08/06/04 09:18:47 zwsSnksp0
相手の力を自分の中に入れてしまう時、相手の力は殆ど感じられません。それが一つの特徴です。逆に言うと"力を感じないという事は力が正しい道を通過して通っているという事"であり"
相手の力を感じない事が相手の力を使っている事になる"のです。なぜそうなのかを説明出来る自信は全くありませんが、経験上はそうなのです(非常に曖昧な部分であるにも関わらず、非常に重要な部分です)。
それを理解するにはまず不用意に動かず、ひたすらやられる。つまりもし忍耐があるならば、受け身に徹する事が一番良い。でもこのような事は後々分かってからそう思うのであって、普通は我慢出来ませんね。
上手い人程自分の力を使わなくなるので、自分の力を喜んで使ってくる素人相手の受け身の方が何かと得るものが大きい。相手の力を使うという事がここで一貫して流れているテーマだからです。
上手い人はこちらの力を燃料に使おうとしているので、勘の鈍い人では分かりにくい事が多い。なぜなら、上手い人程相手に分からないようにするのが技と考えるし、それは正しいからです。
正しい技は商業主義的なものと真っ向から対立します。何が起っているのか分からなければ商売にはなりませんからね。
201:名無しさん@一本勝ち
08/06/04 09:23:06 zwsSnksp0
力を感じないようにするにはどうすれば良いかを工夫し続けると、最後には注目すべきポイントが足の裏に行き着きます。こうやって力の正しい通り道を形成していくのです。
足の裏は力の出発点であると考えるのが普通だと思いますが、出発点が地面と接している事で自然に発生する力と相手(対象)からやってきた力がぶつかってそこで力を感じてしまう。
そうなるとそこで結局力と力の勝負になってしまい。勝てません。ですから地面からの力を意図的に来ないようにしないといけない。地面から来る力が今回は邪魔なのです。
どうすれば良いのか?私の結論としては"踵を気持ち地面から浮かせて、親指も指先の先以外は気持ち浮かせる"という事です。人間は立っている時、親指と踵からは普通地面から力をもらって何かをするのが普通なので、
接地しているのが普通だと思いますが、これは対象から力をもらうという事をするので普通とは逆の事をするのです。感覚としては相手の力が落ちてくる落とし穴を常時用意してあるような感じです。
相手の力が最後にそこを通るようにする事で、力を常時逃がしつつも、必要な力は貯蔵庫に確保するという事を、このようにして同時に行います。
ここまで書いている事は一言でまとめて言ってしまうと
「相手の力に対してある受動的な反応をする体にし、相手の力を出す」
というのが私のやり方です。当たり前ですが、例えば、外見上踵や親指を浮かせたからといって同じ事が出来るわけではありません。
呼吸の話でも「腕の動きは呼吸による技術を使っている事による反応なわけです」と書きましたが、同じ事です。円運動や螺旋の動きも同じで、それは何かを得ようとした事による外見上の結果に過ぎないのです。
結果ばかりやってもその中身は空っぽなわけですから、何も起きません。何もないのと同じです。中身を持っている人が結果をみてはじめて役に立つ。中身を持っている人だけがその結果が何を意味するのかを理解します。
202:名無しさん@一本勝ち
08/06/04 09:23:32 zwsSnksp0
木村さんは入門した人に合気上げの稽古をする時、必ずといって良い程「持ったところにだけ力を集中」と言ってましたね。
これ自体もう大変な意味を持つ事なんですが、分からない人には何を意味するか良く分からないでしょう。他の表現にした方が分かりやすい人もいたでしょうし、まあ、自分にあったアプローチというのはあると思います。
皆さんがご存知のような基本的な事もちゃんと踏襲していました。脇をしめるのはそうしないと肩に力が入ってしまうから、とか、稽古は確認の為、とか、小手を張る(手首の中に力を入れると言っている方もいた)、
とか、小手返しが如何に難しい奥の深い稽古かという事を伝える為に「大丈夫、合気道@段とかいっても"これ"が出来ないんだから、時間はタップリあるよ」とか少々辛口に表現したり、
私が「この道場でも人によって全然やり方が違うんですね」と言うと、ちょっと辛口過ぎてオフレコな事も沢山いったり(笑)、一言で言うと、本当に武術が好きな人、それと、武術であっても、
興味のない事には驚くほど無知(実力のある人というのはそういう傾向がありますね。こういうところからも学ぶべきところがある。知識が上達の妨げになるという事があるんです。
だからたくさん情報を持ってても「すごいね、でもそれがどうしたの?」という事になる)。
203:名無しさん@一本勝ち
08/06/04 17:55:06 jESb+9r90
これってあそこの掲示板の過去スレをわざわざコピペしてるの?
それともあそこの掲示板に書かれるたびに自分のパソコンにコピペしておき、
それをまたココに貼ってるの?
まあどっちにしても暇なんだねw
204:名無しさん@一本勝ち
08/06/05 00:18:50 Ck3I5xNh0
コピペをこれだけできるということ、このエナージはどこからくるのか、
またその目的は? 分からないだけに、しばし注目して吟味してみるか。
205:名無しさん@一本勝ち
08/06/05 00:30:45 bypZwg9K0
当の管理人ももう意味を感じないだろう。昔の自分の書き込みには。
206:名無しさん@一本勝ち
08/06/05 00:49:20 bypZwg9K0
あそこの過去ログ見るとあれ?この人糸口掴んでるんじゃないの?
って人が何人かいるよな。
一番初期の頃の書き込みで感覚のレベルで把握していながら
理をはっきり掴めなかったばかりにできなくなった人がいたりして面白い。
津本氏が中学の頃に100発100中で抜き胴が打ち込めたが
あまりに簡単にできて面白くないので練習サボったらできなくなったって
話を小説(たぶん柳生兵庫助)でしてたような気がするけど、
あれはどうなんだろ。糸口をそれと知らずに掴んでいたのか、それとも…
207:名無しさん@一本勝ち
08/06/05 02:19:16 dzKmSSNO0
こういうのは一度出来たら一生出来ると宇城さんもいってるから
急に出来なくなったということは最初から出来てなかったんだろう。
208:名無しさん@一本勝ち
08/06/05 07:22:54 Y5Xc4zTg0
振り返ってみると、私はたまたま佐川先生の体調が良くて機嫌が良い時に入門したようで、運が良かったというのもあったみたいです。木村さんも当時、
"先生は不機嫌になって稽古にも余り出てこなくなってたんだけど、最近また色々やって下さるようになってまたすっかり技も変わってしまった"と、そういう内容の事を説明してくれました。
かなり無理をしているのは分かったけれども、座捕りの合気上げもやってみせてくれましたし、立って多人数掛けや、相手が攻めてくるのを待たずに自分から出ていって技を掛けるようなものもやってみせてくれました。
先生が不機嫌な時は私もいくつか印象に残ってる場面がありますけど、体調が悪いのか嫌っている人間が来てるのかどうか分からないですけど、何にも技をみせてくれないんですよ。
それで「なにをやってるんだ貴様はぁ~!!」ってどなり散らして、多分どなられた人は何か伏線があって分かるんでしょうけど、こっちは誰がどなられたのかさっぱり分からない。
そんな感じで稽古も終わってしまい、はるばる先生の技を観に来た身としてはがっかり、なんていう日もあった。こっちは時間を無理して削って来てますから、疲れが一気に来るというか、
本当にがっかりしました(笑)。おまけにそういう日に限って周りに避けられているような人が稽古付けてくれるし、、、(笑)。
一日や二日でやめてしまった人の中には、ひょっとすると先生の技を一度も観ないでやめてしまった人もいたかもしれません。
209:名無しさん@一本勝ち
08/06/05 07:23:16 Y5Xc4zTg0
ところで、私はこの出来事で、先生の突きを初めてみたんです。それがどう説明して良いのか分からないんですけど、何か違うんですね。私が一般的に知っているような意味での突きと。
それからしばらくして道場はやめてしまって、鍛練の何か役に立つ部分はないかという事で、ずっとその意味を考えていた。それで私はある時、「ああいう突きは、一元の小手返しやコバ返に由来するというか、
その辺から分かってくるようなものではないか」と考えるようになっていった。でもやはり分からない事が多々あり、どうしたものかなと思っていると吉丸慶雪さんが
「合気道の奥義」という本を出して読んでみるとそこに佐川先生の発言として「多人数を相手にする場合拳頭は関節であり弱いので小手で突く」「拳を強く握ると集中しにくいので軽く開き気味にする」
「実戦ではまず目を当てる。手を持ってくれば拳で手甲を当てる」と書かれている部分があり、それでピンと来た。ピンと来たというのはつまり、佐川先生のやっている事がすべて分かったという意味ではもちろんなくて、
自分の鍛練に役に立てる方法が分かった。
そのようにして少しずつ、先生の技を観た経験が役に立っています。木村さんは私の入門時(実際どんなものなのか確かめに来ましたというような野次馬的発言に対して)、
「まあ、あれ程の方ならば一見するだけの価値はあるよ」と言われていましたが、果たしてその通りになった。
ところで私は思い出せない事があります(というより雑多な事はもう殆ど忘れてしまっていますね)。門人証は閉じた状態でタテ11cmヨコ8cmですが、それを開くと右側に住所名前生年月日を書くところがあるでしょう?
そこに解読不能な字(笑)でそれらが書かれているんですが、これは佐川先生が書いたのか木村さんが書いたのか、あるいは他の方が書いたのか、思い出せないんですよ。
一般的にはこれは誰が書くとか決まっていないんでしょうかね。
210:名無しさん@一本勝ち
08/06/05 07:26:03 Y5Xc4zTg0
この先生の合気上げの一手はもう少し説明しますと、皆さんが合気上げを真面目にやっていれば分かるような攻め方とかそういったものをまずはじめに全部やってしまうんです。
いったん少し上げてしまうことろまでやる。でも木村さんには全く何も起こらない。いったん上げた時にはでも、これは説明出来ないんですけど木村さんの体の状態が変わってしまっているのが視覚的にも分かる。
そして手をある位置におろして静止した状態になって一秒ほど経ってから突然、折った折り紙を広げていくように、時代劇の忍者が畳み返しをする時の畳みたいにパタンと、
「ヒッ」と悲鳴を上げた木村さんはもう膝だけで立っている状態で何も出来なくなっている。一人時間差攻撃とでもいうんでしょうかね(笑)?どうやったらああいう事が出来るのかさっぱり分からない。
とにかくそのようにして先生は、相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術の原理を会得するとこういう事が出来るんだよという事を沢山示していましたね。
あ、そうそう、私は合気ニュースは読んでないので分からないのですが、もし木村さんが原理を会得したというのならば、それがより明確になるのはまだずっと先の事ではないかと思うんですが、、、、。
それと、公にそういう事を言っているという事は道場内の方々が認める何かがあったのかもしれない。ホラを吹いているのなら道場内の方々が黙ってないでしょう。あそこは。
私としては、先生のやっていたような次元の違う事に、つまり目先の事に囚われるよりも、先生は相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術がなくとも、本当に鍛えればどういう事が出来るか、
そういう事を「透明な力」では佐川先生は色々発言しているわけです。そういう事を地道に考え、また鍛練を続けて行きたいと思います。
211:名無しさん@一本勝ち
08/06/05 07:27:37 Y5Xc4zTg0
私が佐川先生の技を観た時は、つま先立ちになるような状態は殆ど見かけませんでした。先生はすぐ投げたり極めたりしていましたから。
つま先立ちになるのは相手を逃がさないようにしておく時にそうなるんだと私は思います。頑張ろうとする相手をダメな状態にして逃げられないようにしておいて、あとは技を掛けるだけという状態。
佐川先生が合気上げを木村さんに掛ける時、上げて木村さんを全くダメな状態にしてかつ逃げられない状態にしている時は、木村さんは膝だけで正座しているような状態で他は気持ち浮いていました。
これも同じ事だと思います。それから佐川先生は"ほら、全然逃げられないでしょう”と主張するかのように色々掴まれた手を動かしてみせるんですね(必然性があって動かしたかもしれませんけど、
私には分からない事が多すぎるので、、、)。あれはきっと、手を離して倒れ逃げも出来なかったのではないかと思います。そういう状態だった。そして合気投げで木村さんを投げた。
212:名無しさん@一本勝ち
08/06/05 07:31:15 Y5Xc4zTg0
私は佐川道場で、今は高橋賢さんのところにいる門人の方ですけど、入門当初その方が「ここでは踵を上げていないと注意されますから」と教えてくれた事があって、それをずっと考えていました。
それである時だいたい分かったのは、股関節付近の機能を一度整理してある種の統一した機能に変える為には、踵を上げるというのが結局は一番都合が良いんです。
そういう事が分かった。第三者的に解釈するとどうなるかは分かりませんけど、やってる本人としてはそういう"感覚"なんですね。
踵を付けた状態だと長年の習慣で付いた癖に気付きにくい。昔妹夫妻の二人の子供が立ち上がるようになるまでの成長を観察する機会があって、人間というのは立ち上がるようになるその過程も個性がある。
それは癖で、自然に身に付いたものですが、それを最初から作り替えるには癖に気付かないといけない。
では踵を付けた状態でそれが出来ないのか?実はこれは可能だという事も分かった。ただし、それは体系の一つとして優れた歩法が教授法としてあってはじめて可能になる。
でもどの歩法が優れているかなんて素人には容易に分からないし、価値が分からないと真面目にやりませんからね。結局は踵を上げる事がもっとも確実で効率が良い。そういう結論に至った。
一度分かれば表面上は上げても上げてなくても関係ないですけどね。
こういう事が分かるようになってから、足の踏み方、踏み込み位置、一足一刀という事も真剣に研究していけるようになりました。だいたい足裏で相手の力を色々出来るようになると、歩法も面白くなりますね。
中国武術などは本当に優れた体系の場合、立ち方を細かく、足の踏み方も含め教えてくれますからね。問題はそれが優れた意味のあるものかどうかという事なのですが、
それはもう、そういう本質的な部分を見抜く眼を養うしかない。
しかし歩法の本当の価値が重要になるのは上半身が必要な状態になってからなので、それがまた難しい問題ですね。上半身の方が難しいかもしれない。
また、踵を上げたから必ず分かるという内的感覚ではないし、あくまで、それで相対的により確実であるというだけですから。
213:名無しさん@一本勝ち
08/06/05 07:35:02 Y5Xc4zTg0
>「透明な力」では佐川先生の出される技をレーザー光線のような、という表現がありましたが、ひろりんご様のいう電気按摩に相当するのでしょうか?
