07/11/27 12:42:52 0c4kypZf
>>789
馬屋古の女王と山背の皇子の関係は、叶わなかった願望が成就した形と言えると思います。
快楽と「安らぎ」に耽溺し、他者を締め出す姿は、「幻想の正体はこういうことだ」という意味に見えてきます。
池のほとりでの未熟性の指摘、美郎女を選択、読みきりの馬屋古の女王、
三段階に渡って叩きつけなければ、作者の気がすまなかったのではないでしょうか。
このように作品から読み取れる批判が、全ての腐女子に当てはまるわけではないのでしょうが、
少なくともこの作者の内面では、(どこまで自覚的だったかは不明ですが)
葛藤が起こっていたと考えられると思います。
ところで、この作者は、男性同性愛を描くのは何かを避ける手段だ、と言っています。
伏字にされた「何か」の部分は、近親相姦と推測されています。
仮にそうだとすると、近親相姦に走った刀自古と、男性同性愛に走った皇子、
二人を描きだした根の部分は、作者の中で同じだということになります。
そうすると、この二人が、同じ者に想いを寄せるという構図、
そして、恋愛の敗北が決定した惨めな皇子が刀自古に当たり散らすという構成は、
納得できるものです。
こう考えていくと、伏字部分の推測が正しい可能性がますます
高いように思えるのですが、そのために男性同性愛を描くということ自体が
どういうことなのか、よくわからずにいます。
タブーな話題でありますし、腐女子皆に当てはまりはしないでしょうから、
ここを探るのは難しそうなのですが。