07/03/12 10:30:48 egiTIwlF0
>>339
>(1)掴むことが何故、束縛になるのか?
>(2)その束縛(掴み)から自由になる手段が何故、束縛し返すで成立するのか?
>(3)塩田さんが言う当て7、投げ3に上記2点がどう繋がっているか?
いや、1はいい。
単に、用語の定義の問題だろう。
束縛が何をさしているか、明らかになればいい。
2と3は必要。
>>340
>(2)~
とにかく、掴むことを束縛とさしているのね。
束縛から逃げる行為は、必要だろう。これには特に説明の必要はない。
>自由を求めて技を掛けるのが動機となります。
これと同じだ。
>逃げる行為は、束縛からの自由です。よって自由の可能性は無限にありますから、自由自在です。その可能性自体がこちらの目的ですから。
1文目はわかる。2文目は多少気になるが、自由自在の定義として納得できる。
3文目が意味がわからん。可能性が目的の訳ないだろ。目的と言ったら○○すること、とか、○○になること、と表せなきゃ。
>(3)
>投げといっても、実戦の変化の中でする投げは、実感としては、投げる努力ではなく、
>当ての結果投げになったり、当てとして終わったりするのであって、その結果をもって、
>塩田さんは、当て身が7割、投げが3割と言ったのでしょう。
だからこそ、当て身による崩し(とその結果の投げ)が7割で、それによらない崩し・投げが3割、と言ったんでしょ?
結局、崩さないと何で当て身が入らないの?