一つの意識でする事は出来ないと思う。
この場合、端的に言えば、
「斬り下ろす動作」は意識的に行われ。
「斬る下ろすまでの上げる動作/斬り下ろす直前の間」、は無意識的に行われる。
これは人間の避けられない脳の働きだと思う。この避けられない働きを利用する。
この無意識的動作を意図的に使う必要がある。原理は簡単だ。例えば上げる動作を繰り返しやるときは、わざと下げる動作を出来るだけ強く速く強い意識を以て行う。
すると上げる動作は自然に無意識的動作となって出てくる。鍛錬の時はこれで体を徹底的に慣らす。慣れればこれをてのひらのある状態を創り出す事のみで同じ事が出来る。
肩の力を抜くという条件が整っている事が必須。最初は無意識的動作は遅いが、徐々にに速くしていく。
------かなり省略-----------
この時の上げる動作上の脳の働き、つまり無意識的動作の状態をしっかり研究する。上には上がある。
例えば木村先生の「スウゥ~~~」はそれを表現すると木村先生的にはそうなったのだろうと思う。
しかしこれは、相手も体が出来てくれば効かなくなる種類のものだと思う。鍛錬の領域だ。
効かなくなると、今度は「斬り下ろす直前の間」を狙う必要があるのではないか?
しかしここまでくると感覚の領域になり、ややこしくなる。う~ん、逆に言えば言葉に出来ない領域にきたということは進歩しているという事だから、どうでもいいや。ともかく、一つのやり方として、
上の原理に基づいた体の使い方を道場の上手の人達はやっているように思われる。特に力がぶつかってからの変更するときにそれが感じられる。
164:名無しさん@一本勝ち
08/06/02 07:27:11 Z22TqF/J0
道場の先輩が力を抜けと言うときは意地悪でいってるわけじゃない。
親切でいっているという事がはっきり分かった。
意地悪な人はもっと強く掴めと言う。自分の練習を重視しているからだ。
また意地悪な人が技を掛けると後々まで痛みというか疲れが残る。逆に高橋賢先生とかに掛けてもらったりするとその時はかなり痛いが、知らない内に疲れや痛みが取れている。面白い。
これが「鍛えてもらう」という事なのではないだろうか?痛くされるのは苦にならないが、痛めつけられるのではなくて、鍛えてもらいたいと思う。
はっきり分かったのは、受けはどのような状況下でも勉強になる。
やる側は場合によっては勉強にならない場合がある。
受けは本当の意味では、役得だ。
もっとも、出来ない人に力を抜けといわれると、最初の内はなんだかな~
165:名無しさん@一本勝ち
08/06/02 17:43:50 xULTyRDu0
佐川道場って曜日によって先生がちがうのですか?
166:名無しさん@一本勝ち
08/06/02 19:05:10 cTIgZo1fO
ひろりんごは前キリストとか宗教ぽい事を投稿してた人を荒らし扱いしてアク禁にしてたが今度は自分が書き出した。
かなりの気分屋で自信家だな
167:名無しさん@一本勝ち
08/06/02 22:46:17 P9DwgVBw0
同類相憎しみ合う
168:名無しさん@一本勝ち
08/06/03 01:40:38 JX/jpQyT0
>>147
自分の手の内晒さずに人の手の内探ろうとしてんじゃねえよ乞食。物乞い。
ガツガツ餌を食うしか能のない知ったかぶりブタ野郎。
煽って話を引き出そうってのがバレバレなんだよカス。ゴミ。IQいくつよ?
密度の低いスポンジ脳で人さまに絡む暇があるなら
富山県立図書館が公開してる原文でも読めブタ。
読み終わったらブタはブタらしく豚舎であてがわれる餌を汚らしく食ってろブタ。
169:名無しさん@一本勝ち
08/06/03 01:51:03 JX/jpQyT0
140 :名無しさん@一本勝ち:2008/06/01(日) 18:32:18 ID:GZ6/gLHM0
>>>135
>そんなこと「天真独露」に書いてないぞ。
>お前原文読んでないだろw
>甲野の本で読みかじっただけじゃないか?
餌をガツガツ食うしか脳のないブタ野郎がひっくい知力で知ったかぶりしてる証拠が
天真伝白井流兵法天真録9・10丁目と12丁目に載っとるわブタ。
低脳ブタは低脳ブタらしく分相応の知ったかぶりをすることだな。
お情けで12丁目の合気に関する部分を適当に起こしてやる。
常人之気、千萬物に合す
有道の人の気千萬物を離れ千萬物に含み則り、
却って心千萬物之理通うこと能わず、
千萬物を離れ矣則り、心能く千萬物之理に通矣
合気者智解に於いて生き智解を捨て智解に則り自ずと合気を離矣
有道之人物理を知り、能くまた千差万別之理を知り而して、
其のすでに知る之理、その?々物々之上に於いて在り、而して、
千自己之心認めず、故に合気なく、俗学凡智之輩、
者を知らず、逐一知る毎に千自己の心を認む而して、失わず、
故竟合気を為矣
170:名無しさん@一本勝ち
08/06/03 02:35:47 DiWpds+c0
どうでもいいけど、ひろりんごって確か3ヶ月ほど佐川道場に通っただけなんじゃなかったっけ?
それでなんであんなに偉そうに佐川道場のこと語ったり合気のことうんちくたれたりしてるの?
171:名無しさん@一本勝ち
08/06/03 08:08:42 gLBKC1HH0
(佐川)先生が部屋からこちらに来た。見てすぐ分かる。機嫌が悪い(汗)。ずっと黙ったままだ。昨日はあんなに機嫌が良かったのに、
こういうのは武術家というより芸術家にありがちな感情の起伏の激しさだ。お天気屋だ。あ~あ、今日はなにも見られないなとガックリ来る。
またよりによって意地悪な人がこっちに来て「ちょっと、、、」と手招きする。ちょっとムッと来る。殆どの人は「お願いします」と来るのだが、たまにこういう人はいる。どこでもそうだ。
昔のねるとん紅鯨団みたいに「ゴメンナサイ」とか断れないルールでもあるのだろうか?そういう人は見たことがないな。もちろんそんな事は聞けない(笑)。
突然「な~にをやってるんだ貴様はぁ~!!」と先生が怒った。ビリビリ来る。ビックリする。怖いというのとは違う。とにかく年齢相応の声ではない。
そのまま先生死んじゃうんじゃないかというくらい気合が入っている。ともかく、貴様という言葉を使うのを始めて聞いた。
古い門人の方に注意したのだ。好きでない門人が来ていると機嫌が悪くなるそうだが、今日はその例なのだろうか?分からない。
着想:
今日は収穫は少ない。しかし前々から思っていたことがはっきりした。上手い人にある技を受けると、家に帰ってそれを知人や親類に試すと面白いようにその技が掛かるのだ。
しかしすぐに掛からなくなる。佐川先生が諸手捕りをやってみせた時もそうだ。面白いように掛かるが、やがて相手が対応して掛からなくなる。
これは技の一側面のみしか理解していないから相手が対応出来てしまうのだと思う。変化変更が必要だという事だろう。一つの技の出来るだけ沢山の側面が見たい。
それを会得すればいいのだと思う。
172:名無しさん@一本勝ち
08/06/03 08:09:35 gLBKC1HH0
今日は白帯(実質黒帯の実力)の人と比較的古い門人の方の合気上げで力比べがあった。面白かった。あーもう面倒臭い、何でもいいから上げろ、上げてしまえ!!ガンバレ!
