08/05/24 11:55:29 fdV7wtXf
若い方、が私のブログを読んで失望しました、というコメントを寄せてきた。
失望した、というコメントに接したのは2回目である。
自分の思い通りにならない、自分の懸念がなかなか解消されない、ことの展開が期待通りではない、
そういう感想が、「失望」という言葉に込められている。
失望する前に、まず私たちは自分が出来ることをやり尽くしたかを考える必要がありはしないか。
やり方が良かったか、外に何かもっと有効な方策がなかったか、これから何をやれば有効か、
そのうち自分では何が出来るか、自分で出来ることでやっていないことは何か、やり残したことはないか。
そんな風に一つ一つ丁寧に考えられたらいいのではないだろうか。
人を変えるためには、まず自分が変わらなければならない。
それが様々なことを成し遂げるための鉄則のような気がする。
私が最初に衆議院選挙に立候補したとき、選挙の実際や現場に通じている人は絶対に当選する可能性がないことを知っていた。
だから選挙を経験している市長や県議、市会議員は、どんなに誘われても名乗りを上げなかった。
誰かが立候補の意欲を持っていても、そのライバルが足を引っ張り、結局名乗りを上げることも出来ない、
そういう状況の中で、不毛な会議が延々と繰り返されたようだ。
そういう環境の中での平成8年の衆議院選挙に、私は自民党の公認を得て、予想通り見事に落選した。
(続き:>>2)