これに関しては想像の域を出ませんが、相手に電気按摩のように感じさせる体の段階というものがあって、その先に佐川先生のような段階があるのではないか、と思っています。あくまで想像です。
また、レーザー光線のように感じるのは力を抜いてかつ木村さんのような体の段階に至っているからで、例えばある稽古の日に佐川先生が「体がいくら大きくたって関係ないんだ」と言いながら、
いつも技を掛けている門人の方々とは別の黒帯の方に技を掛けた事がありました。その方は、その稽古日では一番大きな体格の良い方で、先生の技を受けたのは初めてだったようで感激していましたが、
技を掛けられて投げられても全く手ごたえを感じない、やられている実感がないという風でキョトンとしていました。先生はさらに「もっと強く持て」と言ってさらに技を掛けていましたが、
多分この方はレーザー光線のようなものを先生から感じ取れなかったのではないかと思います。
ところで、その方は以前稽古をやった事があったので以前とどう変わっただろうと思っていると、合気上げの稽古でおさえる際も上げる際も、しきりにこちらを引っ張るような事をやっていました(笑)。
以前はそういう事はやっていなかったので、とても面白いと思いましたね。ご本人は佐川先生の技に対してそういう印象を持ったという事かもしれません。
この方は一般に知っているような意味での、皆さんが良く知っているような体の持ち主でした。
でもここで大事なのは、相手から何か感じとれたからといって、武術として強いわけではないという事です。それは強調してもし過ぎる事はない。上の段階に至るには結局そういう能力が必要になる、とは思いますけどね。
強さを追求している人は強くなるにつれて場合によってはこれがどんどん鈍くなるので、これを強化するもう一つ別の方法を持っていないとならない。
そうしないと例えば佐川道場のようなところにいくと「一からやり直し」という事になり、まずひたすら力を抜く事を身に付けて色々な事を感じとる事をおぼえていく必要が出てくる。
だから佐川先生でさえ、そういう事を可能にするには執念を二つに分ける必然性があったのだと私は思います。
214:名無しさん@一本勝ち
08/06/05 07:38:44 Y5Xc4zTg0
>その中で、まだ体そのものが鍛錬によって変わっている、という方がいた経験は未だありません
あくまで私の一個人の意見として聞いて欲しいのですが、佐川道場の中だってそんな人は殆どいませんでしたよ。だから本当は、鍛練がいかに難しいかという事だと思うんですけどね。
それは筋力トレーニングはもちろん大変ですけど、全く違う方向性を持った大変さです。だから佐川先生でさえ、そういう事を可能にするには執念を二つに分ける必然性があったのだと私は思います。
鍛練の一番楽しい部分というのは、やはり他の分野に応用が効くという事でしょう。武術だけにとどまらない。木村さんだって、私はまだ合気ニュースは読んでいないのでどなたか訂正して欲しいんですが、
武術に注いだエネルギーをそのまま数学の研究に持ってくる事が出来たというような発言をしているそうですね?そのように、鍛練というのは自分が関心を持っているすべての事に関わって来て、すべてが変わってしまう。
つまり応用が効く。もし武術が武術だけにとどまっている存在であったなら、私はとても続きません。武術を使う場面なんて実際は殆どないわけですから。
215:名無しさん@一本勝ち
08/06/05 07:39:05 Y5Xc4zTg0
木村さんは私に一度「肩に力が入らなくても済むように脳の回路をつくりかえないといけない」と言っていた事がありました。やってる人なら当たり前のように分かる事ですが、姿勢が変われば脳の状態も変わる。
手の形だってなんだってそうです。だから脳の事を考えて行く事は、結局は姿勢や体の使い方を考えて行く事になる。「透明な力」は佐川先生の考え方が書かれている。考え方というのは脳の働きです。
だから「透明な力」を通して先生の脳の働きがみえる可能性がある。という事はそこから姿勢も分かる可能性がある。他も事も色々分かる可能性がある。「透明な力」はそのようにして私の役に立っています。
私は佐川先生の性格というか気質だって脳の状態と関係があると思っています。そうなると先生の一見マイナスに思える性格も、馬鹿にしてはいられません。何か意味のある事かも知れない。
だいたい先生と親しい門人の方々は人柄の良い方ばかりで、木村さんは私から観ると例外的に少々意地悪で天の邪鬼(まあ、一般的に言って、数学者は天の邪鬼が多いです)
のような性格の方で佐川先生にその点は似ていると感じましたが、今考えるとそういう事も意味のある事なのかもしれないと思えてきます。
216:名無しさん@一本勝ち
08/06/05 07:41:32 Y5Xc4zTg0
私は脳の状態から姿勢を創っていき、(手腕の状態を含む)姿勢から脳の状態を創っていく、そういう過程で鍛練によって体を変えていくという事を今までさんざんやってきました。
これはもともと私自身がそれが正しいと経験から考えていた事もあるのですが、やはり佐川先生の実際の技を観た経験が大きかった。そこでより確信を持ったという事はあった。
また木村さんのいくつかのアドバイスもその確信を補強する事になった。
例えば佐川先生や一部の門人の方々が技を掛ける時に、「(木村さんなどは)スゥ~~ット」などと言いながら技を掛けたりする訳です。
そういう時、つまり技を掛ける時と通常の世間話をしている時の意識の違いが声としゃべり方に出ていた。少なくとも私はそういう捉え方をした。
高橋さんとかは佐川先生の聞き取りにくいしゃべり方まで真似しているような感じでしたね(写真などを観ても、先生みたいに口をとがらせたりしているでしょう?)。
高橋さんはとてもやさしい方なのですけど、だから稽古中言っている事が良く分からない事があって困りました(笑)。高田さんもどちらかと言えばそう。他の上手い方々もそういう面があった。
私はそういう風に感じていた。実際確認しなかったから分からないですけど、脳の状態が声に現れるのだとしたら、そういうしゃべり方を真似していくという事も意味があるでしょう。
そういうところをみて、「ああ、先生の技を掛ける時には意識が何か通常と違うところに在るのだろうな」という事をより自分の中で明確にしていったのですね。
217:名無しさん@一本勝ち
08/06/05 07:46:22 Y5Xc4zTg0
やり方とか形などよりもなぜ脳の事をあえて取り上げる必要があるのかといえば、形にあらわせる明確に出来る事というのはほんの僅かで、その先にはすぐに目印も何もない世界があるからです
(形では正反対な事をやっているように見えても、実はそこには全く同じ狙いがあるという事もあり、形というものは普通の人が思っている以上に不確かなものです)。
それをどう解決するかというと、脳の回路の状態を目印にするという事です。技が相対的に、以前よりも楽に掛かった時の、脳の回路の状態を憶えておいて、その状態をつくると手腕の内部はどのような感覚になっているか?
体はどうなっているか?そういうところをチェックしていって「内部を調整していく」。そうやって鍛練によって少しずつ体を変えていく。強くしていく。
佐川道場で教わっていて、私自身が考え続けて来た事と共通する部分はいくつかありましたが、その一つはこのような部分でした。佐川道場では初期の段階ではこのような事を教えているようでした。
218:「相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術」=合気のこと
08/06/05 07:55:19 Y5Xc4zTg0
先生の技術というのは道場にいるから出来るというものではないと思っています。佐川先生の定義する「相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術」は教えられる種類のものとは違う。教えられないとすればどうすれば良いのか?
それは通常とは全く異なる発想によるアプローチで臨む必要がある。また同じ名称の技術について語っている人が、この技術を教えられる種類の技術であると主張しているならば、それは、程度の問題はさておき、
先生の定義している技術とは異なる。これはもう、はっきり言える事です。
本でもそう書かれているし、先生自身もそう言っていました。それを理解した上で先生の技術をどう思うかは、もう個人の自由なのであって、ともかく先生はその上で、例えこの技術がなくとも、工夫次第であれもできればこれも出来る、
という内容の事を言われているわけですね
ですから、私は、それ程道場にいる事に執着はなかった。十元で構築されている佐川先生の体系というものにはそれほど関心はなかったし、私は私の目的を達成出来ればそれで良かったのです。
そしてそれを先生は与えてくれたからこそ(また私はそれに値する努力をして来ていたと思っています。だからこそ、自身の欲しているものを手に入れる事が出来る)、感謝しているわけです。人間というのは不思議なもので、
本当に大事なものを貰うと、相手がどんなに自分と馬があわない苦手な人間であっても、最後には感謝の気持ちしか起きないのですね。
いくら良い人に親切に教わっても、逆に不機嫌になる事もある(笑)。心というものは正直で、自身が欲しているものはちゃんと分かっているんでしょう。自分の心が分かっていない人間というのは、目の前に石が転がっていてもそれに気付かず、
それに勝手につまづいて、それを石のせいにする。これは私の師匠が良く言っていた事ですが、本当にそうだと思います。
時間が許せばずっと道場にいたでしょうけど。あそこの道場で経験した事によって、例えどこにいてもやれる事は沢山ある。そういう事が分かった。
あの道場では「最初の3年間くらいはやられるのを楽しむくらいでないと」「最初の内は出来るだけ毎日稽古に来る事」とも言われましたが、確かに上手い人に掛けてもらえばそれは確実に効果がありますが、
いったん自分で体を変えていく事をおぼえてしまえば、それにこだわる必要はないと思いました。
219:名無しさん@一本勝ち
08/06/05 07:55:45 Y5Xc4zTg0
肩の力を抜くという事に関しては、一般的に言って、そんなに深く考えなくても(例えば先天的に恵まれた体格である等の理由で)格闘技的な武術的な目的を達成出来る事が多いので、
武術という狭い世界の枠内で生きているとついつい軽視してしまう傾向があると思います。実戦とか実用とか役に立つかどうかという発想に固執するとみえなくなってしまうものがあるのですが、
肩の力を抜くという事もその一つです。実際、格闘技や空手、柔道、合気道、大東流、なんでもそうですが、武術をやっている人でその事が分かっている人は本当に一握りです。これはあくまで、
そういう下らない事に執念を燃やして、二十数年ずっと研究を続けた人間による、個人的な意見ですが。
しかし、これはある意味仕方のない事です。なぜなら、それだけ武術を実戦で使える実用のものにするという事自体が大変なので、その事に精一杯で、その目的から(見かけ上は)外れているものに頭が動かなくなってしまうのです。
それが一般的に殆どの凡人に起こっている事なのでしょう。これは武術に限らず、他の分野でもそういう事はある。
佐川先生でさえ、肩の力を抜く事はさんざん鍛えてようやく出来るようになる、という風に言われていますね。肩の力を抜く事を会得した人は、大東流でいえば、特に合気上げとつかみ手の技術が全然違ってくる。
合気上げは確かに(実際は上げるという動作自体が肩の力を抜くコツとさえ言えるのですが)、肩の力を抜くという目的からは、一見相反する矛盾した稽古方法のようにみえます。
佐川先生の小手返しの稽古方法も、普通の一般的な力でやろうとするとやり難い、非合理的なやり方という事になってしまう(というよりあの小手返しはめちゃくちゃ難しいのですが、、、、)。
痛め技でも掛けられますが、しかし、だったらなおさら非合理的に思える。あのやり方でわざわざ痛め技を習得する必然性はないように思えます。
ともかくそのようにして、稽古方法にはハードルが設けられていて、求められている方法目的以外では技が掛かり難いようになっている。そこに気付くのが最初の段階なのでしょう。
220:名無しさん@一本勝ち
08/06/05 08:09:05 dzKmSSNO0
身体を作るシステムが出来てるのは中国拳法だけど、
これまた強い人は一握りなんだよね
結局個人差が大きいんだよ
221:名無しさん@一本勝ち
08/06/05 09:54:20 YzV/QC1V0
たった数ヶ月習っただけの初心者の作文真に受けるのもなあ。
222:名無しさん@一本勝ち
08/06/05 15:40:23 ehx2VpaC0
佐川道場で習ったことのない人があれこれ適当に書くよりましじゃないですか。
223:名無しさん@一本勝ち
08/06/05 19:08:21 inZyCk840
コピペだけあって、言語明瞭 意味不明か。w
224:名無しさん@一本勝ち
08/06/06 03:26:35 XAD1zBxn0
88 名前:(´ー`)y━~~~ 投稿日: 2003/11/26(水) 06:15
中略
北海道の先生は、実力は藤平先生よか数段上ですわ。
立てた鉛筆をティッシュで切る先生です。
あの先生は気功の力に達されとりまんね。
89 名前:山村紅葉 投稿日: 2006/11/26(日) 18:56:17
柳先生が騒がれとるようやけど、先生の試合歴からすっと良くも悪くもワンノブゼムや思うよ。
武館の空気も中国武術にありがちなある種の(伝統に対する)権威主義的ないやらしさが無いし、
ご本人の武力も佐川先生のように合気しか出来んいうことは無く、それに加え自由自在に体が動か
れっからまさに実戦的なんよね。
型の触れ合気は静物が対象やっから動かれてまうと掛からへん、厳密言うたら
触れ合気とは言えへん代物やけど、
先生のそれは体が動きに対応出来るだけにホンマもんの触れ合気やねんからなぁ。
個人的に、動きに合わせられる触れ技は近藤先生かて使えへん思いますしの。
225:名無しさん@一本勝ち
08/06/06 06:59:41 +yCooUWB0
私は佐川先生に会うまでは、信じるという事を余り深刻に考えてはいませんでした。信じるといえば「信じる」。その言葉で完結する世界でした。 しかし、先生に会って何年か経った時、
本当に素晴らしい深いものを会得するには信じるという事が絶対に必要なのだと分かった。先生を信じなければ先生が言ったその言葉の背景には何があるのだろうなどと考える事は出来ませんし、
