07/10/06 16:59:38 BjcS83uM0
昭和50年前後の話であるが、私の先輩が大東流の佐川師範の下で修行されていた。
当時は吉丸慶雪氏が道場長(師範代?)を務め、堀辺氏が時折顔を見せていたそう
である。ただし稽古をしているのは見たことが無かったとのこと、、、
その後、堀辺氏は東中野に『源氏大東流?』という看板の道場を出すのだが、なん
と吉丸慶雪氏が佐川道場に籍を置いたまま、共同経営者として参画していたのである。
吉丸氏はそれでも何か咎めるものがあったのか佐川師範の写真を道場に掲げていた
そうである。それが実質オーナーであるところの『宗家!(^o^;)』堀辺氏としては気
に喰わず、その件で両者がかなり激しく言い争っている現場を見たことがあると先輩
氏はお仰ている。
しかし、その『源氏大東流?』なるものは、勿論堀辺氏の全くの創作で、歴史に詳
しい知り合い…所謂『町の歴史家』に頼み、系図の巻き物を都合してもらっていたり
したそうである。(^^;)
吉丸氏は佐川師範に師事するまでは琉球古流唐手の遣い手でもあったそうで、堀辺
氏も技法的な面では吉丸氏に一目置き、創設した自流儀の技法的バックボーンとして
いた。
数年後、両者は仲違いし、吉丸氏去りし後、その道場は『換骨拳』と名称を変えて
しまう。さらにその後、さらに無節操な変貌を数年置きに繰返しているのは皆様御案
内の通りである。
ただ、吉丸氏や堀辺氏にしても、いわゆる『力技』であるが…ツボにはまった際の
技の切れ味はかなりのものがあったとのこと…(-_-)フ~ミュ?
チンピラ相手の、所謂『街のケンカ』レベルであったなら、『無敵』と自著で吹聴
可能な実力はあったそうな、、、(^o^;