10/07/14 09:39:57 sdRH0W7C
>>197
日本では、死者に鞭打つようなことや死者を冒涜するようなことはしないし、
死んだら誰でも仏様という考えがかなり浸透している。
でもそれは、あくまで日本の仏教の宗教観に過ぎず、宗教が違えば考えは
違うし、同じ仏教でもその考えが通るのは日本と東アジアの一部だけだ。
また、敬虔な日本の仏教徒でも、たとえば自分や自分の身内を酷い目に
あわせた奴が死んだら心情は異なると思う。
ことほどさように、死に対する考えは価値観や心情により多様さを示す。
それなのに自分の考えがさも唯一絶対の真理であるかのように捉えて、
不謹慎不謹慎と声高にわめくのはどうかと思う。
そんなんだからおまえは無知だの知性に問題があるだの言われるんだよ。
もっとも、死が悲しいものであるとすること、死者に哀悼の意を表することは
かなり普遍的なものだし、オレもそれは変わらない。
ポイントは、「死んだら許す」「死んだら仏様」「死んだら被害者」「死んだら不幸」
という考えが絶対でないことだ。
さて、愛知の交通死者に関してだが、個別にどういう事情で死に至ったかを
精査することは出来ないので、どうしても総体として扱わざるを得ない。
総体として扱うときには、当然、普段愛知のドライバーにどういう心情を抱いて
いるかということがポイントになる。
どういう心情を抱いているかは、いまさら説明の必要はないだろう。