"この技術は他のどこにも伝わっていないと確信している"と先生が言えば疑う人間はそこで停滞するだけですが、信じる者はではなぜそういう事が起こり得たのだろうと考え続ける
(そして色々な事が少しずつ分かって来る)。また先生はなぜそう考えるようになったのだろうと考え続ける。木村さんは合気ニュースでまさにこの点について語っていました。
「これほどの先生には、先生と一体になる、先生と対さないで、同じ側に立ってしまうということが大事なんですよ。先生の背後の気持ちがわからないと、とても理解できない」
私自身は聞いていませんが、"自分の先生を馬鹿にする人間に碌な奴はいない"という主旨の事を佐川先生はかつて言っていたそうです。これはとある門人の方から直接聞いた事があります。
この発言も例えば、佐川先生が大東流に対してどんな発言をして来たか、とか他流に対していかに直接的かつ挑発的な発言をして来たか、とかいった事も含め考えて聞かないと誤解してしまう。
自身が軽んじている相手を師と仰ぐような学ぶ姿勢を問題にしたのだと、私は解釈しています。そう考えて行くと佐川先生という人間像が一貫性を持ってスッと繋がる。
しかし、問題は「これほどの先生」がどれほどなのか、という事で、そこが信じるという事の難しさです。「自分が一生懸命精一杯やっているからそれで良いのだと思いがちだが、
そのやり方そのものが良いかどうかについて考えが及ばなければいけない。ただ努力をすればよいとは限らないのだ」と先生は言われていますが、私は自身の判断力を信じると同時に、
そういう先生の考え方も含め信じている訳ですね。「透明な力」の内容自体、信じるという行為の問題点を克服するにはどうすれば良いのかという提案があるのであり、それを私は支持し、信じているのです。
226:名無しさん@一本勝ち
08/06/06 07:14:26 xqZgzO590
自分の頭で考えろと佐川もいってるのに何でこんな解釈になるのかねえ。
木村が数学者の○○もこういってますとかいって、佐川がそんなんだから
駄目なんだ、他人がどうこういったからといって影響されてたら駄目だといってるのに。
227:名無しさん@一本勝ち
08/06/06 07:17:33 +yCooUWB0
佐川先生がやっていたような事の面白さや良さを分かるには、まず外見が同じで効果が似ていても、出発点となる発想が異なるものは本質的に別物であるという事を経験していないと駄目でしょう。
それは外見が同じ内容の事をやっている者同士で、力比べでもなんでも試してみれば結果として出る。
"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"が身に付いているかどうかの大まかな目安はあって、佐川先生もそういう基準に適った門人が出た時は警戒したでしょうね(最晩年の先生が翻意された時期は別として)。
でも結局は佐川先生もそれが実際に先生の要となる技術であるかどうかは看破出来なかったのではないか?それが私の現在の結論です。
この技術の醍醐味の一つは、ある程度極まって来ると「結局は人間の全てのものは精神が源になっている」という事が良く分かって来る点です。その精神がどの程度観えるかどうか?
私は今ここに挑戦しています。今はまだまだ 人生を語らず
佐川先生がなぜあれ程の領域に達したかというと、その理由の一つはやはり教え方にあると思いますね。
つまり、教えるという事も自身が上達するのに役に立つからやっているが、そうでなければやらない。そういうところが徹底していた。絶対に負けない事が分かった後に教える。
そうして来たからこそ、先生はどんどん先に行ってしまわれ、そして周りは素晴らしいものを享受する事が出来た。結局は周りの為でもある。非常に深いところではそこには共有というものがあった。
しかし浅い所ばかり観ている人には何も観えない。
228:名無しさん@一本勝ち
08/06/06 07:17:54 +yCooUWB0
秘密がなんらかの意味を持つという程度の認識はあったけれども(そういう意味でも「透明な力」の内容は面白かったのだけれども)、こういう考え方は本来私にはなかったところで、佐川先生による影響を大きく受けています。
秘密にするという事は実際沢山の利点があって、例えば時代の嗜好に合わせて三味線弾いてる連中はすぐに分かってしまう。彼らの気付いていない発想を持っているからです
(外見が同じで効果が似ていても、出発点となる発想が異なるものは本質的に別物であるという事が身に滲みて分からないと、佐川先生がやっている種類のものの本当の面白さや良さは分からないでしょう)。
相手より上手のものを持っているから惑わされないし、じっくり深く研究する事も出来る(だから急速に進化する)。こういうやり方は一般的な意味での倫理観では非難されるかもしれないですね。
また、こういう事は喋れないからひたすら黙っているしかない。しかしそんな黙ってばかりの事をやっていると、秘密を尊重する社会なんて勘の鈍い人達とかは生きるのに苦労するし、置き去りにされてしまう。
また秘密裏に悪事が行われる事も実際多々ありますし、秘密を良い事と言い切ってしまうのは問題ですが、やはり秘密というのは大事です。
最近の若い人達のだらしないひょろっとしたような無気力さは多分なんでも開けっぴろげにしているからではないかな、とすら思います。
そうは言っても私自身、共有して行こうという考え方に助けられた事は何度もありますし、やはりそこはそれぞれのバランス感覚で乗り切る事なのでしょうね。
佐川先生のやり方は今の時代では誤解され易いのですけれども、究極的には、素晴らしいものを共有していこうという考えですから、私はそれに倣っている訳ですね。
229:名無しさん@一本勝ち
08/06/06 07:24:08 +yCooUWB0
木村さんを具体的に知っている人達にとって、「佐川幸義先生に就いた二十年」に書かれた内容を読むにつけ、実際の言動がどのようにアレンジされているのかが手に取るように分かるので、
とても面白く読んでいる事と思います。それは嘘ではないのだけれども、本から本当に学ぼうとする時には、本と実像が出来るだけ近くなければいけないのです。
一方、佐川先生の本はそれを読む事によって、佐川先生の欠点というか気質がしっかり伝わって来ます。良くも悪くもそこには嘘がないので、だからこそたかが一冊の本からも本当の意味で学ぶ事が出来るのです。
これは本当に特異な事で、前例がないのではないかと思います。多くの場合において、師匠本人や弟子が師匠を着飾って綺麗にしてしまうからです。
または単に反発をおそれて結果的に嘘をついてしまう(これは歴史的にみても、例えば宗教などが社会に受け入れられていく過程をみればまことに良く理解出来るでしょう)。
これは結局のところ、合気ニュースから出版されて多くの合気道修行者が読むであろう事が想定された為に起こる限界です。その限界が(分かり易い例なので繰り返しになりますが)
「人間は本来凄いもので、余計なものを取り除いていったら出来るようになるという考えでは出来ない」という先生の発言と「人間は普通考えているよりもはるかに凄い能力を秘めています。
ですから、人の言うことを鵜呑みにするのではなく、自分で確かめる、自分の直感を大事にする、あるいは自分の心に聞くということが大切だと思います」という木村さんの発言のような違いになってあらわれる。
230:名無しさん@一本勝ち
08/06/06 07:25:23 +yCooUWB0
より端的に言うならば、木村さんは自身に対しては「人間は本来凄いもので、余計なものを取り除いていったら出来るようになるという考えでは出来ない」という態度で臨んでいるにもかかわらず、
他人に対しては「人間は普通考えているよりもはるかに凄い能力を秘めています」と言っているようなものです。自身には大変厳しいものを課しているにもかかわらず、読者にはやさしく接しているという事です。
これは木村さん自身は正しい事をやっているのだから痛くも痒くもないが、受け手で本気で学ぼうとする者からすれば問題です。言い換えれば、
この技術が余りにも難しく困難でそれこそ「命懸け」の世界のものである為に、読者の皆さんがこれを会得出来る可能性を半ば捨てているという事です。ところでここで一つ大変興味深い事が分かります。
「透明な力」で佐川先生は、この可能性を決して諦めていないのです。反発を受けようとなんであろと会得する為に必要な事を書いたのです。これはここ数年で私ははっきり分かるようになりました。
「透明な力」は本当に凄くて、それはこの本の成立に深く関わった木村さん本人すら律する力を持っています。非常に考え抜かれた本なのです。
言葉にしてもあえて「力ではない」という部分でとどめている事にすら意味がある。否、考え抜かれたというよりも、佐川先生が特別な原理に基づいて発言し行動する存在であった為に、
それがあたかも将来を見通して準備されたかのような錯覚を与えるだけなのかもしれない。
231:名無しさん@一本勝ち
08/06/06 07:25:44 +yCooUWB0
では「透明な力」に比べて「佐川幸義先生に就いた二十年」の役割は何なのか?これは余りに世に広まっている"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"に関して、
言葉や字の表面的なものに囚われた誤解や曲解が多いので、それを正す目的を持つでしょう。本当に良いものは、より正しい認識を持つだけでも良い事が沢山ある。これは読者の為になされる事です。
別の面では、木村さんはあの本を出版した事で、「証拠」を残したのです。"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"を気や力やエネルギーで説明するのが常識的に受け入れられる現在の状況の中で、
自分が最先端の事を発表したという証拠を一番乗りで残したのです。陰であんな事は自分の先生だって言ってるとか言う人達がいるのは知っていますが、そんなのは歴史的には存在しないのと一緒です。
木村さんは結局のところ佐川先生の名誉の為にあの本を出した事になるでしょう。あの"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"に関する説明は現時点では受け入れがたくても、
将来的にあれが一般化した時に堂々と、"あの時点で私はこう考えていた"と主張する事が出来る。つまり、歴史的な意味があります。
以上のようにして、学ぶという目的から言えば、「佐川幸義先生に就いた二十年」は「透明な力」には劣るのです。
「透明な力」はあくまでも"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"に関してどこまでも読者に対して責任を放棄しないという形で書かれているのに対して、
「佐川幸義先生に就いた二十年」は読者よりも佐川先生の方向を向いている。
232:名無しさん@一本勝ち
08/06/06 07:26:05 +yCooUWB0
しかし劣るといってもそれはあくまで「透明な力」に比しての話で、「佐川幸義先生に就いた二十年」はめったにない良い本だと思います。だからこそ買いました。
付け加えますと、木村さんの"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"の説明は社会的歴史的以外の意味は余りないのです(全く何も知らない人には意味があるかもしれない)。
考えてみて下さい。"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"はいったん原理を会得してしまえば恐ろしい速度で進化するものです。それは人類史のおける発明や発見に似ていて、
「そこに本来あった目的とは全く異なる目的を発見する」ようなものです。普通はそういう発見はなかなかないのだけれども、それが当たり前になって、そういう事が繰り返されて積み重なるのです。
佐川先生も私がいた短い期間で分かるくらい進化していました。つまり、もう木村さんのあの説明は木村さんの中ですっかり化石のように古くなっている筈なのです。
ところで、私から観て木村さんは間違いなく"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"の、現時点では唯一の継承者です。本当はこんな事は言いたくないですし、
こんな事を書いてもなんの得にもならないのだけれども、これは私自身の良心に基づいて、そして将来の為に言っておきます。
233:名無しさん@一本勝ち
08/06/06 07:29:42 +yCooUWB0
では、どこでそれに気がついたかをお教えします。まず、高岡氏の『力まないこと』を意味している肩の脱力が、佐川先生の力みを排除した姿とは全然違うということです。
おそらく(高岡氏のあまりのまがいぶりに怒りを感じているので、ここから高岡と呼び捨てします)、高岡の力まないという解釈が間違っているのではないかと私は思います。
その他にも、写真や言動で明らかに間違っている、これは有り得ないと思ったことがいくつかありました。私は木村先生の所に体験しに行きましたが、先生は無償で私に多くの技を体験させていただきました。
それは、先生が本物であると確信しているからです。つまり、高岡は自分のものが本物であると確信していない上に、お金を取るという詐欺師なのです。最低です。
そもそも、そんなに鍛えてない人が合気を会得したなんて有り得ません。そして、もし、その佐川先生を超えていると言った発言が本当ならば、私はある行動に移り、高岡を木村先生の代わりに裁くしかありません。
二度とそういう風なまがいものがのさばらないようにする為にもこれは当然だと思います。それに、まがい物を体験した方達は『やっぱり、合気なんて存在しなかったんだ』と思い、始めて、大変失望するでしょう。
木村先生もそれを嘆いていました。私も心から賛同しました。でも、木村先生はお忙しい。だから、私が彼らを裁いてみせます。
すみません。長くなりました。二度ほど『裁く』と言いましたが、これは殺すとか拉致するとかそういう意味ではなくて、実際に高岡に会いに行って『もうこんなことは止めてほしい』と言いたいだけです。
勘違いなさらないようにお願いします。
234:名無しさん@一本勝ち
08/06/06 07:31:13 +yCooUWB0
私も木村先生の体験を受けた時に、『今度はスローモーションで崩すよ』とおしゃられて木村先生にゆっくりと崩されたのを覚えております。