しかし、上がらなかった。残念。
その最中、佐川先生は手をそちらの方に手を向けて何か言おうとしたのだが、黙って再び椅子にもたれかかった。少し溜息をついていたようにも見えたがわからない。
着想:
理論で再現出来ることと出来ないことがあり、再現できない事柄が、ある事象の重要な要素であった時、それはその理論に欠陥がある事を示しているのだと思う。
形も全く同じだ。理論も形も、本来その人だけのものなのだと思う。非常に個人的なものだ。
173:名無しさん@一本勝ち
08/06/03 08:10:50 gLBKC1HH0
これは私自身が感じたことであり、どうしても推測の域を出ることは出来ませんが、佐川先生が力について言及するとき、相手に応じて意味が違っていたのではないか、と思う節があります。
例えば高橋賢さんに対しては、先生は、諸手捕りの技を良く掛けていましたが、ある時先生が技を掛けると、高橋さんは彫像がそのまま姿勢を崩さずに後転するような格好で道場の端まで飛ばされて頭を打ってしまいました。
先生はその時「大丈夫かい?」と声を掛けた後、「でも凄い力だ、まだ手(腕といったかもしれない)がビリビリしてる」と言っていました。
これは明らかに力そのものについて語っているようでした。
一方、木村達雄さんが、先生との話の最中にある時、“力”の話に少し言及して、ある手の開き方をしながら上げる動作をして「めちゃくちゃ鍛えて(力をつけて、といったかも知れない)ますから」と笑いながら言うと、
佐川先生は例の甲高い声で「なーにいってる!」と一喝、そして声を低くして口をとんがらしたような表情で「じゃ、やってみろ、そんなに力がある(鍛えている、と言ったかもしれない)というのなら、やってみろ」
と手を差し出しました。
そこから色々技を掛けた後、「座っても同じだ」と座捕りの合気上げを木村さん相手に掛けて見せて、木村さんが色々やられた後、佐川先生は再び椅子にすわって「ま~だ、全然力がないよ」と答えられました。
結論からいいますと、後者の例は先生はふざけて力といっているのであり、実際は力ではなかったと思われます。
174:名無しさん@一本勝ち
08/06/03 08:14:16 gLBKC1HH0
今日も佐川先生の諸手捕りをみた。どうも諸手捕りを見る機会が多いな。まあ椅子に座ったまま出来るから手頃という事もあるのだろうか?
そういえば佐川先生が掴み手や自分から出て攻めていくやり方をまだ殆どみていない、というか掴み手がみたいのだがこれは全然みていない。
いまのところ一度先生が歩み寄っていって相手の両手が先生に触れた瞬間にその人はひっくり返ってしまった。触れたというのは少々誇張のようにも聞こえるが
ピッというような音が出る感じで触った瞬間にもうその人の足の裏が宙に浮いて先生の方向を向き、ひっくり返っていた。その場で足の位置が変わらずにひっくり返るのだ。
その門人は参りましたと言ったので、先生はなんだい(もう終わりかいという語尾が付きそうな言い方で)といって引き下がりゆっくり椅子に座りなおした。
要するに、自分から攻めていくのはまだこれを含め3度しかみていない。掴み手はゼロ。もっとも、もう歩くのも相当難儀そうで、歩くときなど小刻みに動く仕掛け人形みたいでとても変な感じだ。
相当足が弱っているという事だろう。しかしお陰で体の使い方や歩き方はみることが出来る。
佐川道場では呼吸について語ることはまず聞いたことがない。しかし、それが重要ではないという意味ではないことははっきりと感じ取れる。
高橋賢さんを諸手捕りで投げるとき、先生は茶目っ気たっぷりに「バーン」と言っていた。茶目っ気というかかなり意地の悪いお爺さんのような感じだった。
高橋さんにはギリギリまで思い切り抑えさせて、ある限界のポイントに来ると「ホイサッ」などと言いながら技を掛けているという風だった。
技が掛かると高橋さんはもう手が放せなくなっているようで、ジタバタしながら先生の動く方向へ吸い込まれ、そして投げられた。
先生は立ち上がって弟子の人(といっても私が見たのは殆どの場合木村さんか高橋さんだったが)に技を掛ける為に立ち上がると、ぼつり「あんまり姿勢は良くないけれども」とつぶやいて前に進んだ。
弱々しい印象を先生から感じたのはこれが最初で最後だった。
175:名無しさん@一本勝ち
08/06/03 08:26:35 gLBKC1HH0
木村さん含め先生の門人達が談笑している。
木村「女優なので顔はやめて下さいとかいって(笑)」
とある門人「お手柔らかにとかいっときながら向こうは力の限り押さえ込んでくるんだもの、だからこっちは(笑)」
また別の門人「まったく注文ばかりつけて(聞き取れず)」
他聞き取れず。女優が来たのか?
木村「それとこないだきたしんじゅくのようじんぼう(笑)」
とある門人「ああ、あれあれ」
他聞き取れず。しんじゅくのようじんぼう?新宿の用心棒?変わった名前だ。
とにかくそういう人達が来たということらしい。
佐川先生宅の表門に向かって歩いているとそこから人の姿が小さく見える。
お辞儀をしてきたのでこちらもお辞儀で返す。木村さんだ。
こちらは相当色々無理して時間をつくって道場に来ているつもりだが、木村さんには本当にしょっちゅう会う。というか木村さんは一体いつ大学にいっているんだろう。
いくら国立でかつ大学教授が研究の時間をたっぷり持てるからと言って、これは尋常でない。研究はいつしているのだろうか?
はっきりしているのは木村さんの熱意は本物だという事だ。しかしこの人が国家公務員というところが少し腑に落ちない(笑)。
佐川先生宅の正門へ近づくと、木村先生が向こうから挨拶をしてくる。私も軽くお辞儀する。すれ違う時に何か言ったが、完全に聞き取れなかった。今日は少し早めに来てしまったので、
道場玄関前で少し待たせてもらおうと思っている。道場内ではドタバタ音がする。おかしいな、ひょっとして私は遅刻したんだろうか?いや時間は教わった通りの筈だ。
時々中から佐川先生の声が僅かに聞こえる。
「最近全然来てないので申し訳なくて、、、、」
「大丈夫ですよ。そんな事気にしなくて良い。先生には言ってありますから。」
夜の稽古では見たことがない年配の方々がそんな会話を交わしながら玄関の方へ近づいてくる。
私は邪魔にならないように玄関から少し離れる。その人達は道場内に入る。
176:名無しさん@一本勝ち
08/06/03 08:27:37 gLBKC1HH0
少しして、先ほど入っていった人の中の世話役らしき方の一人が、玄関からひょこっと半身を出してこちらに尋ねる「なにか?」
「あ、いえ、入門して間もないんですが、今日は時間をあやまって少し早く来てしまったので、、、、」と説明する。「名前は?」「@@です。」「入門してどれくらい?」「3日です。」
するとその方はしばらく間を置いてから「ちょっと待ってて」と中に入っていく。嫌な予感がする。
「入門して間もない人が来ているんですが、、、、」
そんな声が聞こえる!佐川先生相手に私の事を説明しているようだ、なんか分からないがヤバイ。話が訳の分からない方向に行っているような気がする。そもそもなんで今稽古やってるんだ?!
「ええ!?みっかぁ?みっかじゃ早すぎるよぉ、ははは」
佐川先生の笑い声が聞こえる。
何か分からないが、分かってます。分かってますよ。でも私のせいじゃないんです、勝手に話が進んでるんです!話が済んだらしく、その方がまたひょこりと半身を表に出してこちらを見る。
「そこで待ってて」
はい、最初からそのつもりでしたよ!ああ、何か冷や汗が出た。でも万が一OKとなっていたら面白い事になったような、、、。
この時、木村先生が言った言葉が理解出来た。
「まだ稽古やってるから、、、」
177:名無しさん@一本勝ち
08/06/03 08:29:13 gLBKC1HH0
今日は新たな入門者が来て、とても真面目そうな分厚い眼鏡をした方だ。たまたま私の隣に座っているので私は質問されたが「いや~、私もまだ間もないもんですから」とお互い笑いながら少し話し込んだ。
-----省略------
佐川先生と顔合わせで、木村さんが眼鏡の事を話した。眼鏡がないと稽古が出来ないくらい視力が落ちているという話を先生に説明し、眼鏡をつけて稽古は危険なので困るという内容の話になり、
先生は「困ったね~」と言われた。木村さんは説明を続ける。彼は太陽の光だとある程度ものが見えるのだが、道場の蛍光灯などの電気による明かりではダメなのだ、と。
先生はこれに関心を持たれたらしく「ほぉ~、それは面白いねぇ」と少し身を乗り出す。「やはり太陽には(にも?)、まだ分かっていないことが沢山あるのだろうね」と続く。
でもその時の先生の興味の持ち方は少し芝居じみているというか、わざとらしく感じだ。次からはスポーツコンタクトを用意して来るようにという事で話は終わる。
着想:
透明な力に書かれた内容のことで、再び確認のため木村先生に質問しようと考えたのだが、機会を逃してしまった。どうにも質問できる雰囲気じゃないけど、無理して色々な人に時々質問する。
それと足の踏み込み方、これも確認したい事があって稽古中**さんに聞こうとしたが、体よく無視された(笑)。まあいい。透明な力にある通り、手のやたら忙しいところを見るよりも、
相手の足下を見た方が参考になるのはよぉく分かりましたよ。ええ。佐川先生のやり方をみるときも、同じ諸手捕りでも、足下を見るときと、上半身を見るときでどちらが参考になるかといえば、
断然足下を見たときだ。
それと今日はついに驚愕の事実に気が付いた。皆門人の方々は、お気に入りの先輩に稽古をつけてもらうために順番待ちをしているようなのだ。そんなん知らなかったよ。勝手にやってたよ。
自分が怖いよ。あのざわめきはそういう意味だったのか、、、。昔友人に「お前はある瞬間にはこいつ天才じゃないのかとおもうような事をするが、次の瞬間には阿呆としか思えないような失敗するよね。
それも致命的な」となじられた事があったが、なんか本当にそう思えてきた、、、。本当に気を付けよう。
178:名無しさん@一本勝ち
08/06/03 08:33:03 gLBKC1HH0
色々道場内で聞く話を総合しておおよそ分かった事がある。それは合気の定義についてだ。
佐川先生しか合気がないというのはどういう意味だろうと常々思っていたが、木村さんに聞いた時も生返事だった。しかしおそらく、こういう事だ。
合気が出来るという事は、これは特殊な力、これは合気、と区別出来る事。自覚している事。
そして特殊な力でもそれが会得出来れば、多くの場合面白いように相手は倒せるので、話が面倒になる。しかし、特殊な力だけではそれについての抵抗力がついた相手には効かない。
合気が必要になる。自覚して使うのと無自覚に使うのでは次元が全く異なる、というのはどの技芸でも言えることだが、これはことさら合気においてはその違いがより顕著にあらわれる、という事のようだ。
つまり、無自覚に合気を使っている人は道場内にもいる可能性はあるが、それは合気とは言わない。そういう考えのように思える。それが佐川道場内での合気の定義に近いものではないか?
