10/03/05 23:11:13 HTlsDhmH
私は、一流商社のやうなツルツルした校舎へ毎朝吸込まれてゆく学生たちが、数年後サラリーマンとして又もや
ツルツルした大ビルディングへ毎朝吸込まれていくことを考へると、その一生が気の毒になる。
オンボロ校舎の精神的風格などを一生知らずに、ツルツルした表紙の週刊誌ばかり読み、団地生活をつづけてゆく
人間がかうして出来上がる。政府は政令を発して、学校建築に制約を加へるべきではないか。
(中略)
こんなことを言つてゐるうちに、すべてはノスタルジアに彩られ、日清戦争の思ひ出話みたいになつて来たから、
ここらで筆を擱くことにする。
最後に、まじめな私見を言ふと、硬教育の復活もさることながら、現代の教育で絶対にまちがつてゐることが
一つある。それは古典主義教育の完全放棄である。
古典の暗誦は、決して捨ててはならない教育の根本であるのに、戦後の教育はそれを捨ててしまつた。
ヨーロッパでもアメリカでも、古典の暗誦だけはちやんとやつてゐる。
これだけは、どうでもかうでも、即刻復活すべし。
三島由紀夫
「生徒を心服させるだけの腕力を―スパルタ教育のおすすめ」より