しかし、これはあくまでスピードを調節できるということを示唆しているに過ぎないので、実際では多くの場合、相手を勢いよく投げるのです。
少し、秘密事項に触れてしまう恐れがあるのでこれ以上は言えませんが、木村先生は人に合気を見せる場合は色んなスピードで相手を崩してみせるのです。
しかし、やはり、『実践ではスピードが大事だ』とおっしゃりながらほとんどは相手が勢いよく投げられるようにしておりました。岡本氏や高岡の場合は、ほとんどがゆっくりの場合です
(スピードがあるように見せますが、あれでもゆっくりな方です。もちろん木村先生はものすごくゆっくりやって相手を崩す場合もありますが、
本気でやる場合は岡本氏や高岡の投げの2倍ぐらいのスピードで投げております。もちろんこれは、合気によるもので力を使っておりません。
木村先生が投げるときは、岡本氏や高岡のよりも遥かに体に力みが見受けられませんでした。また、投げられた方であまりのスピードゆえに受身を取れないで後頭部を地面にぶつけている方もおられました)。
235:名無しさん@一本勝ち
08/06/06 07:31:34 +yCooUWB0
私は実は岡本氏に手紙を書いて見学を許していただき、練習日に見学をしに行ったことがあります。その時の印象は『私でも勝てる』という感じでした(笑)。
見てても、凄みを感じないし、実際の岡本氏はすごい太っていて、投げるときは足元がふらつくという事態でした。つまり、正直に言って『いかさま』だと思います。
お弟子さん方は、おそらく、本気で力を出していないでしょう。なぜなら、私が見たところ、触れてもいないのに投げられていたりしていたからです。合気は触れないとかからないはずです。
木村先生の場合は、相手にしっかりと持たせて、尚且つ、本気で頑張らせているのですから。そこから、先生はひょいと軽く体を動かし、相手をバシーンと地面に畳みつけてしまうからすごいですよ。
投げられている方は確実に自分から転がったりしていないのがその投げられ方から容易に分かります。やはり、本物の技を偽物では真似できないということをはっきりと認識させてくれました。
体験した方々はきっとどれが偽物でどれが本物かはっきりと分かるようになっているはずです。やはり、体験するのが一番いいでしょう。体験の方法は、簡単に分かります。
プライバシーの問題があるので私の口から言えませんが、ちょっと調べれば分かると思いますよ。
236:名無しさん@一本勝ち
08/06/06 07:37:48 +yCooUWB0
しばらく、書き込んでいないうちに結構、議論が展開されておりますね。ゆるゆるさん。僕も『様』ほどお偉い人ではないので『さん』で結構ですよ。
今までは、気にしていなかったのですが、ほげさんの意見になるほどと思ったので、自分もそうさせてください。
では、本題に入りましょう。まず、高岡と岡本氏の技を体験していないのだから、木村先生と比較することはできないということですが、全くその通りだと思います。
実は、今年の夏頃に再度、高岡と岡本氏に私は直接お会いしようと思っております。お二人には以前会ったことがあるのですが、他の人がいたために『体験をさせてください』とは言えませんでした。
今回はそれを言おうと思っております。
私はお金を払いさえすれば、体験させていただける所は偽物ではないと思います(例えば、吉丸さんなど)。しかし、それらの合気は古いもので、佐川先生が開発した新しい合気ではないと思います。
新しい合気は木村先生にしか教えておられないのですから。言い忘れていたのですが、私は合気には二種類あり、武田先生が開発した古い合気と、佐川先生が開発した新しい合気があると思っております。
私は木村先生から両方の合気を体験させていただいたと思っております。なぜかと言いますと、ときどき明らかに違った感じの技をかけていただくときがあったからです。
詳しくは言えませんが、それは明らかに新しい合気の方だと思いました。
岡本氏が合気をかける際にふらつくのは膝のせいであるということですが、もし、これは秘密を少しばらすことになるのですが、膝が悪いのであれば、合気はできません。
でも、佐川先生も晩年は車椅子だったではないかと思うでしょうが、佐川先生の場合は、合気をかけるための鍛錬ばかりをやっておられたので、筋肉が衰えてしまったために立てなくなったのです。
また、佐川先生はいざ技をかけるときは全然ふらついたりはしなかったそうですよ。
また、木村先生も『ふらつくのは確かにおかしいね』とおっしゃられたので私は岡本氏はやはりまがい物ではないかと判断したのです。木村先生も『あんなのはまがい物だ!』と怒っておりました。
237:名無しさん@一本勝ち
08/06/06 07:38:09 +yCooUWB0
高岡についてですが、高岡は佐川先生の技を受けていないのですか?もし、それが本当なら、高岡はやはり偽物だと思います。技を受けないで合気ができるようになるのは無理です。
なぜ無理かは秘密事項に触れるので言えないのですが、これだけは確かです。一つ言えるのは佐川先生や木村先生の技は何度も言っておりますが、他の人の技と全然違うということです。
『透明な力』や『合気修得への道』での写真では分かりません。動画なら分かっていただけると思うのですが、残念ながらお二人の動画はありません。
私は本物はこんなに他と違うのかと痛感し、だから偽物に分からないように動画を出していないのだなと思いました。また、高岡が五時間も鍛錬をしていたとしても、その鍛錬が間違っているならば、
それは全く意味がありません。私が見たところ(某高岡の本)、全然佐川先生や木村先生の鍛錬方法と違い、その目的も違います。
また、木村先生もわざとお弟子さんを後頭部から地面に叩きつけたわけではありません。木村先生はお弟子さんがちゃんと受身を取れるように毎回投げておりました。
それは私達初心者に対してもです。木村先生は合気をかけて相手の体を自由自在にコントロールされておりましたから。しかし、それでもあまりの勢いで受身が取れないときがあるのです。
しかし、そんなに激しくは地面にぶつけてなかったので、大丈夫だと私も思いましたが、音がゴンと鳴っておりました。
さて、次に触れなくても合気はかかるかと言いますと、それは合気の秘密事項に触れるので言えません。
しかし、木村先生や佐川先生と今のPRIDEで活躍するエメリヤーエンコ・ヒョードルが戦った場合、一瞬で勝負は決するでしょう。
238:名無しさん@一本勝ち
08/06/06 07:39:05 +yCooUWB0
私が運営するサイトで岡本先生の体験をしていらした方(元六方会の方)が訪問されて、色々と情報交換ができました。
その結果、信頼できる方だと判断し、ここにその概要を載せます。
(以上略)『私が感じた岡本先生の合気で、特に合気上げに関して述べさせて頂くと、確かに力を使っているようには感じませんでしたし、腕もスッと上がりましたが、
重心というか腰を取られてどうしようも無くなったという感じではなく、ただ腕が上がっただけで私の身体への影響というモノは全く感じられませんでした。
触れ合気にしても、黒帯の人にたいしては何故あそこまで効くのか、全然理解できませんでした。』
(中略)『触れ合気に関して私感を述べますと、六方会の合気の理論として、タイミングと円の動きと相手の条件反射を利用するというモノがあったと思うのですが、この条件反射というのが曲者だと思っております。』
(中略)『足を投げ出して座っている岡本先生の足の親指を受けが取りに行って、それを合気で投げる技の時に、
余計なことを一切考えずに、先生の足の親指を取りに行く事だけを考えて全力で必死こいて取りに行くと、きれいに掛けられました。
(ちなみに、それまでは半信半疑というか、必死こかずに取りに行っていたので技の効果に?がついていました。)私感から導き出した結論としては、六方会の合気に関しては、
かなり敵に依存する技術であり、それ故に欠陥も多い技術であると感じております。』(以下略)
このことから、岡本先生は確かに合気なるものが出来るようです。しかし、私個人から判断するに岡本先生のレベルは木村先生のお弟子さんの中でも上位の方ぐらいのもので、
木村先生の新合気ではなく、古い合気の方であることが分かりました。
この情報を提供していただいた方は岡本先生の技に疑問を持ち、今は六方会を退会されたようです。後に木村先生の体験を受けたいとおっしゃっていたので連絡方法の概要を教えました。
とりあえず、岡本先生は多少は出来ることが分かりました。しかし、やはり木村先生ほどの合気はないことが分かりました。
239:名無しさん@一本勝ち
08/06/06 07:43:33 +yCooUWB0
皆さん、こんにちは。
高岡氏に関してですが、これを書く事によって起こる結果を承知の上で、私自身の小さな影響力を行使する目的であえて言います。一言で言えば、表層的な男、です。
以前に観たくもないのに話のネタというので彼の映像をちらと観せられましたが、某氏の映像の影響をあからさまに受けていました。某氏は本物ではないので、
いわば偽者が偽者を真似ているという漫画の様な光景でした。そのようなシロモノに時間を消費しなければならない、その一事実に非常に腹が立ったので、即座に話題を別のところに移しました。
佐川先生の映像は公になっていないので彼には先生の影響が微塵も観られません。表層しか真似出来ないので真似しようがないのです。表層的な男たる所以です。
先生の映像が公に出ない事によってこのように本物とそうでないものの区別が容易になっている。その実例を彼を通じて私は理解しました。やはり映像なんて表に出すものではありません。
信じる信じないは皆さん次第。少なくとも、それが私の見解です。もしここに私の意見を貴重と考える人達がいるならば、高岡氏など相手にせず、まず必ず木村さんに会いなさい。そう言っておきます。
どうしても高岡氏に会いたければそれから後でも遅くはありません。もっとも、武術が役に立とうが立つまいが殆どの人達にとっては死活問題ではないし、どうでも良い事です。
私達はその事を自覚した上で話をする必要はあるでしょう。
佐川先生が、座捕り合気上げで武田先生と佐川先生のやり方を分けてやった事は、一般稽古でもあります。私の場合は一度だけそれを観ました。
もし、この掲示板が他と異なる特別なものになっているとしたら、私にそういう経験があるからです。もっとも、いちいち木村さんや佐川先生に確認した訳ではありません。
しかし、木村さんが出された最新の本でさらに確信は深まりました。また、その経験が私の能力を飛躍的に向上させる起点となっている事からも、私はこの事を疑っていません。
240:名無しさん@一本勝ち
08/06/06 07:43:54 +yCooUWB0
武田先生のやり方が佐川先生の技に比して劣っていると考える方がいるとしたら、それは余りに一面的な見解に思えます。
というのは、今でも武田先生のいくつかのやり方は佐川先生のやり方に到達する為の必須の布石であり、それを木村さんが十分自覚しておられる事は私個人がはっきり知っております
(それを理解する方法はもちろん秘密ですので聞かないで下さい)。あくまでそうでないやり方もあったという事です。
木村さんがあのように本に書かれている以上、もはや隠す意味はないでしょうし、これは私の責任ですらないでしょう。"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"は離れた状態でも掛かります。
それが100%の再現性を持っているかどうかはこの際どうでも良いのです。離れてもやれる事は沢山あるという出発点にいる事が大事なのです。
私は偶々、佐川先生の技を観る事で、生前にその事を看破出来ていたので、木村さんの本の内容はなんの抵抗もなく読めましたし、その準備も出来ていました。
正しい前提に立つ事が如何に重要で物事の勝負を決めてしまっているか、私は佐川先生からそういう部分を盗んだのです。
しかし、そんな事を言い出すと、皆、離れた状態で稽古を始めそうです(笑)。素人というのはそういうものでしょう?それでは悪影響だけで意味がないですし、だから私は書くのは避けて来ました。
しかしもはや継承者があのように言っておられるのだから、、、。
諸手捕りは合気上げを理解する良い手です。佐川先生は高橋さんに何度も何度も諸手捕りを掛けていた時期がありましたが、あれは役に立った経験です。
しかし、表面上は角度などまことに常識的なもので妙手を教える気など全くないようでした。座捕り合気上げと"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"そのものに関しては
あの道場で特別な経験が出来ましたが、諸手捕りは木村さんが経験したようには経験出来ませんでした。これは残念です。それと小手返しも、先生の良い手を観る機会が極端に少なくて、残念でした。
241:名無しさん@一本勝ち
08/06/06 07:44:16 +yCooUWB0
最後に、私が木村さんが唯一の"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"の継承者だと言った事を皆さん覚えているでしょうか?私は自己顕示欲を満足させる為にこれを言いますが、
私はこれでも常識人であり、このような発言が招く帰結を想像するくらいの頭脳は備えています。私の発言に眉をひそめた人達もいる事でしょう。
しかし、その発言が事実に接近していればいる程、正しければ正しい程、本物というものは大きな恩恵をその発言者に与える。私は大きな事を学ぶ事になるのです。
これは木村さんにも誰にも防ぐ事が出来ない。私はその本物だけが持つ力、誰にも止められない、本物だけが備えるある種絶対的な影響力を実感している人間の一人なのです。
そして、どのような反発があろうと、私の発言が正しければ正しい程、この掲示板は特別な意味を持って来るのです。私はそのような変化を楽しんでもいます。
以前、明恵という僧について紹介した事がありますが、なぜこの人物を紹介したのかと言いますと、私は佐川先生はこの僧のような役割を日本に果たすと思っているからです。
つまり、歴史的には片隅で扱われるかどうかという程度なのだけれども、日本人の価値観の根底に影響を与える人物になる、という事です。
とりあえず、また暇が出来たら覗きに来ます。それまで、また。
242:名無しさん@一本勝ち
08/06/06 09:30:10 bPaLieJp0
>>237
> しかし、木村先生や佐川先生と今のPRIDEで活躍するエメリヤーエンコ・ヒョード
> ルが戦った場合、一瞬で勝負は決するでしょう。
どっちが勝ちますか?