特殊な力というと一番顕著に感じたのは@@さんで、他の人達とは明らかに違っている。何度受けてもそうだ。
着想(先生がとある女性が黒帯と稽古しているところへ突然指導し始めたことに関して):
佐川先生はその女性が思う通りに動けないので、いったん癇癪を起こしそうになって大きく溜息をつき「困ったねぇ」「どうしたもんかね」と途方に暮れていた。
前述したようにそして一息ついてからまた指示しはじめたのだが、一つの抑えられ方に対してここまでポイントがあるのかという程細かい。これを形にしてやれと言われたら、
私は身動きが取れなくなってしまう。相手が抑え方を変えたらポイントもまた変わるのだろうから、形で学ぶとしたら、教える側は、それこそ一つの技に関する際限のない数の形を用意しないとならないだろう。
179:名無しさん@一本勝ち
08/06/03 08:33:51 gLBKC1HH0
それにしても面白かった。先生は指揮棒を振る指揮者がリハーサルをやっているかのようで、要するに第三者を通して、目と口だけで技を掛けているようなものだ。第三者の力量を把握して、
その上で敵に何が出来得るかを感じて、そして教えている。さっきポイントの話をしたが、第三者の力量が異なれば、また先生の指示も変わっただろう。
となると形にするとしたらその数はまさに際限が無く、そんな事に価値があるとはとても思えない。
体が必要な条件を満たしてある段階に至ると、今まで知っていた言葉や形が全く別の意味を持つ事がある。そして佐川先生をみると、その感をいっそう強くする。
やっている事は他とそう大きな違いはない。それよりも必要な体をつくる事が大事だ。肩の力を抜くと言うことと力まないという事がどういう事かを理解してからの体づくりで、
どんどん体を変えていかなければならない。
鍛錬というのは結局のところ、体の状態や考え方が変わり続けていくという事なのだと思う。そして副次的なものとして、必要な筋肉は付いていく。教える本人でさえ、体が変わり続ければ、
それに伴って言葉のや形が持つ意味も変わり続けているのだから、教えるという事は実は大変なことなのだと思う。
逆に考えると、考え方が昔と全然変わっていない人というのは、何も上達していないと言えるかも知れない。上達していればそんな事はあり得ないからだ。
木村さんと佐川先生が芝居じみた会話をするときは、私達に何か教えようとしている時ではないか。あるいは非常に個人的な会話に近いのかもしれない。
佐川先生は合気上げの時、一瞬、相手と自分の手を中心にみていると思ってしまったが、おそらく相手の膝や足、下半身に注視していると思われる。実際は手など眼中にないのかもしれない。
これは、私でさえ足を見ると相手がどんな手を使ってくるかある程度察知出来るので、多分佐川先生はおそろしく細かいところまで相手の動きを足や膝、下半身から読んでいるのではないか、
という想像である。他の数人の私が興味を持っている門人の方々も、やはり下の動きに注目しているように思える。
佐川先生は特に、半眼で常に下を向いているように見える。どのようにある精神の集中した状態を創るかは人によって異なる。
後の補足:合気ニュースで佐川先生追悼特集の表紙の写真。
180:名無しさん@一本勝ち
08/06/03 08:44:40 gLBKC1HH0
ある年配の黒帯の方「出身大学はどこ?」「**です」「ああ、あそこか、あそこは教授の墓場って仲間内では呼ばれてるところだ、
研究もろくに出来ない人間が老人ホームとして老後を過ごすんだよ、あそこで」「なんとなく分かる気がします(笑)」「あそこには確か、合気道の同好会があっただろ?」
「いや、知らないです。少林寺拳法部、空手部、柔道部ならありますけど」「そうかおかしいな」
こんな感じで延々と話ながら稽古をする人で、ああ、こんなのどかな雰囲気で稽古をするのも悪くないな、と思ったが、
-----------かなり省略&検閲-------------
着想:
あそこで実力がなくて年齢だけ重ねていく人は悲惨だ。黒帯であれじゃ窓際族じゃないか!でも可哀相な気もする。どうすれば良いのか?
181:名無しさん@一本勝ち
08/06/03 09:24:21 HEZFP9uyO
ひろりんごって、3ヶ月しか習ってないのに、
分かったようなことをずっと書いているの?
スゴイね。天才だね!w
182:名無しさん@一本勝ち
08/06/03 13:18:54 Bt8JvGkV0
文才は確かにすごいね!!佐川道場の末席門人にしては(笑
183:名無しさん@一本勝ち
08/06/03 14:12:00 ETZgjgu30
この「省略&検閲」というのは何ですか?
2ちゃんにコピペする時点でそういう配慮は無意味だし偽善としか思えませんが?
184:名無しさん@一本勝ち
08/06/03 20:00:23 tRbnvlxeO
アホの乞食は黙っとけ
コピペはコピペだろうが
185:名無しさん@一本勝ち
08/06/03 20:34:09 YGW7YCc80
真実よりコピペのほうが面白いってか・・・>w
186:名無しさん@一本勝ち
08/06/03 23:03:21 rU/nRAtx0
このスレ面白いね。
津本氏の本より生き生きと佐川道場の雰囲気が伝わる。
187:名無しさん@一本勝ち
08/06/04 05:02:52 /mOyyIiE0
すごいね。
本当の合気ってのを見てみたいね。
六方会の岡本先生のはちがうの?
俺 すこし養神館すこしやってた。
188:名無しさん@一本勝ち
08/06/04 08:25:53 zwsSnksp0
@@さんのコバ返しを受けている時に@@さんが「痛くないのか?」と聞いてきたので「はい、全然」と答えてしまった。その後しばらく地獄をみた。
やはりあの後は「痛いけど顔にぜんぜん出ないんです」と答えるべきだったと思う。一連の地獄が終わった後に「もっと強く掴め」と仰る。
「いや、もう腕に力が」と愛想笑いをすると、@@さんは「ええ?」と笑い返してきてさらにキツく技を掛け始める。一通り終わり、じゃ合気上げもう一度やろう今度は強く掴めるだろ、、、、
ってそんな訳ねぇだろ!超高速タップが身に付きました、ありがとうございました。
@@さんとの長い稽古が終わって次を待っていると、礼儀正しく「お願いします」とやってきた背が低めのゴツい先輩に付いていく。合気上げから始めようとお互い座ったその瞬間に大変な事態に気付く。
腕と胸の辺りから入れ墨が見える、、、、(汗)。もう色んな意味で力が抜かれてるんですけど、、、。この方は別段痛め技でやってこないのだが、さっきの稽古のお陰で少し曲げただけで痛いと感じる。
「どうした?」と聞かれたので「はい、少し痛くて」と答えると「大丈夫、そんなの3ヶ月もすればなんともなくなる」とアドバイスして下さった。いや、もう少し違う意味でいったんですけど、、、、。
ともかくとても礼儀正しい人であった。
思い切って**さんに聞いてみる。後ろに下がれなかったのですか?と
先生に殆ど触ったような瞬間に倒されたのだが、私としては一歩もしくは半歩足を引けば良いことではないかと思うわけだ。掴まれたり掴んだりしている訳でもあるまいに、それで十分対応出来るだろう。
でも全くそんな余裕がないのだそうだ。触れば転んでしまう。ちょっと耐えようとすると倒される勢いが増す。技を受ければ分かると思うのだろうけど、かえって訳が分からなくなるよ。と
189:名無しさん@一本勝ち
08/06/04 08:27:05 zwsSnksp0
黒帯で稽古相手に飢えている風な人が、ちょこまかと周辺の歩き回っている。仮にAさんとする。飢えているというと聞こえが悪いが、その人はとても誠実な人である。そして若い!しかも強い!
