09/02/12 01:06:13 Kjys4JPB
1939年10月、新たに認定された第14世ダライ・ラマは、盛大な祝賀行列を伴って、チベットの首都ラサに入った。
当時、チベットには6000を越す僧院があり、生き仏ダライ・ラマを頂点に60万人もの僧侶がいた。
敬虔な仏教徒と農民が暮らす平和な国家、それがチベットであった。
1950年。中国統一を果たした毛沢東率いる人民解放軍は、突如チベット侵攻を開始した。
チベットは制圧され、中国の支配が始まった。
1959年3月、大規模な抵抗運動が起こったが中国軍によって鎮圧されるとダライ・ラマは、インドに亡命した。
チベットにあった6000の僧院の殆どは、中国軍によって破壊され、経典や宝物は焼き捨てられた。
現在多くの僧院は再建され、仏教は再び日の目を見ることになったが、
弾圧の記憶はチベット人の心から消えることは無く、多くの人々が怯えながら暮らしている。
ダライ・ラマは主張する。
「チベットには漢民族がなだれ込んでいる。あと数年もすれば漢民族の人口のほうが多くなるだろう。
チベットでチベット人が少数民族になってしまったらもう終わりだ・・」
チベット民族はチベットの土地から消えようとしている。
ダライ・ラマ ~亡命の30年~
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