243:名無しさん@一本勝ち
08/06/06 09:45:28 DgPmvKNl0
>>242
ボビーオロゴン
244:名無しさん@一本勝ち
08/06/06 20:07:55 Q42+Z7yu0
>>207
その考えないヒトっぷりに幻滅しました。
245:名無しさん@一本勝ち
08/06/06 20:34:49 DJPiAdzS0
その後高岡のところへは行ったのかな
246:名無しさん@一本勝ち
08/06/06 21:02:49 VQ+6MYrQ0
マッ 木村福音書ってとこだな。それにしても頑張るね。
247:名無しさん@一本勝ち
08/06/06 21:37:00 VPf0C+DY0
面白い反面、神としてまつっとかないと気が済まないんだなぁとげんなり。
248:名無しさん@一本勝ち
08/06/06 21:55:44 xqZgzO590
たしかに95歳まで毎日鍛錬してかなりのレベルに達したことに関しては
敬意を表するが、総合的な武術のレベルとしては本部御殿手の上原清吉の方が上だと思う。
実際上原清吉は「合気なんて出来て当たり前、それよりその合気を使える間合いに入り込む技術の方が重要」とかいってたらしいし。
実際戦ったら佐川では勝てないだろう。
249:名無しさん@一本勝ち
08/06/06 22:15:59 9s0ZWDMp0
>>248
確かにあの動画みると身震いしてくるもんな
あんな歩法と体裁きの絶妙さ見たことないよ
完全に先の先とってるもん
佐川さんも動画の一つぐらい残してくれれば良かったのに
250:名無しさん@一本勝ち
08/06/06 22:26:49 7lfl57wX0
>>237
「技を受けないで合気ができるようになるのは無理」とは限りません。
武田惣角は合気(技と言うのは合気という意味ですよね)を受けた経験がないのに合気を創始しました。
保科近悳は佐川幸義宗範の見立てでは、合気が使えそうな人ではないとの事。
英夫よりも宗範のほうが合気のレベルが高いであろうとは、個人的に思いは致しますが。
251:名無しさん@一本勝ち
08/06/06 23:05:00 XOd4xPsvO
合気習得までに20年かかるんだとしたら、一般人には習得は難しいね。
252:名無しさん@一本勝ち
08/06/07 02:32:35 nYV1N0ud0
>>248-249
上原の動画見て身震い??(笑)
八光の龍峰の足下にも及ばないあの上原に??
腹で茶が沸くわ。(笑)
全日本合気道大会の演武の方が遥かにレベルが高いぞ、
あんなよぼ爺のヤラセ演武を見抜けない輩ばかりか。
沖縄の空手家と比べてみろ、鍛錬に裏打ちされたものが
あの人には滲み出るものが何もない。
ありゃあ弱いからだだ。
253:名無しさん@一本勝ち
08/06/07 07:16:17 YIko8rYC0
「本部御殿手の取手は八光流から学んだもの」と、時系列も技術比
較もせずに事実無根の中傷をする人が現れました。上原先生の受講は
、一日15分、四日間で計60分しか習ってないにもかかわらずです。当時
の事情をよく知る比嘉清徳先生のご子息・清彦先生(神道流現宗家)によれば、「講習会には父も誘われましたが断りました。私もその場にいたので覚えています。本部御殿手の取手が八光流から来たというのは全く
のデタラメで、父はそれ以前の昭和36年から取手を学んでいます」とのこ
とです。
また、上原先生の指導担当だった八光流元師範の方に確認したところ
、「沖縄の受講者の中でただ一人技が掛からない人がいましたが、それ
が上原先生でした。上原先生が八光流から影響を受けたということはな
いと思います」と語っています。
254:名無しさん@一本勝ち
08/06/07 07:32:45 UqLbUSIx0
『私のやり方は"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"で浮かせて必ず倒れる角度へ軽く押すからスパーンと倒れてしまうのだ』
ここからまず、"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"と押したり引いたり力を使ったりする事を区別して書いている事がわかります。
"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"を掛けるところと、そこから最後の"極め"までの過程を区別して書いている。この大切な点を見逃す人は多いようです。
本来は不可分なものでしょうが、区別出来るという前提が正しい結論を導く。正しい前提が正しい結論へと導く典型的な例だと思います。
例えばこのような区別をしない人は、"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"が離れた状態でも掛かるというと、掛かった相手がドカーンとどこかへ吹っ飛んで行くイメージを持つようです。
区別する人は、ひょっとするとそんな可能性すらあるかもしれないとは思うものの、それは未知数の世界であると判断するのです。
事実として区別出来ないから区別しないのではなく、区別が何をもたらすかという点に留意していなければならないのです。
佐川先生の言うところの"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"を掛けた状態というのは、私の経験した範囲内では、紙のようにぴらぴらの状態になるか、
表面上は何の変化や自覚がなくとも、そよ風が吹いてもあるいは視覚的な効果によってすら倒される可能性を秘めた状態、を指します。
この技術が五感で直接的に実感出来るものであったなら、素人にも容易に対応出来る技術であるという事になるでしょう。掛かった状態が相手に分からないからこそ、
今まで通用しなかったあらゆる素材が有効になる可能性を示唆してくれる。それが私の知るところの、佐川先生による"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"です。
255:名無しさん@一本勝ち
08/06/07 07:37:12 UqLbUSIx0
「体はできるだけ鍛えねばならない。鍛えれば力がつく。その力を相手に対するときに使うのではない。力を抜かなければ、"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"は使えない。
だが、力を抜いて相手に対するためには、体を鍛えておかねばならないのだ」
ここに先生の技術の特徴が一つ示されている。それは、徹底的にある領域を鍛えて、その鍛えた領域を使わないという点だ。
ただ使わないだけでは駄目なのは当然の事。しかし、力学的な力をどんなに量的に獲得しても、そこに有効な代わりのものは出ない。ここでは先生は、力という言葉を本質を覆い隠す擬態として使っている。
擬態は沢山ある。例えば、手首が重要なのは大東流では当たり前だ。でなければ、手首に関わる技が沢山ある道理がない。
しかし、「手首のスナップ」などというとそれは本質を分からなくさせる、本質から遠ざける擬態なのである。
力ならば、どんなに鍛えても武術的に有効なものは力であり、だから必ず力を使わなければならない。当たり前の成り行きだが、これは必ず対応される。対応されるのは、相手の経験が蓄積していくからだ。
この問題を解決するのが一つの大きな関門だ。
先生の技術は、鍛えてその成果が実った時に、その鍛えた領域を使わずに済む存在が必ず現れる。それが"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"の特徴の一つだ。
そのような現象の連続で多重構造を為すのが"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"なのだろうか?ともかくも、力ではそれは現れない。
256:名無しさん@一本勝ち
08/06/07 07:37:33 UqLbUSIx0
先生の技がなぜ門弟達に絶対的な機能を発揮し続ける事が出来たのかというと、鍛えている領域自身を使わず、鍛えた事によって有効になった別のものを使うからだ。
そうする事で、敵は技術本体に対応する経験を積まずに、別の経験を積み続ける。敵への技の威力が永続する仕組みだ。
つまり、「感じる」という経験の積み重ねが通用しないどころか本質から遠ざかる要因にすらなり得る。この問題を超越するには「感じる」という行為を五感を超えた領域を把握する目的の
「仲介者」のように使えば良いのだが、この具体的な技術は秘伝に属する。
さらに、これが瞬間の技術である為に、分析はもちろん、感知の意義は無効になる。言語化する事の有効領域を超える(それ故に、言語化出来ないという前提に立ってあえて言語化したり、
意識や概念を言語化しない状態で駆使するような行為が、極めて有効になるのである)。
しかも、瞬間で可能だからこそ、究極的には意識の速度で出来る。つまり、五感で感じ取れない領域内で使える。これは、(鍛えた事によって有効になった別のものを使わずとも)技術本体も、
使っていながら「使っていない」のと極めて近い効果をもたらす。
これらが多重構造になって万全の布陣となっている。
数学の未解決問題を解決したと思った時、それが正しいかどうか検証するには時間が掛かる。高度なものであればあるほどそうだ。"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"
を会得した可能性が高いと判断された時に、それを検証するには"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"を駆使する先生自身ですら時間が掛かった。
だから「どうしてもできたと言い張るのなら、こういう事が成り立つはずだから確かめてみなさい」と言った佐藤教授のように、佐川先生は木村さんを検証した。
それくらい存在を確かめるのが難しい技術なのだ。
そして先生は「木村君の場合はなんでも説明しなければならないのだからまったく大変だ。一人前にしてやろうと思うと、このように面倒だからいやなのだ。
木村君は熱心だから何とかしてやろうと思うのだが、なかなか難しい」と言う事になる。
257:名無しさん@一本勝ち
08/06/07 07:37:56 UqLbUSIx0
このような難しさが、「武田先生に習った人はあれ程沢山いて誰も"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"ができないのだから如何に難しいかわかるでしょう」という発言につながって行く。
"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"が出来なくとも、"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"がもたらす思想は他の技術に活かされる。
例えば、文章を書き続ける事によって言葉は磨かれて行くが、その意味するところを駆使するのに言葉を使わない、というような行為が、有効な機能として駆使出来る人が出て来る。
"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"には、そこに至らなくとも、至る過程で派生する様々な(それこそ素晴らしい)副産物があり、
それを駆使出来るようになった人達はこの技術の持つ特殊性と偉大さに魅了され続けるのである。
達人と呼ばれた人達が孤独な鍛錬に耐えられたのは、五感で感じ取れない存在が他者を支配し、その不可避の支配の一部を、自身が駆使しているという確信があるからであり、
支配される者とそうでない者を明確に区別出来る事がもたらす心の安定からであり、精神が強いとかそういう事ではない。
五感で感じ取れない存在の価値は、他者に対する(当人が望まなくとも起こる)不可避な、ある種の絶対支配によって認識される。
258:名無しさん@一本勝ち
08/06/07 07:40:05 UqLbUSIx0
私は先生の諸手捕りや合気上げ、突きや、手を使わずにその立ち位置で敵を引っくり返してしまう"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"などは、観る機会があったのですが、
小手返しは観る機会がなかった。それと掴み手もなかった。これは非常に残念で(あるいは知らない事に何か与えられた意味があるのかもしれませんが)、
私は特に先生のところの小手返しのやり方が好きなのです。あれは実に面白い。
良く聞く話だと、先生のやり方は弟子の方々と違って、横にスーッとやっていくやり方なのだとかで、先生のやり方だと出来ないので皆自分なりのやり方でやっているそうですが、
ちょっと私のような凡才には想像出来ません。
先生が高橋賢さんに沢山掛けていた諸手捕りなどは、いま凄く役に立ってますからね。
「透明な力」でも木村さんに「コテ返しもなかなか力が出るようにならないでしょう」と言われているけれども、普通の力の出し方じゃ力が出ないように、
そしてそのような力の出し方では役に立たないようにデザインされた稽古なんですね。それで「このやり方でどうやって力が出せるっていうのはどういう仕組みなんだろう」と思って研究して、出せるようになると、
「ああ、佐川先生って本当に天才だ。良いものを有り難うございます」と心から思えるわけです。感謝の気持ちが本物に近づいて行く。
出来ないからといって出来るように変えちゃうっていうのは、それが正しいものだった時、まずいと思うんです。しかし間違ったものなら変えるしかないし、凄く難しい問題なんだけれども、、、、。
259:名無しさん@一本勝ち
08/06/07 07:44:12 UqLbUSIx0
手首に何かを集中すると力と意識が連動した状態で出る
『肩の力を抜くことだって本当は大変なことで
相当な鍛錬を永年やって出来るようになる』
『その時はっきり感じたのは先生の手、特に腕に全く力が入っていないで
こちらがもっている部分にのみ力が集中している事だった』
『つかまれている手首だけに力を集中するには、初歩の段階では「意識・イメージ」を持つことが重要だ。
佐川先生が「"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"は意識だ」というような表現をしたこともあるが、』
この3つの内容は連動している。佐川先生にとって、「肩の力を抜く」のは出発点ではなく、
目的地に近い。そして「肩の力を抜」いて力を出すには、
人類である限り、手首へのある種の集中が不可避であり不可欠なのだ。
なぜそのようにして力を出さなければならないのかというと、力を出すのが本当の狙いではない。
物理的最大値で言えば、肩の力を入れた力の方が大きいから、
そのような最大値を求めるならば余りメリットはない。
これは意識を出すのが本当の狙いだ。そのようにして力が出ている時、
その力と連動して意識も出ている、という点が重要なのだ。
そのような点を重視する事によって培われた思考傾向は
「技が出来なければ心だって駄目だよ。心が別にあるのではなく同じ人間に属するのだから」
「心と体が一致するのが大事だ」
という発言となって現れる。
意識や心といった精神的なものが、大切なものであるという事を、
現実世界に有効な形で、使い手に明らかにしてくれるのが、
佐川先生による大東流の特徴の1つだと思う。
私個人は武術としてよりも、そのような面に一番惹かれる。
260:名無しさん@一本勝ち
08/06/07 07:45:23 UqLbUSIx0
手首への力の集中の重要性を経験している人達にとっては、
「透明な力」から高橋さんによる本に渡っての、このような内容の変化は象徴的と言える。
「手首だけに力が集中」出来なければ、相手が「もっている部分にのみ力が集中」する事は可能にならない。
私の考えでは、手首は唯一絶対と言って良い重要かつ有効な出発点であり、切っ掛けであり、目的地でもある。
もし私の肘から先が事故等で失われていたら、私が会得して来た様々なものをどうやって会得出来るのか、
私には想像も付かない。私にとっては、それくらい重要だ。
その単純ではあるが重要な要点を、生前に書かれた先生お墨付きの「透明な力」では避けた、というところが大変面白い。
あるいは手首に着目する以上の、鍛錬上の妙手があったから、その見通しを以て言及を避けたのだろうか?