先生からかなり下手の方に、黒帯でやたらとキツい痛め技ばかりやる、白帯の多くの人から煙たがられている意地悪な人がいる。その人の前にその誠実な人がやってきて「お願いします」と言った。
これは面白い。白帯の多くが注視している。その黒帯の人はとてもいやな顔をしたが、Aさんは構わず合気上げで抑える側にまわる。Aさんは殆ど力を入れていないのが分かる。
黒帯の人は上げようとするが、Aさんは何か太いゴムの柱のようになってその力を吸収しているかのようだ。本当にビクともしない。全く上がらないのを確認するかのように、
Aさんはわざと倒れてあげていた。そして稽古は続く。
はじめてみた黒帯VS黒帯は大変面白いものであった。非常に参考になる事が多い。
------------省略-----------
ちなみにこの意地悪な黒帯に散々な目にあっていた人が「ざまーないね」とつぶやたのを私は見逃さない(笑)。私も少し共感する。どんなに痛め技をやっても、鍛える目的でやってくれている人と、
意地悪でやっている人は受ければ分かるものだ。そんなに沢山ではないが、人を痛めつけるのを趣味にしているような輩もここにはいる。でもこういうのはどこでも似たようなものである。
陰湿な意地悪さというものは私は大嫌いだ。
私の理解する限りにおいて、小手返しコバ返しは痛め技ではない。しかし痛め技にする事は出来る。しかし痛め技は本当に必要なものなのか、今のところは鍛錬に必要だという考えだが、
もう少し見極める必要がある。先日従兄弟にコバ返しの稽古相手をお願いしたら、従兄弟の手首にひびを入れてしまった。余りに予想外の事だったので慌てた。
素人相手に稽古をするときは、痛め技とは別のやり方を研究しなければいけないのかもしれない。
相手には痛め技を掛けてもらい。色々研究する。こちらは痛め技でないやり方で掛ける練習をして色々研究させてもらう。というのが一番良い気がする。
190:名無しさん@一本勝ち
08/06/04 08:31:46 zwsSnksp0
着想:
相手が力があればあるほど、有り難い。それだけこちらは力が出しやすくなる。
小手返しコバ返しは普通の意味での力は出しにくい。ということは、特殊な力の出し方をその稽古自体が求めていると言える。
少し早めに道場に到着する。この時間帯(※土曜日かな?)に来ると「みなさんこんばんは」とすればよいのか「みなさんこんにちは」とすればよいのか、どっちにすれば良いの?
なーんて事を悩んだものだが(※って書いてあるんですが、本人はどっちで良かったのかもう憶えてません、最初どっちかで言って何人かに笑われたと記憶しています)、少し慣れた。
道着に着替えて周りを見渡すと、数人はすでに稽古している。若い人で四方投げの練習をしているのだが、凄く上手いのが見ていて分かる。思うのだが、黒帯が黒帯相手にやっている稽古は面白い。
勉強になる。しかしそれにしてもこの道場はタバコ臭いというかカビ臭いというか汗くさいというか、しかも夏は自然の暖房で冬は自然の冷房が完備されているそうで、、、、
などと考えていると向こうから手招きする人がいる。同じ手招きでもこれは別にカチンともこない。やはりどんな仕草にも人柄というのはあらわれるのではないだろうか?
礼儀も本来は形式的なものではない筈だ。
191:名無しさん@一本勝ち
08/06/04 08:32:08 zwsSnksp0
少し世間話をしながら合気上げの稽古をするが、やってみると別段その人が凄いとは思わない。あるやり方をすると少し大げさに崩れるジェスチャーをする(※後にこれはとても役に立った)。
その人が上手くいっていると判断した時には「そう」「そうそれ」「うん」「おっ」と合図を送ってくる(※これも役に立った)。良く本などで抑えられたらビクもしないという話があるが、
あれは大げさな表現だと思う。私でさえ、誰とやっても動くし、ビクともしないなんて事はない。などとこの人に対しても同じ事を考えながらやっていると、次にこの人はやり方を変えて抑えて来た。
本当にビクともしない(笑)。何回か教えて、その後自分が試す、そんなやり方のようだった。この人は強い。そして教え方が上手い。とても優しい。そう思った。
でもなんというかやっている実感が薄いというか、はぐらかされているというか、なんとも煮え切らない気持ちになった。こういう教え方をしてもらうには、
まだ私はこの人を十分信用していない(※などと大それた事を書いてありますが、あくまで個人的なメモですメモ、、、)。
※この時の稽古してくれた方が、内野さんという方です。
192:名無しさん@一本勝ち
08/06/04 08:38:28 zwsSnksp0
佐川先生の座捕り合気上げの幾つかの方法の1つは、次のようなものだった。これはゆっくりみせて教えるようにして先生がやってみせたもの。最後は合気投げで締めくくった。
私の理解と推測の範囲では、次のようなものだった。
1.まず木村さんの手を力が出せない状態を仕掛ける(これは小手返しコバ返しで学べる事)。
2.上げる。この時は少し早め。しかし木村さんの腕が曲がって少し上がっただけで特別崩されたというような状態でもない。しかしとても視覚上奇妙な感じがする。3へ移る前に、この状態で少し間がある。
3.少し下げる。木村さんの肘が伸びる。
4.伸びた瞬間に、外見上は殆ど分からないくらいに、非常に僅かだが上げる。すると突然、木村さんは「ヒッ」と小さい悲鳴を上げて、畳がパタンと起きあがったかのように膝だけで立っている状態になっている。
ここまでが合気上げの原理の1つだと思う。ここでの私の理解は、
2で相手の首と背中の力を抜いてしまっているというか重心を上げてしまっている。
3で腰の力を抜くような感じで重心を上げる。
つまり、このやり方はすべて「引く」技術なのではないか?ただ、外見上や相手の受ける感覚としては、上げたり下げたりしているだけのように思えるという事。
相手にただ単に上げたり下げたりしているだけと相手に体感させるところにコツがあるようだ。この外見と目的が全く違うところが面白い。
193:名無しさん@一本勝ち
08/06/04 08:41:24 zwsSnksp0
---------かなり省略-----------
4の状態になると木村さんは手を離すことも力を出すことも出来ない状態らしく、「うっ」「くっ」と何とかしようとするのだがどうしようもない。
そして先生は両手で交互に円を描くようにして木村さんを回している。両膝に交互に重みが移っているのが分かる。これは片方を攻めているのだろう、という事ぐらいしか分からず、
さっぱり分からない領域だ。しばらく回して、小手を少し動かすと、木村さんはパターンと先生から左斜めに倒された。
2-3でまず「あの」木村さんの腕を曲がったり伸びたりさせて先生は自在にやっているのだが、これがとても奇妙で、例えるなら太いゴムの柱がビィーンビィーンと振動し続けているような感じなのだ。
そして4の状態になってからの佐川先生の手はまさに「生きている」と言うしかないような感じだ。しかも掴まれた状態で、全く力が入っていないのが分かる!演技じゃ出来ないってあんなの、、、、。
要約していうと、仕掛ける。上げるときビィーン。下げるときビィーン。ヒッ!。となる。さらに略すと、ビィーンビィーンヒッ、だ、、、、、、、、やめとこう、、、、アホみたいだ。
これをみてとっさに思い浮かんだのは「透明な力」で
「理論的に何人いて大きな輪を作っても同じだよ。遠くの方から倒れていくのだ」
と佐川先生が言っているpp.189-190での出来事だ。実際にどう崩しているのかはあくまで私がやっているやり方の1つからの理解なので、全く違う方法であることは当然あり得る。分からん。
また面白いのは、先生の技をみていると自分も出来るんじゃないかと思ってしまうところだ(笑)。名人芸をみるときに起こりがちな実感だ。
やってみると必要な体をつくるための鍛錬が絶対に必要だという事が分かり、がぜん面白くなって来る。体づくりに成功した者の前では、どんな技も無意味に等しいのだ。なんてエキサイティングな世界。
なぜ佐川道場で一元二元ばかりやるのかといえば、体づくりに成功しているものが如何に少ないか、それが如何に困難な道か、という事の証左でもある。
むろん、強くなって技が効かない体になっている人は沢山いるのだが、そこから一歩前に出られる人は---略----少ない。
技なんかとりあえず放っておいても忘れても良い。
体をつくってしまおう。私はいっそう強くそう感じた
194:名無しさん@一本勝ち
08/06/04 08:43:24 zwsSnksp0
このような話の後に先生は突然「体が大きくったって関係ないんだ」と少し声を低めにして先生から一番向こう側にいるある人の方角を見た。今夜来た門人の中では一番体格の良い方だ。
