09/02/07 11:37:47 Hee7UP4r
1989年12月21日。ルーマニアの首都ブカレスト。
チャウシェスク大統領は、独裁政権支持のための官製大集会を開き壇上に登った。
チャウシェスクが演説を始めてしばらくすると突然異常事態が起きた。
群集の一角から誰かがブーイングをはじめると、それがあっという間に大群衆の声の渦となって
チャウシェスク非難の大合唱となってしまったのだ。
歴史的な『ルーマニア革命』が発生した瞬間だった。
この後7日間にわたって、市民側についた国軍と、チャウシェスク親衛隊との間に激しい戦闘が繰り広げられた。
これは、ブカレストの市民が撮影した壮絶な革命の記録である。
市民が撮った革命の7日間 ~ルーマニア・チャウシェスク政権崩壊~
URLリンク(www.megavideo.com)
ニュースセンター9 ルーマニア情勢 ~チャウシェスク政権崩壊~
URLリンク(www.megavideo.com)
--余談--
天安門事件のときに、民主化要求をする国民の側につかずに、政権側について国民を弾圧した人民解放軍と
ちょうど対照的な事件といえる。ルーマニア国軍の行動は、憲法上は明らかに反逆行為であった。しかしながら
「民主主義」・「人権」・「自由」という最も大切なものを守るために、国民の側について政権と戦う事を決意した。
もし、このとき国軍がチャウシェスク政権側について国民弾圧をしていたら、今日のルーマニアは存在しなかっただろう。
今の自衛隊のイデオロギーは、“人民解放軍”と“ルーマニア国軍”のどちらだろうか?