もしそうなら現時点の私ではお手上げである。
ある目的に執着していると本来の目的とは異なるものが実現している、
という点に着目して、それを駆使する例が、佐川先生の大東流には多いように思える。
例えば合気上げは、「上げる」という動作ではなく、「掴む」動作の顕現という側面もある。
佐川先生の「掴む」を実現する為には手首へのある種の集中が不可欠であり、
それを実現する方法を大きく示そうとすると、視覚上は「上げる」動作になる。
また合気上げは、「上げる」という動作ではなく、"力を出す"動作の顕現という側面もある。
佐川先生の"力を出す"を実現する為には手首へのある種の集中が不可欠であり、
それを実現する方法を大きく示そうとすると、視覚上は「上げる」動作になる。
さらに合気上げは、「上げる」という動作ではなく、"意識を出す"動作の顕現という側面もある。
佐川先生の"意識を出す"を実現する為には手首へのある種の集中が不可欠であり、
それを実現する方法を大きく示そうとすると、視覚上は「上げる」動作になる。
261:名無しさん@一本勝ち
08/06/07 07:45:59 UqLbUSIx0
「掴む」という動作を通常とは異なる特別な領域にまで昇華させた結果、
それ自体で「力が出」ている事を発見し、敵の支配に有効な意識が出ている事を発見し、
それが視覚上は「上げる」動作になっている事を発見し、それを有効な形で駆使すると様々な異なる目的が存在する事が分かって来る。そしてさらにそれらを元にして、というような過程を積み重ねているのが佐川先生の流ではないか、と考えている。
これは閃きにも同じ事が言える。私にとって閃きとは、本来の目的とは全く異なる目的を、現実世界に有効な形で発見する、という感覚に近い。
手首に力を集中する事で力が出る、これを認識して使えるようになるとさらに、
という風に閃いた内容が連鎖構造というか、多重構造を為すような感じだ。
これは
「"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"は開眼しなければならない。
これはひらめきだから天才ならすぐ分かってしまうかもしれないし、
分からない人はいくらやっても分からないかもしれない。」
という先生の発言に繋がって行く。
もし、この技術が、(私の知る意味での)閃きによるものならば、
いわば全く異なる目的同士が有機的に連動しあう構造になっていて、
常識的な観点で論理的な思考をしても答えに決して届かない。
それ故に「AはBである」という風に、
何かを何かに符号させる思考癖では駄目だという事になってしまう。
ステレオタイプではどんどん誤った方向に導かれる構造になっている。
そのような思考傾向を持つ者にある種の天罰が下るようになっているのだ。
私が、いったん論理的な一通りの解釈をした後に、
それに頼らない読み方をするのはこのような意味もある。
論理的に筋道を立てて理解していく事は様々な場面で有効である。
しかし、それが通用しない場面が多々あらわれるのが本物の面白いところなのだ。
このような点について先生は
「これはひらめきだからね、わかる人には一回でわかってしまう事もあるし、、、、、、。」
「わからないからと言ってくり返してもだめだ。
むしろそれを打ち捨ててしまって二、三日たってやってみるとハッと分かる事もある。」
と言及している。
262:名無しさん@一本勝ち
08/06/07 07:46:39 UqLbUSIx0
くり返しは、良くも悪くも蓄積である。
だからくり返す内容は正しくなければならない。
しかし、それを見出すのが大変だから皆苦労するのだが、、、、。
だから、下手に間違ったものをくり返すよりも、
一番の入り口で「あれが正しいのだろうか?それともこれが正しいのだろうか?」
などとクヨクヨしていた方が良かったりする事もある。
全ての事はとても一筋縄ではいかないのだ。
ちなみに、ここに書かれた内容を可能にするコツは、ない。
私は出来るようになって、これを進化させ続けているが、これをどう教えれば会得出来るか、という点も当然ながら徹底的に研究している。
自身のやり方が簡単に会得出来るものならば、洒落にならないからである。
とても重要なものなのに、身も蓋もない話だが、コツはない。
手首に着目し、手首に関与した技を沢山経験する事でそこに至る道幅を狭める程度の事なら出来るだろう。
私自身は、肩の力を抜くという事に関しては相当自信があり研究も続けていたが、
それでも「もうこんな苦労は二度としたくない」と思うくらい時間が掛かっている。
その苦労の内容は人に話をする気にはならない。
私が生来の怠け者なせいもあるのだろうが、思い出すだけで嫌になる。
これはどんなに才能があっても「こうすれば良い」と分かってから体を慣らすのに、
最低でも10年は掛かる内容だと思う。
私は良く友人に「お前は時間という概念を超越してるな」
と呆れ半分に言われる事があるが、
それくらい長期的な計画で生きていないと出来ない。
263:名無しさん@一本勝ち
08/06/07 07:47:13 UqLbUSIx0
そういう経験をしている私に言わせると、
"合気上げが短期間で出来るようになります"といった類いの宣伝文句はあり得ない。
それだけで考慮に入れる価値すらないと分かってしまう。
これは、才能と同時に、短縮出来ない、絶対的な時間が必要なものなのだ。
ワインを醸造するにも必ず必要な期間がある。
楽器に使う木を寝かせて乾燥させるにも、絶対的に必要な期間がある。
それと同じように、
合気上げも数多ある1つの意味が分かってから、
それを体にしみ込ませる為に必要な絶対的な期間があるのだ。
ワインや木と同じように、人間の体にも固有の性質があるのだから当然だろう。
そのような熟成期間に耐えられる為には他人から教わったりした借り物ではなく、
閃いたりして自分のものになったものでなければならない。
それを手助けするのが武術の教授過程ではないかと思う。
これが出来るようになると技は全く変わってしまうし、
閃きという現象が日常茶飯事になって来る(確かにこの面白さが分かると、色々な技を学ぶのが馬鹿馬鹿しく思えて来る)。
そしてその積み重ねが進化へと繋がって行く(ここに至ると佐川先生の恐ろしさが朧げながら感じ取れる)。
この技術が閃く事に依存したものなのだとしたら、
示された修行過程でのそのような変化は、至極当たり前なのかもしれない。
コツはなく、極めて難関であり、黒帯になっても出来ない人は沢山いるという、佐川道場で最初に教わる着眼点の1つだった。
もっとも、佐川先生の流に限らず、この欠如を補う方法論は沢山あるのでそれはそれで良いのだが、それは武術の世界でしか通用せず、他の世界では非常に低い段階の"技”に堕ちてしまう。
それではつまらないので、私はそれをやらない。
私は怠け者なので、武術を通じて会得した境地が、他の分野に同程度まで応用出来ないと、満足出来ないようだ。
264:名無しさん@一本勝ち
08/06/07 07:51:22 UqLbUSIx0
そうですね。鍛えに鍛えて体が変わって行く過程である時スッと、
内部感覚として何かが体に入って来る。
それは言葉としての閃きが
「ひょっとすると、これはこうすれば良いのかもしれない」という風に意識としてやって来て、
その後すぐに内部感覚とでも言うべき形で体に入って来る。
その価値の大きさは、
今まで解けなかった問題がどんどん解けて行く事で、
有効なコツが次々と生まれて来る事で分かる。
例えば"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"ですが、木村さんは、非物質システムのスイッチを切る、でしたっけ?そういう風に言っている。相手のスイッチを切れるという事は、
当然自分のスイッチも切れるんです。今だから分かるのだけれども、先生はそうやって自分に"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"を掛けて、その状態を技術的に相手に移動させていました。
相手の状態を変える事が、"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"の特徴の1つですが、変えられる状態は自分が体現出来る状態以上のものではないのです。
265:名無しさん@一本勝ち
08/06/07 07:51:48 UqLbUSIx0
だから、どんどんどんどん力を抜いて、その上で立った状態を維持したりと、色々体を動かせる工夫が必要になる。足腰が弱ければ、そんな状態になったら立っていられない、というくらい抜く。
自分で自分のスイッチを切るには本当に抜けていなければならない。そして、訓練の際には、スイッチが切れるギリギリのところでずっと居続ける事が重要です。その状態で体を沢山動かす。
本当に力を抜く事の意味を知っている人は、足腰の強さの定義も普通とは違います。
ではどうやって力を抜くのかというと、これが秘伝だ。これはコツがちゃんとあります。なぜそうやって抜かなければならないのかの理由も含めて、コツとしてちゃんと存在する。
ただそれで出来るかどうかは努力と工夫次第なので、それをコツと言って良いものかどうか、、、、。
佐川先生は自分の体を色んな状態に出来たから、その技術で色んな状態を相手に移動させる事が可能だったのです。体に存在する非物質的なものの動きを止めたり、
それによって体を極限まで柔らかくしたりあるいは固めた状態にしたり、相手の胸のところを極限まで熱い状態にしたり、エネルギーのようなものを体一杯に貯めて、
それを相手にそのまま移動したり、色々出来た。
それがどうして技術的に可能になるのかというと、ここが天才のなせる技で、それが少しでも出来るようになれば、佐川先生の凄さに驚嘆せざるを得ない。
266:名無しさん@一本勝ち
08/06/07 07:52:39 UqLbUSIx0
>「相手の胸のところを極限まで熱い状態にしたり」は聞いた事の無い現象なので、
>驚きです。これはその部分の温度が高くなるって事でしょうか?
>つまらない事だったらスイマセン。
全然つまらない事じゃないですよ。だけど、それは話せません。
それには"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"を考える上でのちゃんとした理由があります。
それは言っておきます。
この流は似た効果のあるものが沢山あるから普通のやり方で"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"を発見するのはまず無理でしょう。それを発見した佐川先生のような人は天才だと思うし、
どうやって見つけたのか本当に不思議に思う(などと良いながらも、実は仮説はある)。木村さんのようなやり方での努力は、私にはとても真似出来ません。
それに、あんなに苦労して手に入れると他人に話せなくなってしまいます。技がその人の命と一体になって、それを教えるという事は、命を削る行為と同義ですから。
だから私は、その苦労をなんとか軽減する事で、良いものを皆とシェア出来るようにやって行きたいな、と思っているんですが、なかなか難しいです。
同じ鍛え方の中に、表面上は同じ効果のあるやり方のバリエーションが沢山あって、その中で、「自分の状態を相手に瞬間的に移行する」技術と、「自分の状態をすっかり駄目にする」技術の2つがあるんです。
この2つの技術を強化する鍛え方がある。この2つがあってはじめて、"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"になる。これは生きた人間であるという条件がつく限り、絶対的な意味で2つしかない。
もう道は決まっている。その正解を選り分けていくのが凄く大変なんですよ。
267:名無しさん@一本勝ち
08/06/07 07:58:26 YIko8rYC0
>>259
>佐川先生が「"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"は意識だ」というような表現をしたこともあるが、』
この発言のソースは何?