皆それに気が付いて、本人も気付き、本人は「え?俺ですか?」とでも言いそうな驚きの表情で自身を指さした。
上座にいる古い門人の方々が来なさいと手招きして、そそくさとその方は先生のところで先生の右手を自身の両手で掴み、先生は諸手取りでその人を投げた。
すると先生は「もっと強く掴め」といってまた掴ませ、今度はより遠くの方へ投げた。その人は大変感激したようだった。
--------省略------------
後の補足:この後のいつかの稽古でこの大柄な人と稽古したとき、それは確か2回目だったが、2回目の時、彼は引っ張って重心をとろうとするようなやり方で抑えたり合気上げをやっていた。
先生の技を受けて、そのような感触をもったのだろうか?だとすると合気上げのどの時点でそのような感触を持ったのか、おそらく最後のキメの部分だろう。
しかし、相手が引いたと感じた時には力が全く入らなくなっている筈だ。これが彼にはない。ただ引っ張っているだけ。引いたと感じたときには終わりなのだ。押したと感じたときには終わっている。
難しい。
195:名無しさん@一本勝ち
08/06/04 08:51:17 zwsSnksp0
今日はとてもガタイの良い男性が入門してきた。国体がどうのこうのと言っているようだが、柔道の人か?相撲?とにかく今道場内で知っている中では一番大きな人だ。
稽古相手を待っている黒帯の方々の表情は面白い。古参の方々はニコニコしている。若い人には顔がこわばっている人も何人かいる。まずは木村さんが相手をするのだが、
木村さんは「うわ、凄い力だ」とニコニコしながら合気上げから合気投げを繰り返す。その男性はすぐに力では抑えられないことを理解したようで、良くあるのだが、
何かしようとする瞬間に後や斜め後ろに避ける行動に出始めた。しかしこういう時は古い門人の方々は殆どの場合合気投げで対応するようだ。本当は反則らしいのだけど、後ろに逃げるのはね。
でも言い訳ひとつせずに掛けてしまう。手を離すと突いてくる人もいるのだが、それってアリなの?くっつくのいてしまうのが合気じゃない?
と思うのだが、合気が出来る人は先生以外いないという事のようで、まあいいかと思う。
196:名無しさん@一本勝ち
08/06/04 08:51:38 zwsSnksp0
やがておそらく今夜では一番年配の人が彼の相手をする。この方は5元まで直伝を受けた方で、こちらが上げられないように試した事があるのだが、
「まだやり方を憶えている最中だから」とたしなめられた。でも他の人はそんな事言わないんだけどな。だから実際どうなのかはまだ分からない。
やってみるとガタイの良い彼は遠慮しているのがありありと感じられる。そりゃそうだ。正面打ち腕抑えの稽古を彼とやりながらその先輩は「ウチはなんでもアリだからね」と木村さんと談笑しながら技を掛けている。
なんでもアリなんて事はないような、、、。それにしても年をとった人が夜の部は少ない。やはり難しいのだろうな、、、、。
その五元の先輩は腕押さえで彼をうつぶせにしたあと、両腕を後ろに絡ませ、そこを人差し指で抑えながら「動いてみろ」と言う。彼はバタバタするが動けない。色々試しているようだ。これは効いているようだ。
この稽古ともう一人の稽古が終わり、彼は今度は若い黒帯の人に稽古を申し込んだ。5元の先輩を相手にするときと同じような感じで、すると黒帯の彼はビクともしない。
彼は慌てて倒れてあげる。いくつか前の稽古相手が強すぎたから、今度はもっと若いので強いと思って、加減しなかったのかもしれない、推測だが。ともかくやさしい人だ。
この比較を見ると、結構5元の先輩は実は強いのかもしれないな。今は少しは技を憶えたから、今度------省略-------試しみよう。
197:名無しさん@一本勝ち
08/06/04 09:10:19 zwsSnksp0
>しかし、抵抗力という意味では通っているだけでも
>強くはなりますね。ここで言う抵抗力もちょっと説明は難しいですけど。
例えば合気ニュースなどで木村さんは「(佐川)先生のはいきなり中心にくる。それを受けてしまうと確かに他の人のは効かなくなるよね」と書かれていますけど、佐川先生による技とまでいかなくとも、
上手い人の技を受けると、相対的にそれよりも下の段階の人の技はより効かなくなる。そういう事は実際たくさんありましたね。
ですから、そこから佐川先生の技を受けるという事の価値もおおよそ想像するんですが、、、、。
効かなければやられなくて良いという雰囲気の中で受けをとっていれば、ちゃんと必要な体が出来てくる。後は自分の中で何が起こっているのかを自覚すれば良い。
自覚してからが本当の鍛練。そういう所は面白いなと思いました。「教わる」というのはこういう事か、と。
198:名無しさん@一本勝ち
08/06/04 09:12:30 zwsSnksp0
下は(少なくとも私にとっての経験としては)非常に難しいものですから、感覚的に話さざるを得ません。殆どすべて感覚的な話です。しかし感覚的な話ではありますが、やはり初歩は初歩です。
いったん出来るようになれば「この程度のものか」という程度のものです。合気上げの際に私がどうやっているかという事です。
最初に説明する合気上げの過程は、順番に書いていますが、実際は同時に発生しています。
1.まず、本当に小さな力を働かせて相手に力を出させます。これは絶対に出ます。相手はこれを防げません。防ぐには逃げるか倒れるかこちらに攻めてくるしかない。
これは人間の条件反射などのやがて慣れるに従って対応出来てしまう領域ではなく、絶対に対応出来ない領域があるのでそこを狙うのです。
2.次に、相手の力をあらかじめ用意してある力の貯蔵庫にスッと入れます。相手の物理的な力は大きければ大きい程良い。
3.結果的に、こちらは常時供給のある相手の力を必要に応じて適量使う。
4.1.~3.までを途切れなく繰り返す(慣れてしまうと全く難しくありません)。
このやり方の特徴は、相手を無視出来るというところです。そしてこちらは相手に技を施すために動くだけで良い。ここで書きましたが「ただ自分に神経を集中するだけで良い」のです。
まさに相手を楽器のように見立てる事が出来る。柔術の知識はあればある程良いですが、佐川先生の大東流でいうところの一元の中途半端な理解でも十分です。
これは力学的に人間の一番強い運動線を知っていれば良いのです。要するに自分が壊れないようにする事は最低限必要だという事です(余談ですが、
痛め技を詳しく知っていると相手がどの程度意地悪でやっているのかより良く分かりますね。またどの程度善意を持ってやっているのかも)。
器楽奏者にも楽器に対して必要な最低限の知識があるのと同様です(プロの器楽奏者でも楽器に詳しい人と無頓着な人がいます、後者の方がマイナーではありますが)。
私はどうしても余り柔術には興味が持てません。仕方なくやるという感じで消去法で柔術は勉強します。でも知っていた方が良いに決まってます。これは性分だから仕方がないですね。
199:名無しさん@一本勝ち
08/06/04 09:16:46 zwsSnksp0
ここで一番難しく根本的な部分は「あらかじめ用意してある力の貯蔵庫」をどうやってつくるかという事です。
これを人に教えるとするとどういう事を守らせれば良いかと考えますと、次のような事を守れば良いと思います。
1.相手(物体)との関係で絶対的に起る事を探し、それを自分に有利に動かす方法がないか考える。
2.体幹部や上腕部を外見上出来るだけ動かさずに(非常に重要)、相手(物体)の力を感じない方向に自身を動かしつつ、攻め続ける(攻めがなければそれは意味がない)。
200:名無しさん@一本勝ち
08/06/04 09:18:47 zwsSnksp0
相手の力を自分の中に入れてしまう時、相手の力は殆ど感じられません。それが一つの特徴です。逆に言うと"力を感じないという事は力が正しい道を通過して通っているという事"であり"
相手の力を感じない事が相手の力を使っている事になる"のです。なぜそうなのかを説明出来る自信は全くありませんが、経験上はそうなのです(非常に曖昧な部分であるにも関わらず、非常に重要な部分です)。
それを理解するにはまず不用意に動かず、ひたすらやられる。つまりもし忍耐があるならば、受け身に徹する事が一番良い。でもこのような事は後々分かってからそう思うのであって、普通は我慢出来ませんね。
上手い人程自分の力を使わなくなるので、自分の力を喜んで使ってくる素人相手の受け身の方が何かと得るものが大きい。相手の力を使うという事がここで一貫して流れているテーマだからです。
