08/04/29 20:22:07 eK45a3Na
>>474
カールポパー
カールポパーのことをもう少し書いておくことにする。カールポパーの危うさはたぶん2つある。
「反証可能性」に反証可能性はあるのかという問題はたぶん有名な問いなのだと思うが、
ラッセルのパラドックスがある限りその問は意味がない。そのためにこそ、
ポパーはプラトンから始まる長い論説を書かなければいけなかったのだろう。
反証可能性は柔軟で有効な武器だか、それは公理系の出発点として受け入れてはじめて有効だと考えることができる。
漸進的社会工学は、反証可能性の上に成り立つアプローチと理解できるが、
反証可能性が柔軟である以上に漸進的社会工学は柔軟である。それは魅力的であると同時に危うさを備えている。
柔軟な方法論はどのような急激な変化にも驚かない。漸進的アプローチであるから、
その漸進性を十分小さくとれば新しい展開を吸収できる。
それ故に古い方法論からも脱却できないという可能性を秘めている。
昨今の経済学の新古典派アプローチは、柔軟になんでも適用できるという華やかさの
蔭で次第に魅力を失いつつあるように見える。
もっと古い例でいえば、プトレマイオスの天動説は非常に柔軟に天体の運動を説明できたがゆえに、
地動説を受け入れることができなかった。
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