09/09/08 01:39:09
サルは受動型ASに似ている
ASにも否認に良く似た現象が見られるが、ASの場合は、少し違い、
「本当のことであると理解しない」ということだと思う。
ジャイアンは「本当のことだから認めないといけないことは分かっていても認めきれない」から「否認」であり、
ASの場合は、その必要性さえ認めていないので、
「自分本位な確信」「妄信」とでも呼ぶものになろう。
例えば「本人の考えをきちんと聞き、合理的にきちんと是々非々の説明を続ける」とか、
「本人が自分で努力したときにきちんと誉める」とかの、
「理解」や「努力の評価」の精神的なサポートが一番大事であって、
出来なかったときの気休めとか、辛いときのねぎらいなどの一般的に言われる情緒的な優しさは、
下手をすると「共依存の誘惑」になりかねない。
受動型ASは「愛着の対象が全て理解して、
全てやってくれるのが当たり前」という認知を持っているので、
「優しさ」は、その歪んだ生来の共依存的な認知を助長するものにしかならないだろう。
(バスタも主婦もここで失敗したと思われる)
現実には「愛着の対象が全て理解してくれて、全てやってくれる」などありえない。大人になっても、
性懲りも無く、そういう依存相手を探し続ける空しい努力を続ける受動型ASが多いのは悲しい現実だ。
受動型ASが喉から手が出るほどほしがる言葉が「必要」だ。
受動型ASに対して「あなたが必要」と言ったら最後、
その瞬間に大変な要求を突きつけられることになる。
(バスタは 必要=愛してる、抱きたい と言ってしまったのが最後・・・・w)
受動型ASに対して、大事なポイントは、「精神的にはサポートしつつも現実的な苦労をするのを妨げない」ということが重要
受動型ASの一つのケアは、「現実的にどんどん厳しい状況に追い込む」という方針だ。愛着の対象からはどんどん遠ざけて、だれも尻拭いをせず、
本人が周囲の人を絶対に振り回せないような環境を作り、徹底した自己責任を原則に。
(つまり、主婦やハキリは離れなさいということか)