上手い人はこちらの力を燃料に使おうとしているので、勘の鈍い人では分かりにくい事が多い。なぜなら、上手い人程相手に分からないようにするのが技と考えるし、それは正しいからです。
正しい技は商業主義的なものと真っ向から対立します。何が起っているのか分からなければ商売にはなりませんからね。
201:名無しさん@一本勝ち
08/06/04 09:23:06 zwsSnksp0
力を感じないようにするにはどうすれば良いかを工夫し続けると、最後には注目すべきポイントが足の裏に行き着きます。こうやって力の正しい通り道を形成していくのです。
足の裏は力の出発点であると考えるのが普通だと思いますが、出発点が地面と接している事で自然に発生する力と相手(対象)からやってきた力がぶつかってそこで力を感じてしまう。
そうなるとそこで結局力と力の勝負になってしまい。勝てません。ですから地面からの力を意図的に来ないようにしないといけない。地面から来る力が今回は邪魔なのです。
どうすれば良いのか?私の結論としては"踵を気持ち地面から浮かせて、親指も指先の先以外は気持ち浮かせる"という事です。人間は立っている時、親指と踵からは普通地面から力をもらって何かをするのが普通なので、
接地しているのが普通だと思いますが、これは対象から力をもらうという事をするので普通とは逆の事をするのです。感覚としては相手の力が落ちてくる落とし穴を常時用意してあるような感じです。
相手の力が最後にそこを通るようにする事で、力を常時逃がしつつも、必要な力は貯蔵庫に確保するという事を、このようにして同時に行います。
ここまで書いている事は一言でまとめて言ってしまうと
「相手の力に対してある受動的な反応をする体にし、相手の力を出す」
というのが私のやり方です。当たり前ですが、例えば、外見上踵や親指を浮かせたからといって同じ事が出来るわけではありません。
呼吸の話でも「腕の動きは呼吸による技術を使っている事による反応なわけです」と書きましたが、同じ事です。円運動や螺旋の動きも同じで、それは何かを得ようとした事による外見上の結果に過ぎないのです。
結果ばかりやってもその中身は空っぽなわけですから、何も起きません。何もないのと同じです。中身を持っている人が結果をみてはじめて役に立つ。中身を持っている人だけがその結果が何を意味するのかを理解します。
202:名無しさん@一本勝ち
08/06/04 09:23:32 zwsSnksp0
木村さんは入門した人に合気上げの稽古をする時、必ずといって良い程「持ったところにだけ力を集中」と言ってましたね。
これ自体もう大変な意味を持つ事なんですが、分からない人には何を意味するか良く分からないでしょう。他の表現にした方が分かりやすい人もいたでしょうし、まあ、自分にあったアプローチというのはあると思います。
皆さんがご存知のような基本的な事もちゃんと踏襲していました。脇をしめるのはそうしないと肩に力が入ってしまうから、とか、稽古は確認の為、とか、小手を張る(手首の中に力を入れると言っている方もいた)、
とか、小手返しが如何に難しい奥の深い稽古かという事を伝える為に「大丈夫、合気道@段とかいっても"これ"が出来ないんだから、時間はタップリあるよ」とか少々辛口に表現したり、
私が「この道場でも人によって全然やり方が違うんですね」と言うと、ちょっと辛口過ぎてオフレコな事も沢山いったり(笑)、一言で言うと、本当に武術が好きな人、それと、武術であっても、
興味のない事には驚くほど無知(実力のある人というのはそういう傾向がありますね。こういうところからも学ぶべきところがある。知識が上達の妨げになるという事があるんです。
だからたくさん情報を持ってても「すごいね、でもそれがどうしたの?」という事になる)。
203:名無しさん@一本勝ち
08/06/04 17:55:06 jESb+9r90
これってあそこの掲示板の過去スレをわざわざコピペしてるの?
それともあそこの掲示板に書かれるたびに自分のパソコンにコピペしておき、
それをまたココに貼ってるの?
まあどっちにしても暇なんだねw
204:名無しさん@一本勝ち
08/06/05 00:18:50 Ck3I5xNh0
コピペをこれだけできるということ、このエナージはどこからくるのか、
またその目的は? 分からないだけに、しばし注目して吟味してみるか。
205:名無しさん@一本勝ち
08/06/05 00:30:45 bypZwg9K0
当の管理人ももう意味を感じないだろう。昔の自分の書き込みには。
206:名無しさん@一本勝ち
08/06/05 00:49:20 bypZwg9K0
あそこの過去ログ見るとあれ?この人糸口掴んでるんじゃないの?
って人が何人かいるよな。
一番初期の頃の書き込みで感覚のレベルで把握していながら
理をはっきり掴めなかったばかりにできなくなった人がいたりして面白い。
津本氏が中学の頃に100発100中で抜き胴が打ち込めたが
あまりに簡単にできて面白くないので練習サボったらできなくなったって
話を小説(たぶん柳生兵庫助)でしてたような気がするけど、
あれはどうなんだろ。糸口をそれと知らずに掴んでいたのか、それとも…
207:名無しさん@一本勝ち
08/06/05 02:19:16 dzKmSSNO0
こういうのは一度出来たら一生出来ると宇城さんもいってるから
急に出来なくなったということは最初から出来てなかったんだろう。
208:名無しさん@一本勝ち
08/06/05 07:22:54 Y5Xc4zTg0
振り返ってみると、私はたまたま佐川先生の体調が良くて機嫌が良い時に入門したようで、運が良かったというのもあったみたいです。木村さんも当時、
"先生は不機嫌になって稽古にも余り出てこなくなってたんだけど、最近また色々やって下さるようになってまたすっかり技も変わってしまった"と、そういう内容の事を説明してくれました。
かなり無理をしているのは分かったけれども、座捕りの合気上げもやってみせてくれましたし、立って多人数掛けや、相手が攻めてくるのを待たずに自分から出ていって技を掛けるようなものもやってみせてくれました。
先生が不機嫌な時は私もいくつか印象に残ってる場面がありますけど、体調が悪いのか嫌っている人間が来てるのかどうか分からないですけど、何にも技をみせてくれないんですよ。
それで「なにをやってるんだ貴様はぁ~!!」ってどなり散らして、多分どなられた人は何か伏線があって分かるんでしょうけど、こっちは誰がどなられたのかさっぱり分からない。
そんな感じで稽古も終わってしまい、はるばる先生の技を観に来た身としてはがっかり、なんていう日もあった。こっちは時間を無理して削って来てますから、疲れが一気に来るというか、
本当にがっかりしました(笑)。おまけにそういう日に限って周りに避けられているような人が稽古付けてくれるし、、、(笑)。
一日や二日でやめてしまった人の中には、ひょっとすると先生の技を一度も観ないでやめてしまった人もいたかもしれません。
209:名無しさん@一本勝ち
08/06/05 07:23:16 Y5Xc4zTg0
ところで、私はこの出来事で、先生の突きを初めてみたんです。それがどう説明して良いのか分からないんですけど、何か違うんですね。私が一般的に知っているような意味での突きと。
それからしばらくして道場はやめてしまって、鍛練の何か役に立つ部分はないかという事で、ずっとその意味を考えていた。それで私はある時、「ああいう突きは、一元の小手返しやコバ返に由来するというか、
その辺から分かってくるようなものではないか」と考えるようになっていった。でもやはり分からない事が多々あり、どうしたものかなと思っていると吉丸慶雪さんが
「合気道の奥義」という本を出して読んでみるとそこに佐川先生の発言として「多人数を相手にする場合拳頭は関節であり弱いので小手で突く」「拳を強く握ると集中しにくいので軽く開き気味にする」
「実戦ではまず目を当てる。手を持ってくれば拳で手甲を当てる」と書かれている部分があり、それでピンと来た。ピンと来たというのはつまり、佐川先生のやっている事がすべて分かったという意味ではもちろんなくて、
自分の鍛練に役に立てる方法が分かった。
そのようにして少しずつ、先生の技を観た経験が役に立っています。木村さんは私の入門時(実際どんなものなのか確かめに来ましたというような野次馬的発言に対して)、
「まあ、あれ程の方ならば一見するだけの価値はあるよ」と言われていましたが、果たしてその通りになった。
ところで私は思い出せない事があります(というより雑多な事はもう殆ど忘れてしまっていますね)。門人証は閉じた状態でタテ11cmヨコ8cmですが、それを開くと右側に住所名前生年月日を書くところがあるでしょう?
