05/01/03 14:55:01 UTXwoE4a
拝読なんて恐縮です。最後の文章は誤字脱字だらけで、削除しようかと
思いましたけど、貴方の様に東京球場の関心や愛着の有る方々へ、
自分のこの球場への思い出のフラッシュバックが、
このレスを御覧になってる方の参考や関心にお役に立てれば幸いです…。
これまた衰退を辿る、某紅白歌戦の野鳥何とか?ではないが、
当時の試合観戦で私の客観的な印象が精々200~300人程か?、
比較すればまるで高校野球地方選抜予選大会レベルかもしれない。
しかし私が観戦したこのゲームは、新聞販売店からタカリおとした
チケットなんで、消化試合のダブルヘッターのしかもディーゲームーだったと記憶する。
勿論自由外野席券、外野から内野への塀の仕切りが難所だ。
ブルペンの選手らに(お前達落ちたら危ないから降りろ!)
と怒られた記憶も残る。
無事内野側に入ってしまえば後は楽勝!仕切りのパイプを乗り越え
バックネットまでのゴール目指す探検行動は、運動会の障害物競走より、
スリルと緊張感が有って楽しかった。
球場職員?バイトのアンちゃんは、当時2~3人のガキの行為は、
怪我さえすんなよ!位なノリの下町人情で、今思えば黙認状態!
秩序はどうでも良かったのだろうか。
70年のロッテオリオンズ優勝時のエピソードに、
この狭いグランド一杯ファンがなだれ込み、
各選手達をファン達が胴上げしまくり、
ベンチに残った野球用具や備品が根こそぎ空と消えたらしい。
私がそこにいたら同じ事をしてただろう。これぞ熱血下町魂!
選手と観客が一体となって溶け込み友情や、もしくはそれらを超越した涙ぐましい伝説!
選手らも自分の愛用道具が盗まれた事など誰もが気にしてない、
懐の器と肝っ玉の大きさが現代の選手らと違う!
下町根性が、当時の選手達に根付いていた。
むしろこの選手達の心意気が双方、極めて自然な当時のファンサービスかもしれない…。
現在それらのファンサービスは人気低迷に焦り偽善ぽかったりする。
それらは私が当時の選手の立場だったら同感に思う。
私は中学校の卒業式で、後輩らに中ランのボタンや裾のボタン。
しまいにバッチ、カラーまで根こそぎ剥がされ付属物は全て消えた。
私の姿をうらやむ様に見つめる、ボタンの残った連中の寂しそうな目線が、
今でも脳裏に焼き付いている。
下町人間の熱いもてなし…これぞ元祖地域密着型!
この時代までのプロ野球は熱かった。
その後プロ野球のテレビ中継も盛んになり、徐々に球場へ向かう人の足も次第に遠のいた。
感動のしかたも、一体感など存在しなくなった。またはそれらは変化した…。
ちょっと寂しい気もするが、80’ブームにならってもう一度下町に球場が出来るなら、
新横浜ラーメン博物館の様なノリで、70’風ノスタルジーな球場を復元させたら、
あの頃のプロ野球を熱く支えていたファン多くの人々が、
現代プロ野球に失望した人達が帰ってくるようでならない…。
マスターリーグがそれを証明しているし、村田兆治を見ると誰もがその球威に
驚きと感動を覚え励まされる。
しかし時代は変わってしまった。もう東京の下町にそのスペースとアクセスの条件があわない。
いっそあの跡地に在る汚職にまみれた産物、荒川総合スポーツセンターを破壊するか~
つづく…。