木村の本にこんなこと載ってなかったんだけど。
268:名無しさん@一本勝ち
08/06/07 07:59:52 UqLbUSIx0
知人で種を蒔くのが趣味という(悪い)人がいます。ちょっとした可愛い花の咲く種を通りの道端にさらっと蒔いていくんだそうです。そして咲いた花を通りがてら楽しむ。
なるほど、動物の糞や臭いゴミなら苦情が出ますが、花が咲いて苦情が出る事はまずない。確信犯ですね。
佐川先生もきっと種を蒔くような事をやっていたと思います。それは私の全く個人的な感じ方ではあるのだけれども、そういう瞬間が何度かあったのです。
それが"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"という技術の未来をある程度見通す事を可能にし、木村さんによる「透明な力」以来の本の理解を易しくし、私は自身の想像を超える、
自身の批判精神を十分に満足させるものをいくつか手に入れた。
木村さんに関して、どうも、誤解されている向きもあるようだから言います。私は、木村さんが書いたから木村さんによる最新刊の内容を信頼しているのではないのです。
私は私自身への批判精神と自身の能力を誰よりも信頼しているからこそ、佐川先生や木村さんの事も信頼出来るのです。"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"
は私の期待通りの未来と機能を備えている。だからこそ、木村さんの書かれた内容も受け入れられる。もっともこの場合、「受け入れられる」とか、「信頼している」という意味では不適当なのかもしれませんね。
余談ですが、佐川先生は木村さんに"相手の状態をすっかりダメにしてしまう瞬間の技術"の種を蒔く事が出来た筈です。けれどもやらなかったのは、自得する意味の重大さを理解している先生ならではでしょう。
その重大さを知っている人は決して、教わったからといって喜々としていない。むしろ、教わる事によって一つの敗北と、可能性の一つの消滅すら存在する。だから私は教わるのが大嫌いで、
教え好きな人は私にとって悪の象徴ですらあります。
であるからこそ、佐川先生はきっと、木村さんが自得出来るようにする為にあらゆる布石を惜しまなかったのでしょう。もちろんこれは、証拠の何も無い、私の完全な想像です。
269:以上で転載終わり
08/06/07 08:00:19 UqLbUSIx0
少なくとも私は、私がいま会得している大切なものが、佐川先生を通過しなければ得られないものであった事を自覚しています。何も奪っていないのに感謝したりはしない。
どこにでもあるものを手に入れたのならば、感謝する必要もない。
私でも誰でも、子供の頃は根拠のないものを信じたりするものです。それが困難なものであればあるほど燻り続けてなかなか真性を顕す地点にまでいかない。
人間の殆どはそうやって一生を終えるのでしょう。そして、その根拠のない信念の全てが現実になる訳ではもちろんありません。
しかし、本物に会うと、その根拠のない信念、言い換えれば根拠のない前提が、特別な意味と機能を備えてしまう。その時に、本物の偉大さというものを思い知らされるのです。
私にとって先生と小さな縁を得たという事は、そういう事でした。
けれども、私は元来武術家の気質ではないから、それを実生活や別の方面でどんどん応用していく事でその奥深さや面白さを実感していて、武術からはどんどん離れて行ってしまっています。
それは私が真に追求しているものが必ずしも武術ではなく、本物だけが備える機能を駆使する事にあるからでしょう。それはこの掲示板にも活かされています。
佐川先生を通じて会得したものを駆使して、インターネットという世界に関わる。こんなにも通常ではなく、面白い事はありません。
本物は種を蒔く楽しさを知っています。そして、本物が種を蒔く瞬間を必ず感じ取れるように、私は日々精進したいと思います。
それでは皆さん、あけましておめでとうございます。
270:名無しさん@一本勝ち
08/06/07 08:01:43 Dp2lmPV60
なんだ佐川道場ではこんなこと秘伝あつかいしてたのかw
今本屋で普通に1500円で買える『極意の解明』と『原説・太極拳』って本買えば
ココに書いてあるようなことは詳しい説明付で全部載ってるよ
もったいぶってバカみたいだな
271:名無しさん@一本勝ち
08/06/07 17:41:51 5q4GX3Fj0
別に、木村=佐川といいたいだけだろう。悪魔の書ではないよ。
筑波福音伝だろう。
272:名無しさん@一本勝ち
08/06/07 18:40:50 3aW2rpH3O
ワロス。高弟でもない下っ端がネットに書き散らした文章だろ 三か月で秘伝なんて教わるわけがない
273:名無しさん@一本勝ち
08/06/07 18:46:37 yg4Soqjz0
合気という技術を知らない武道オタクが妄想で書くから、
どんどん佐川は神格化されていくな。
274:名無しさん@一本勝ち
08/06/07 18:51:51 yjdkoRaD0
URLリンク(www.nicovideo.jp)
275:名無しさん@一本勝ち
08/06/07 18:52:48 PLPiGFoJ0
この文字数・・・・頭が痛くなる
やっぱり狂信者おおいね!
276:名無しさん@一本勝ち
08/06/07 19:07:37 a9HFCnpl0
服軽く掴んだだけで合気がかかるってのはやっぱ
わからんなぁ。
どんな原理なんだろうね。
277:名無しさん@一本勝ち
08/06/07 20:39:08 +XfovgsV0
URLリンク(jp.youtube.com)
これ、ずばり合気でしょう
278:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 01:21:11 NM00FlvY0
20年、30年やってても分からないのに、何で3ヶ月で
ここまでグダグダ書けるのか?
こんなアホなこと書く前にもっと練習しろよ
279:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 01:31:24 qjd6swWP0
だって武田ソウガク入れて合気出来た人
何人もいないんでしょう。
何十年に1人ぐらいの天才じゃないと無理なんじゃない?
佐川先生も言ってたらしい。
『見ただけでは絶対わからない。』
280:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 02:07:40 NM00FlvY0
今月号の秘伝の佐川特集で佐川先生もいってるけど、
合気には攻撃と防御の二種類があって、力抜きの合気は防御の方。
これを合気だと思ってる人が多いけど、実は攻撃に使う合気もある。
身体の各所で敵を攻撃するのが攻撃用の合気。
身体の各所で敵の力を抜くのが防御用の合気。
この攻撃用の合気が中拳の発剄と同じものだろう。
そう考えたら合気を使える人は結構いる。
281:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 02:39:47 X+61fYD/0
>>253
信者がこういう詭弁を弄するのは今にはじまったこっちゃない。
上原は沖縄空手が継承出来ないから御殿手などを名乗っただけだろ。
で、本土の八光柔術を取り入れた。
何しろ、どう取り繕っても、署名して師範まで取ってるんだから
言い逃れは出来まいて。
282:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 03:27:59 PIwb0E100
八光流の古い師範名鑑を見た事があるけど写真入りで上原さんも載っていたけど。
沖縄には確か上原さんも含めて2人師範がのっていたと思う。
283:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 03:45:00 X+61fYD/0
そうだろうよ。
まあ、面子に拘って修業暦を誤魔化す輩は上原に限ったことではないがな。
御殿手も沖縄舞踊の一種としてはいいんじゃないのか。w
284:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 06:49:03 0vfobqdj0
佐川先生は合気は力じゃないっていってたから、ハッケイじゃあないでしょう。
中拳やってる弟子もいたわけだしね。力と合気の区別ははっきりつけてるよ。
攻撃の合気は佐川先生が70歳に会得した合気のほうじゃないかな。
285:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 07:10:54 6Dppedh+0
発勁も力じゃないよ。
文字通り勁を発するわけだから。
「力は滞り 勁はひろびろ、力は遅く 勁は速い、力は散じ 勁は集まる、力は浮き 勁は沈む、力は鈍く 勁は鋭い」
勁=合気だと吉丸さんはいってるね。
286:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 07:24:18 0vfobqdj0
勁は力の一種だよ。伝わり方が違うだけ。発力とも言うでしょ。
勁は佐川先生の言う、武術的な力や透明な力のほうでしょう。
吉丸さんの 勁=合気 というのは古い本に書かれてたやつでしょ。最新刊では合気とは気をあわせること。とか書いてあったよ。
287:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 07:35:18 6Dppedh+0
勁=合気というのは吉丸さんのHPに載ってたよ。
その最新刊よりさらに後に書かれた奴。
それに佐川先生がよ「合気の集中力」といってたらしいよ。
合気充満の手で相手を打つと相手の骨が折れると。
288:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 07:37:40 HJ+CpqGg0
佐川合気は勁でも気功でも超能力でもありません
人類史上、ただ佐川先生と木村師範だけが身につけた技術
ー保江邦夫
289:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 07:46:55 6Dppedh+0
『合気道極意の秘密』では天真真楊流伝書を引用しましたが、これも
表面に現れた現象の説明であり、それがどうしてそうなるのかの本質は
分かっていません。ここでは「この状態を相気という」と言っていますが、こ
れを「勁」といっても同じことになります。
「水に浮いた瓢を指先に押すと、瓢は沈まずにくるりと反転し、指先に離
れず纏いつく。この状態を相気という。」
呉式太極拳の瀬戸老師もはっきりと「勁が合気」と言われています。
URLリンク(homepage2.nifty.com)
290:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 07:58:11 OUIAd/QoO
発勁は、
発力という言い方する門派はあるが、
力じゃあないよ!
そんな事を言ってるのは、底の浅い修行者と、
素人だけ、
まともに勁を受けた人間には、勁は力だという奴はいない。
保江のおっさんも、
佐川合気を誉めるのは勝手だが、
発勁を知らないくせに比較の対象にしてほしくはないなW
291:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 08:04:29 0vfobqdj0
>>289
おや。ほんとうだ。
すまんね。俺が誤読したのかな。
292:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 08:11:36 0vfobqdj0
力ってのは物理学的な意味での力って事だよ。
力として測定できる以上力の一種といっても間違いじゃない。
松田隆智が中部大学助教授(当時)・吉福康郎の研究に協力した際、寸勁を測定した波形では、発勁は持続的にエネルギーを伝え、体当たりに近い波形を示した。
エネルギーの伝わり方から、初心の内は、相手の体を吹き飛ばす(押し飛ばす)ような効果が現れやすい性質を持つとも言われている。
錬成された発勁は、貫通力をもった打撃術となり、臓器を痛めつけるような性質を持つようになる(これを浸透勁と呼ぶ)。
しかし、演武や練習時には、怪我を防ぐため、わざと吹き飛ばすようにする(見ている者の受けが良いという点も挙げられる)。
293:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 08:26:15 0vfobqdj0
秘伝6月号を見てみたが、佐川先生は合気の集中力ともいってるね。
しかし先生は後に透明な力という言葉を使うようになり、合気の集中力はだんだん使われなくなったと有る。
昭和61年にこの言葉が使われるようになったとあるから、吉丸さんは透明な力という言葉は聞いてないわけだ。
佐川先生も吉丸さんがいたころはその辺は曖昧だったのだと思う。
なんにせよ著書「透明な力」で佐川先生は合気は透明な力といった力とは別のものといってる。
294:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 08:39:17 OUIAd/QoO
>>292
それは発勁による衝撃力を測定したのだろう。
それをいうなら、
合気で、相手を崩して投げる力が発生しているのだから、
合気=力という事になるぞ。
295:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 08:46:30 0vfobqdj0
>>294
『私のやり方は合気で浮かせて必ず倒れる角度へ軽く押すからスパーンと倒れてしまうのだ』
って言ってるから合気と力は区別しているものと思う。
296:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 08:50:21 OUIAd/QoO
発勁もそうだよ(笑)
違うっていうのなら、合気による打撃では、衝撃力が発生しないのだな!
297:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 08:52:50 0vfobqdj0
合気とは「相手の力を抜く技術」のこと。
合気の集中力、透明な力とは力の一種。
298:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 08:58:23 OUIAd/QoO
なんだか言葉遊びだなWWW
まあせいぜい励みなよ
299:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 09:25:08 0vfobqdj0
中拳オタはこれだから困る。
間違った前提に立っても間違った結論にしかたどり着かないよ。
300:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 09:34:36 OUIAd/QoO
佐川オタはこれだから困るWW
合気は相手の力を抜く技術で、打撃の時は合気の集中力に切り替わるのかい?(笑)
ようは打撃になると、力を使ってるって事だ(笑)
発勁を知らない佐川オタらしい発言だよ(笑)
301:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 09:55:23 0vfobqdj0
>>300
だから合気と合気の集中力は別のものといっているでしょう。
基本的な認識からして間違ってるから結論も間違えるんだよ。
ハッケイにしても、力じゃなかったら何で食らった人が吹っ飛ぶの?気かなんかのエネルギーで飛んだりするの?
ハッケイはf=maで現せないものなの?
佐川先生は科学的に考えなければダメだといっていたが、あなたには無理なようだね。
302:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 09:57:14 0vfobqdj0
あ。f=maじゃないね。すまん
303:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 10:07:04 OUIAd/QoO
佐川オタよ
それならF=MC(2乗)で、合気の集中力とやらを説明してみろよ(笑)
そんな公式も知らない奴に説明できるわけないか(笑)
304:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 10:15:10 OUIAd/QoO
発勁とは君が今先ほど言った、相手を浮かせる技術や、力を抜く技術を踏まえて、打ち出されるものなんだよ!
衝撃力だけをもって発勁とは言わないのW
集中力だけをもって、合気の集中力とは言わないだろ!
自分が正しくて相手が間違ってるという
上から目線で最初からもの言うところが、
佐川オタの悪いところだ。
305:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 10:21:44 0vfobqdj0
発勁とは
中国武術特有の力の出し方のこと。
「気功」などと同様、神秘的なイメージのつきまとう言葉ではあるが、中国語でいう「勁」は「強い力」のことであり、ただ単純に「強い力を発生させること」を意味している。そのまま「発力」と呼ばれる場合もある。
その技法内容は門派によって様々であり、どのような力の出し方が発勁であるかという風に断定することはできない。
306:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 10:24:18 0vfobqdj0
発勁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
発勁(はっけい)とは、中国武術における力の発し方の技術を意味する。元々中国語には発勁という熟語はないが、発と勁で「激しく力を発する。」という意味ともとれる。
中国武術用語としては気で発するのが発勁、骨と筋肉で発するのが力と分ける場合もある。
その解釈はさまざまである。武術(中国の武術以外にも気は存在する)における「気」とは、体の「伸筋の力」、「張る力」、「重心移動の力」といわれることが多い。
勁を鍛えるため、様々な鍛錬(中国武術では練功という)を行う。また、「力む」と屈筋に力が入ってしまい、「張る力」を阻害するため逆効果であるともされる。
307:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 10:26:34 0vfobqdj0
見ればわかるとおり、力の一種といって問題があるとは思わないが。
308:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 10:30:45 OUIAd/QoO
何をウイキの走り書き書いてにげてんだよ!