そこに解読不能な字(笑)でそれらが書かれているんですが、これは佐川先生が書いたのか木村さんが書いたのか、あるいは他の方が書いたのか、思い出せないんですよ。
一般的にはこれは誰が書くとか決まっていないんでしょうかね。
210:名無しさん@一本勝ち
08/06/05 07:26:03 Y5Xc4zTg0
この先生の合気上げの一手はもう少し説明しますと、皆さんが合気上げを真面目にやっていれば分かるような攻め方とかそういったものをまずはじめに全部やってしまうんです。
いったん少し上げてしまうことろまでやる。でも木村さんには全く何も起こらない。いったん上げた時にはでも、これは説明出来ないんですけど木村さんの体の状態が変わってしまっているのが視覚的にも分かる。
そして手をある位置におろして静止した状態になって一秒ほど経ってから突然、折った折り紙を広げていくように、時代劇の忍者が畳み返しをする時の畳みたいにパタンと、
「ヒッ」と悲鳴を上げた木村さんはもう膝だけで立っている状態で何も出来なくなっている。一人時間差攻撃とでもいうんでしょうかね(笑)?どうやったらああいう事が出来るのかさっぱり分からない。
とにかくそのようにして先生は、相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術の原理を会得するとこういう事が出来るんだよという事を沢山示していましたね。
あ、そうそう、私は合気ニュースは読んでないので分からないのですが、もし木村さんが原理を会得したというのならば、それがより明確になるのはまだずっと先の事ではないかと思うんですが、、、、。
それと、公にそういう事を言っているという事は道場内の方々が認める何かがあったのかもしれない。ホラを吹いているのなら道場内の方々が黙ってないでしょう。あそこは。
私としては、先生のやっていたような次元の違う事に、つまり目先の事に囚われるよりも、先生は相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術がなくとも、本当に鍛えればどういう事が出来るか、
そういう事を「透明な力」では佐川先生は色々発言しているわけです。そういう事を地道に考え、また鍛練を続けて行きたいと思います。
211:名無しさん@一本勝ち
08/06/05 07:27:37 Y5Xc4zTg0
私が佐川先生の技を観た時は、つま先立ちになるような状態は殆ど見かけませんでした。先生はすぐ投げたり極めたりしていましたから。
つま先立ちになるのは相手を逃がさないようにしておく時にそうなるんだと私は思います。頑張ろうとする相手をダメな状態にして逃げられないようにしておいて、あとは技を掛けるだけという状態。
佐川先生が合気上げを木村さんに掛ける時、上げて木村さんを全くダメな状態にしてかつ逃げられない状態にしている時は、木村さんは膝だけで正座しているような状態で他は気持ち浮いていました。
これも同じ事だと思います。それから佐川先生は"ほら、全然逃げられないでしょう”と主張するかのように色々掴まれた手を動かしてみせるんですね(必然性があって動かしたかもしれませんけど、
私には分からない事が多すぎるので、、、)。あれはきっと、手を離して倒れ逃げも出来なかったのではないかと思います。そういう状態だった。そして合気投げで木村さんを投げた。
212:名無しさん@一本勝ち
08/06/05 07:31:15 Y5Xc4zTg0
私は佐川道場で、今は高橋賢さんのところにいる門人の方ですけど、入門当初その方が「ここでは踵を上げていないと注意されますから」と教えてくれた事があって、それをずっと考えていました。
それである時だいたい分かったのは、股関節付近の機能を一度整理してある種の統一した機能に変える為には、踵を上げるというのが結局は一番都合が良いんです。
そういう事が分かった。第三者的に解釈するとどうなるかは分かりませんけど、やってる本人としてはそういう"感覚"なんですね。
踵を付けた状態だと長年の習慣で付いた癖に気付きにくい。昔妹夫妻の二人の子供が立ち上がるようになるまでの成長を観察する機会があって、人間というのは立ち上がるようになるその過程も個性がある。
それは癖で、自然に身に付いたものですが、それを最初から作り替えるには癖に気付かないといけない。
では踵を付けた状態でそれが出来ないのか?実はこれは可能だという事も分かった。ただし、それは体系の一つとして優れた歩法が教授法としてあってはじめて可能になる。
でもどの歩法が優れているかなんて素人には容易に分からないし、価値が分からないと真面目にやりませんからね。結局は踵を上げる事がもっとも確実で効率が良い。そういう結論に至った。
一度分かれば表面上は上げても上げてなくても関係ないですけどね。
こういう事が分かるようになってから、足の踏み方、踏み込み位置、一足一刀という事も真剣に研究していけるようになりました。だいたい足裏で相手の力を色々出来るようになると、歩法も面白くなりますね。
中国武術などは本当に優れた体系の場合、立ち方を細かく、足の踏み方も含め教えてくれますからね。問題はそれが優れた意味のあるものかどうかという事なのですが、
それはもう、そういう本質的な部分を見抜く眼を養うしかない。
しかし歩法の本当の価値が重要になるのは上半身が必要な状態になってからなので、それがまた難しい問題ですね。上半身の方が難しいかもしれない。
また、踵を上げたから必ず分かるという内的感覚ではないし、あくまで、それで相対的により確実であるというだけですから。
213:名無しさん@一本勝ち
08/06/05 07:35:02 Y5Xc4zTg0
>「透明な力」では佐川先生の出される技をレーザー光線のような、という表現がありましたが、ひろりんご様のいう電気按摩に相当するのでしょうか?
これに関しては想像の域を出ませんが、相手に電気按摩のように感じさせる体の段階というものがあって、その先に佐川先生のような段階があるのではないか、と思っています。あくまで想像です。
また、レーザー光線のように感じるのは力を抜いてかつ木村さんのような体の段階に至っているからで、例えばある稽古の日に佐川先生が「体がいくら大きくたって関係ないんだ」と言いながら、
いつも技を掛けている門人の方々とは別の黒帯の方に技を掛けた事がありました。その方は、その稽古日では一番大きな体格の良い方で、先生の技を受けたのは初めてだったようで感激していましたが、
技を掛けられて投げられても全く手ごたえを感じない、やられている実感がないという風でキョトンとしていました。先生はさらに「もっと強く持て」と言ってさらに技を掛けていましたが、
多分この方はレーザー光線のようなものを先生から感じ取れなかったのではないかと思います。
ところで、その方は以前稽古をやった事があったので以前とどう変わっただろうと思っていると、合気上げの稽古でおさえる際も上げる際も、しきりにこちらを引っ張るような事をやっていました(笑)。
以前はそういう事はやっていなかったので、とても面白いと思いましたね。ご本人は佐川先生の技に対してそういう印象を持ったという事かもしれません。
この方は一般に知っているような意味での、皆さんが良く知っているような体の持ち主でした。
でもここで大事なのは、相手から何か感じとれたからといって、武術として強いわけではないという事です。それは強調してもし過ぎる事はない。上の段階に至るには結局そういう能力が必要になる、とは思いますけどね。
強さを追求している人は強くなるにつれて場合によってはこれがどんどん鈍くなるので、これを強化するもう一つ別の方法を持っていないとならない。
そうしないと例えば佐川道場のようなところにいくと「一からやり直し」という事になり、まずひたすら力を抜く事を身に付けて色々な事を感じとる事をおぼえていく必要が出てくる。
だから佐川先生でさえ、そういう事を可能にするには執念を二つに分ける必然性があったのだと私は思います。
214:名無しさん@一本勝ち
08/06/05 07:38:44 Y5Xc4zTg0
>その中で、まだ体そのものが鍛錬によって変わっている、という方がいた経験は未だありません
あくまで私の一個人の意見として聞いて欲しいのですが、佐川道場の中だってそんな人は殆どいませんでしたよ。だから本当は、鍛練がいかに難しいかという事だと思うんですけどね。
それは筋力トレーニングはもちろん大変ですけど、全く違う方向性を持った大変さです。だから佐川先生でさえ、そういう事を可能にするには執念を二つに分ける必然性があったのだと私は思います。
鍛練の一番楽しい部分というのは、やはり他の分野に応用が効くという事でしょう。武術だけにとどまらない。木村さんだって、私はまだ合気ニュースは読んでいないのでどなたか訂正して欲しいんですが、
武術に注いだエネルギーをそのまま数学の研究に持ってくる事が出来たというような発言をしているそうですね?そのように、鍛練というのは自分が関心を持っているすべての事に関わって来て、すべてが変わってしまう。
