03/05/02 04:57 duUOL1TY
>>811
第11次朝鮮通信使節(1763~1764)の日本紀行文
(大阪港の感想)
「その昔、桜船で下る王濬(おうしゅん)が益州を称えた詩があるが、ここに比べてみれば間違いなく見劣りするであろう」
「倭の十一隻の金の桜船が命を受けて迎えに来ていた・・・その豪華絢爛 万古に例を見ない見事さである」
(大阪の感想)
「三神山の金闕銀台とは、まことこの地のことであろう」
「人家が塀や軒をつらね その賑わいの程は我が国の錘絽(ソウルの繁華街)の万倍も上である」
「我が国の都城の内は実際には一里に及ばない・・・(大阪は)ほぼ十里と言われる土地は全て利用され・・・」
「北京を見たという訳官が一行に加わっているが、かの中原の壮麗さもこの地には及ばないという」
(淀城の水汲み水車の感想)
「その仕組みの巧妙さ見習って作りたいくらいだ」
(京都にて)
「人々の富める様は大阪には及ばないが、都の西から東までの距離は三里に及ぶという」
「惜しんで余りあることは、この豊かな金城湯池が倭人の所有するところとなり、帝だ皇だと称し子々孫々に伝えられていることである」
「この犬にも等しい輩を 皆ことごとく掃討し、四百里六十州を 朝鮮の国土とし、朝鮮王の徳をもって 礼節の国にしたいものだ」
(名古屋の感想)
「山川広闊にして、人口の多さ、田地の肥沃、家々の贅沢なつくり、遠路随一といえる中原にも見あたらないであろう。朝鮮の三京も大層立派であるが、この地に比べれば寂しい限りである」
(江戸の感想)
「楼閣屋敷の贅沢な造り、人々の賑わい、男女の華やかさ、城郭の整然たる様、橋や船にいたるまで大阪、西京(京都)より三倍は勝って見える」
金仁謙著 高島淑郎訳注『日東荘遊歌』(平凡社東洋文庫、定価3100円)