これだから素人は困る。
ちゃんと修行した奴らは、しっかりわかってるんだよ(笑)
先ずは合気の集中力はやく説明してくれよな
別にいじめる気はないが、知ったかぶりはやめとくんだな!
長野の気持ちは少しはわかるなW
309:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 10:39:58 0vfobqdj0
合気の集中力も力の一種だろうと書いてる。
なぜ力なのかというと、佐川先生が合気は透明な力や合気の集中力といった、力とは別のもの。といってたから。
すなわち力の一種と認識していたことになる。
310:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 10:55:33 OUIAd/QoO
だから
佐川さんが力とは別のものと言ってる力と、
君が言う力の一種の力とは、違うだろう!!?
311:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 11:20:06 0vfobqdj0
いってる意味がわからん。
とにかく正しく本から引用すると、
合気は集中力とか透明な力というような、いわゆる力とは違うものである。
合気は敵の力を抜いてしまう技術だからである。
とある。
312:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 11:43:23 3Kb/d8fY0
>合気は集中力とか透明な力というような、いわゆる力とは違うものである。
>>311
横から失礼!
あなたは集中力とか透明な力は、いわゆる力とよばれるものであると、解釈してるんじゃないか?
彼は、発勁は、合気のようなものを含んで、発勁といっていて、
単に集中力とか、透明な力だけを、発勁といわれても困る
と、いってるんじゃないか?
分けてる、分けてないの違いだけで、
単に言葉の違いだけのような気がする。
313:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 12:01:42 OUIAd/QoO
>>312
そうかもな!
まあ基本力というのは、筋力を力ませて出す力の事で、
発勁をやる時は、
筋力を力ませないで出すわけだからな!
全然使わないといったら語弊はあるが、
力の一種だと考えてしまうと、
筋力に走ってしまう。だから勁という言葉で区別されるわけだな。
これで失礼するよ。
じゃましたね
314:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 13:56:12 sL7GX+Za0
佐川先生の定義した愛器は、定義したようで実は単なる感想。
だから、いろんな意味で愛器を使うので、みんな混同してしまう。
それが佐川先生の狙いかもしれないけども。
佐川語録は深く考えないほうがいいと思う。
秘伝読んだ。真実を隠しているだろうけど、あの鍛錬は、原始的というか、
思っていたよりもはるかに低いレベルだった。
315:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 18:59:37 yKCyhgqo0
このスレにかぎらずどこでもそうなのだが、
なぜ中拳の人は何でもかんでも勁で解釈しようとするのだろう...
316:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 19:35:07 77F7eUKP0
あんな四股、シコシコしながらでも1000回出来るぜ。
317:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 20:09:53 irtaBGaN0
>>314
>佐川先生の定義した愛器は、定義したようで実は単なる感想。
>だから、いろんな意味で愛器を使うので、みんな混同してしまう。
そうだろうな。
ごく普通の事しか書かれてないし、技術論的なものじゃない。
本から合気を探るのは不可能。
318:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 20:10:24 YMRrQfMk0
>>315
○○の一つ覚えだな。
中拳の人と中国人はそういう細かい言葉を定義し作るのがすきなのだろう。
319:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 20:36:16 OUIAd/QoO
>>318
〇〇の一人覚えだな(笑)
佐川オタは
なぜ合気合気と自分らは使えないくせに、
佐川本の語録に拘るのだろうか?
キモいなWWW
320:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 21:02:13 YMRrQfMk0
なんで発勁発勁言ってるのは痛い人が多いんだろうな~。
長野さんといい○○といい・・・・
321:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 21:17:57 TwaSQAQ90
ここは正確に佐川先生の言葉を引用しよう
秘伝6月号、P27
S63.03.14
師曰
合気の定義
合気は敵の力を抜く事とだけ、皆思っているが、それだけではない。
攻防共に合気がある。
合気は、防御では、体の各所で敵の力を抜く。
合気は、攻撃では、体の各所で敵を攻撃する。
下の攻撃の合気が発勁と同じものではないかという議論だね。
佐川先生が合気は攻防共にあるといってるんだから、力抜きの合気だけを合気と定義するのは間違っている。
攻撃の合気=発勁といってるのであって、防御の合気=発勁とは
いってないから。防御の合気は発勁とは違うことは分かってる。
ただ佐川先生自身が合気には二種類あると定義してるんだから、
攻撃の合気は発勁だとしても何の問題も無い。
この攻撃の合気も発勁じゃないというなら、それに関してどう違うのか説明して欲しい。
322:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 21:21:46 OUIAd/QoO
佐川オタは自分たちの痛さがわかってないのだなWWW
木村さんといい、保江さんといい、
323:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 22:46:44 pEoUPx6n0
>あんな四股、シコシコしながらでも1000回出来るぜ
それでやっと「一佐川」だ。 自慢できるほどのものじゃないよ。www
324:名無しさん@一本勝ち
08/06/08 22:54:23 BVyInlOX0
323
そうそう、みんなそうやって強くなるんだ。
325:名無しさん@一本勝ち
08/06/09 00:53:59 IWijl0Cf0
大森さんの「合気の術が途絶えた日」って何時出るんだ?つうかもう出とるんか?
326:名無しさん@一本勝ち
08/06/09 01:16:48 SsORhwZb0
合気の術が途絶えたも糞も瀬戸さんは佐川先生以上の合気を
再現してるよ。
瀬戸さん曰く、佐川先生はパフォーマンス寄りらしい。
あんなパフォーマンスでよければいくらでもやってるよ。
実際に戦えば佐川先生なんて瞬殺だろうな。
王向斎の再来といわれてるのは伊達じゃないよ。
世の中、上には上がいるんだよ。
327:名無しさん@一本勝ち
08/06/09 02:14:03 YsBE4hPH0
佐川語録を読む限りでは剣や打撃はたいしたことないだろうね
宮本武蔵以上とか妄想もいい加減にしろって感じだな
ボクシングを研究したとかいってたからてっきり実際ボクサー相手に
研究してたのかと思ってたら、なんと本見て研究してたことが今月号の
秘伝で明らかになったw
328:名無しさん@一本勝ち
08/06/09 02:23:19 qYOa0imD0
>>327
考えてみたら佐川門下には打撃の専門家なんていなかったもんな。
せいぜい空手の段持ちクラス。
松井館長が本気だしたら一発KOだったろうな。
329:名無しさん@一本勝ち
08/06/09 02:57:12 Wch8IJa70
それで火傷しましたw
330:名無しさん@一本勝ち
08/06/09 03:43:25 3nFDBIlQ0
>>321
そのころはただ定義があいまいなだけだったような気もする。
後に透明な力って言うようになったんでしょ?
最新の見解を取ったほうがいいのでは。
>>326
王樹金じゃなくて王向斎?誰が言ってるんだろうw
瀬戸さんは先の先に難があるから佐川さんどころか宇城さんにも勝てないと思うね。
まあやってみないとわからんけど。
331:名無しさん@一本勝ち
08/06/09 03:53:01 m5SRxTKv0
柳生が禅をやってたことを批判してて何かいってることがおかしいなとは思った。
心を鍛えるために禅をやってる時点で心が弱いとか言ってるけど、
剣術家が禅をやってたのは武術の体を作るためで別に心を鍛えるためだけにやってたわけじゃないのに。
剣禅一致という言葉は剣も禅も根本の部分は同じだという意味だし。
日本の武術には中国の武術のように体を作るための練習方法が確立されてないけど、昔の剣術家は禅で体を作れることを経験から分かってたんだよ。針ヶ谷夕雲や山岡鉄舟も禅で大成した。
こんなこと知らないわけないのに、なぜこんな的外れの批判をしてるのか。
332:名無しさん@一本勝ち
08/06/09 04:27:08 m5SRxTKv0
>>330
人間のやることなんて大差ないんだよ。
中国だろうが日本だろうが到達する地点は一緒。
だから発勁とダブる部分が出てきても全然おかしくないんだよ。
そういう透明な力とかいう言葉を使って神秘化するのはよくない。
合気充満の腕とか言ってるけどこれって要するに気のことでしょ。
他の人が気が充満してる腕といってるのを佐川先生は合気充満の腕といってるだけなんだよ。
あと木村さんが合気は意識の技術とかいってるけど、この意識って要するに意のことだろ。
力めば気が滞り、気が滞れば意が止まるの意のことでしょ。
でもその意識の技術って気が出てないと使えないし、日本の気の定義ってこの意の意味を
含んで使ってる場合が多いから別に気といってもいいんだよ。
現に宇城さんや藤平さんは気という言葉を使ってるし、呼吸力という言葉だって、植芝 吉祥丸
さんがうちでは気のことを呼吸力と呼んでいるといってる。
何でわざわざあそこまで合気は気じゃないと否定するのか分からないね。
木村さんは気じゃないんだ、意識の技術なんだということのおかしさが分かってないのかね。
木村さんが意識の技術だと思ってるものを他の人は昔から気と総称して呼んでるんですよ。
こういうことをして佐川合気は他とは違うんだと思わせようとしてるのかもしれないけど、
こういう人騙しみたいなことは辞めて欲しいね。
333:名無しさん@一本勝ち
08/06/09 04:38:14 QK7/GQuC0
長い
334:名無しさん@一本勝ち
08/06/09 05:00:19 3nFDBIlQ0
いや透明な力や合気充満の腕は気じゃなくて力といってるみたいだけど・・・。
自分ができない・わからないことなのに皆同じ、と言ってしまうのはどうかと思う。
動作は似通ってても原理は違うなんて事は良くあるのだから。
科学で証明できればこういう問題もなくなるんだろうけどね。
335:名無しさん@一本勝ち
08/06/09 06:02:55 d1WRP38sO
合気は気という藤平さんなんかが合気が出来るようになる遥か前の木村さんに押さえ込まれたからじゃね?
気の定義はやたら広いくもできるからなんでもかんでも気だといってごまかせる弱点もあるな。
>>334
説明ができたところで
インチキ合気商法問題が起きると思う
336:名無しさん@一本勝ち
08/06/09 06:06:53 r9dCXcRj0
>>328
打撃の専門家の方ですね?
極真空手の全日本大会出場、いや世界大会にも出場したことがあるお方とお見受けしましたが?
337:名無しさん@一本勝ち
08/06/09 09:27:06 BdRRd5aHO
>>335
その木村さんも長野ごときに止められて、
恥ずかしいなぁ(笑)
まるで宗教ですなWW
338:名無しさん@一本勝ち
08/06/09 14:13:40 VjD+UuFN0
>八光の龍峰の足下にも及ばないあの上原に??
>腹で茶が沸くわ。(笑)
奥山は発酵流の雑誌に「沖縄で会った上原清吉君の実力にはびっくりした」と
絶賛してますが何か? 植芝守平倒したとか、ホラ吹きまくりの奥山にしては
珍しく褒めてますが。そりゃ、発酵流の技が一つも掛からなかったんだから、
びっくりするのは当たり前だろうが。
339:名無しさん@一本勝ち
08/06/09 18:00:10 d1WRP38sO
止めたんじゃなくて逃げたんだろ。止められないから逃げただけなら何の自慢にもならない。
340:名無しさん@一本勝ち
08/06/09 18:04:48 d1WRP38sO
合気上げはアームレスリングみたいに状況設定してやるのだから逃げるのはあまりよくない。
アームレスリングでかなわないから逃げたら負けなかったと宣伝するようなもので長野はアホ丸だしかと。
341:名無しさん@一本勝ち
08/06/09 18:10:52 tJHIjhVNO
佐川以外はみんなクソだろう?
そんなのは常識だろう!
柳生なんて、幕末を見ればわかる?
権威だけかな?
お前らの常識が非常識なだけですよ!w
342:名無しさん@一本勝ち
08/06/09 19:28:48 JEcnMMx8O
どう考えても佐川がクソだろうw
佐川オタはそのクソにたかる蝿だなw
343:名無しさん@一本勝ち
08/06/09 20:07:08 z1vi4nZk0
佐川派の人間は佐川を史上最高の武術家と信じてやまないから
他の奴と同列に語られるとムカつくんだろう
344:名無しさん@一本勝ち
08/06/09 20:15:47 BdRRd5aHO
本当の合気は手がくっついて離れないのだろう(笑)
逃げられるって事は、まだ出来とらんってことだな(笑)
345:名無しさん@一本勝ち
08/06/09 20:25:52 BdRRd5aHO
>>340
合気上げは、アームレスリングだって(笑)
馬鹿もほどほどにしといたほうがいいな(笑)
346:名無しさん@一本勝ち
08/06/09 20:30:43 d1WRP38sO
例え話くらい今時小学生誰でもわかるがな
347:名無しさん@一本勝ち
08/06/09 21:18:41 z1vi4nZk0
若白髪の側からもキム師範に技掛けてあげれば良かったのにな
白黒ハッキリしたのに
348:名無しさん@一本勝ち
08/06/09 21:32:59 tJHIjhVNO
お前らがどうみてもクソで才能のかけらもないオタだろが?
ムカつきはしないよ?
クソはクソらしくしろってことだよ!
クソどもよ!
イタいぜ!w
349:名無しさん@一本勝ち
08/06/09 21:47:15 4/moCWIX0
江戸時代の武士が禅をやったのは、
武術の為という以上に、
当時ブームだったからと聞いたことがある。
つまり教養の一環としてやってた、と。