つまり応用が効く。もし武術が武術だけにとどまっている存在であったなら、私はとても続きません。武術を使う場面なんて実際は殆どないわけですから。
215:名無しさん@一本勝ち
08/06/05 07:39:05 Y5Xc4zTg0
木村さんは私に一度「肩に力が入らなくても済むように脳の回路をつくりかえないといけない」と言っていた事がありました。やってる人なら当たり前のように分かる事ですが、姿勢が変われば脳の状態も変わる。
手の形だってなんだってそうです。だから脳の事を考えて行く事は、結局は姿勢や体の使い方を考えて行く事になる。「透明な力」は佐川先生の考え方が書かれている。考え方というのは脳の働きです。
だから「透明な力」を通して先生の脳の働きがみえる可能性がある。という事はそこから姿勢も分かる可能性がある。他も事も色々分かる可能性がある。「透明な力」はそのようにして私の役に立っています。
私は佐川先生の性格というか気質だって脳の状態と関係があると思っています。そうなると先生の一見マイナスに思える性格も、馬鹿にしてはいられません。何か意味のある事かも知れない。
だいたい先生と親しい門人の方々は人柄の良い方ばかりで、木村さんは私から観ると例外的に少々意地悪で天の邪鬼(まあ、一般的に言って、数学者は天の邪鬼が多いです)
のような性格の方で佐川先生にその点は似ていると感じましたが、今考えるとそういう事も意味のある事なのかもしれないと思えてきます。
216:名無しさん@一本勝ち
08/06/05 07:41:32 Y5Xc4zTg0
私は脳の状態から姿勢を創っていき、(手腕の状態を含む)姿勢から脳の状態を創っていく、そういう過程で鍛練によって体を変えていくという事を今までさんざんやってきました。
これはもともと私自身がそれが正しいと経験から考えていた事もあるのですが、やはり佐川先生の実際の技を観た経験が大きかった。そこでより確信を持ったという事はあった。
また木村さんのいくつかのアドバイスもその確信を補強する事になった。
例えば佐川先生や一部の門人の方々が技を掛ける時に、「(木村さんなどは)スゥ~~ット」などと言いながら技を掛けたりする訳です。
そういう時、つまり技を掛ける時と通常の世間話をしている時の意識の違いが声としゃべり方に出ていた。少なくとも私はそういう捉え方をした。
高橋さんとかは佐川先生の聞き取りにくいしゃべり方まで真似しているような感じでしたね(写真などを観ても、先生みたいに口をとがらせたりしているでしょう?)。
高橋さんはとてもやさしい方なのですけど、だから稽古中言っている事が良く分からない事があって困りました(笑)。高田さんもどちらかと言えばそう。他の上手い方々もそういう面があった。
私はそういう風に感じていた。実際確認しなかったから分からないですけど、脳の状態が声に現れるのだとしたら、そういうしゃべり方を真似していくという事も意味があるでしょう。
そういうところをみて、「ああ、先生の技を掛ける時には意識が何か通常と違うところに在るのだろうな」という事をより自分の中で明確にしていったのですね。
217:名無しさん@一本勝ち
08/06/05 07:46:22 Y5Xc4zTg0
やり方とか形などよりもなぜ脳の事をあえて取り上げる必要があるのかといえば、形にあらわせる明確に出来る事というのはほんの僅かで、その先にはすぐに目印も何もない世界があるからです
(形では正反対な事をやっているように見えても、実はそこには全く同じ狙いがあるという事もあり、形というものは普通の人が思っている以上に不確かなものです)。
それをどう解決するかというと、脳の回路の状態を目印にするという事です。技が相対的に、以前よりも楽に掛かった時の、脳の回路の状態を憶えておいて、その状態をつくると手腕の内部はどのような感覚になっているか?
体はどうなっているか?そういうところをチェックしていって「内部を調整していく」。そうやって鍛練によって少しずつ体を変えていく。強くしていく。
佐川道場で教わっていて、私自身が考え続けて来た事と共通する部分はいくつかありましたが、その一つはこのような部分でした。佐川道場では初期の段階ではこのような事を教えているようでした。
218:「相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術」=合気のこと
08/06/05 07:55:19 Y5Xc4zTg0
先生の技術というのは道場にいるから出来るというものではないと思っています。佐川先生の定義する「相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術」は教えられる種類のものとは違う。教えられないとすればどうすれば良いのか?
それは通常とは全く異なる発想によるアプローチで臨む必要がある。また同じ名称の技術について語っている人が、この技術を教えられる種類の技術であると主張しているならば、それは、程度の問題はさておき、
先生の定義している技術とは異なる。これはもう、はっきり言える事です。
本でもそう書かれているし、先生自身もそう言っていました。それを理解した上で先生の技術をどう思うかは、もう個人の自由なのであって、ともかく先生はその上で、例えこの技術がなくとも、工夫次第であれもできればこれも出来る、
という内容の事を言われているわけですね
ですから、私は、それ程道場にいる事に執着はなかった。十元で構築されている佐川先生の体系というものにはそれほど関心はなかったし、私は私の目的を達成出来ればそれで良かったのです。
そしてそれを先生は与えてくれたからこそ(また私はそれに値する努力をして来ていたと思っています。だからこそ、自身の欲しているものを手に入れる事が出来る)、感謝しているわけです。人間というのは不思議なもので、
本当に大事なものを貰うと、相手がどんなに自分と馬があわない苦手な人間であっても、最後には感謝の気持ちしか起きないのですね。
いくら良い人に親切に教わっても、逆に不機嫌になる事もある(笑)。心というものは正直で、自身が欲しているものはちゃんと分かっているんでしょう。自分の心が分かっていない人間というのは、目の前に石が転がっていてもそれに気付かず、
それに勝手につまづいて、それを石のせいにする。これは私の師匠が良く言っていた事ですが、本当にそうだと思います。
時間が許せばずっと道場にいたでしょうけど。あそこの道場で経験した事によって、例えどこにいてもやれる事は沢山ある。そういう事が分かった。
あの道場では「最初の3年間くらいはやられるのを楽しむくらいでないと」「最初の内は出来るだけ毎日稽古に来る事」とも言われましたが、確かに上手い人に掛けてもらえばそれは確実に効果がありますが、
いったん自分で体を変えていく事をおぼえてしまえば、それにこだわる必要はないと思いました。
219:名無しさん@一本勝ち
08/06/05 07:55:45 Y5Xc4zTg0
肩の力を抜くという事に関しては、一般的に言って、そんなに深く考えなくても(例えば先天的に恵まれた体格である等の理由で)格闘技的な武術的な目的を達成出来る事が多いので、
武術という狭い世界の枠内で生きているとついつい軽視してしまう傾向があると思います。実戦とか実用とか役に立つかどうかという発想に固執するとみえなくなってしまうものがあるのですが、
肩の力を抜くという事もその一つです。実際、格闘技や空手、柔道、合気道、大東流、なんでもそうですが、武術をやっている人でその事が分かっている人は本当に一握りです。これはあくまで、
そういう下らない事に執念を燃やして、二十数年ずっと研究を続けた人間による、個人的な意見ですが。
しかし、これはある意味仕方のない事です。なぜなら、それだけ武術を実戦で使える実用のものにするという事自体が大変なので、その事に精一杯で、その目的から(見かけ上は)外れているものに頭が動かなくなってしまうのです。
それが一般的に殆どの凡人に起こっている事なのでしょう。これは武術に限らず、他の分野でもそういう事はある。
佐川先生でさえ、肩の力を抜く事はさんざん鍛えてようやく出来るようになる、という風に言われていますね。肩の力を抜く事を会得した人は、大東流でいえば、特に合気上げとつかみ手の技術が全然違ってくる。
合気上げは確かに(実際は上げるという動作自体が肩の力を抜くコツとさえ言えるのですが)、肩の力を抜くという目的からは、一見相反する矛盾した稽古方法のようにみえます。
佐川先生の小手返しの稽古方法も、普通の一般的な力でやろうとするとやり難い、非合理的なやり方という事になってしまう(というよりあの小手返しはめちゃくちゃ難しいのですが、、、、)。
痛め技でも掛けられますが、しかし、だったらなおさら非合理的に思える。あのやり方でわざわざ痛め技を習得する必然性はないように思えます。
ともかくそのようにして、稽古方法にはハードルが設けられていて、求められている方法目的以外では技が掛かり難いようになっている。そこに気付くのが最初の段階なのでしょう。