09/09/04 11:03:21
フィクションドラマを楽しむ為のお約束事を現実世界で使える法則だと妄信している人達が集団ストーカーになりやすいと思う。
例えば「ぬるま湯」。物語などの例え話で使われるときは「居心地の良い待遇」として使われるけれど
現実で裏社会の人間が使用する「ぬるま湯」は「風呂の残り湯」。
「ぬるま湯で遊んでやった」→「風呂の残り湯に 本気で殺さない程度に沈めてやった」
=「大人三人程度で結託すれば小学生なんて『風呂の残り湯で遊んでいて事故死』という設定で始末できるんだぞ?」みたいな脅迫。
今でも刑事ドラマ等で「ぬるま湯」とかいう文学的表現が使用されると一酸化炭素吸わされたような嫌な気分になる。(見ないけど。)
何故「ぬるま湯で遊んでやったらいうことを聞くようになった。自分が悪いんだから更に裏社会の人に加害されても仕方が無い。」みたいな意識になって
加害しても罪が相殺されると勘違いする人が居るのだろうか?