07/09/26 18:08:03
サドは次のことを違った形式で繰り返し語った。
すなわち『自然は我々人間を孤立した存在として誕生せしめたのであり
人間相互の間にはいかなる種類の関係も無い』と、したがって行動の
唯一の規範はこうなる。『私は私に快感を与えるものを愛するのであり
私のこの好みゆえに他人に生じうる悪いことを、すべてどうでもよいことと
みなす。私がほんの少しの快感を手に入れるために大罪を途方も無い数
犯したとしても、そんなことはどうでもよいことなのだ。
なぜなら快感は私の内にあり私を喜ばせるのに対して
犯罪の結果は私には関係が無く、私の外にそんざいするからである。』
まず、自分が何を愛し、何を嫌っているのかを確認してからすべてが始まるのだと思う。
人間には『思い入れ』というものがある。
そのために金や労力を使う。だから敬愛してやまない思想や
人物のためなら、人間はわが身を犠牲にすることもできる。
自分がどうしたいかを忘れて、周りの顔色ばかりをみて
いいことをするにも悪いことをするにを、周りがやっていたら
安心してやるという青少年が多すぎる。誰が何をもとめているかは関係ない。
大事なのは自分が何が好きか、何に『思い入れ』をいだいているかだ。
本当のことを何も教えないで、徹底的に欲望を削ぐような
教育ばかりをしてきて、その結果、意欲や気力を失った若者を
「元気が無い」と嘆く大人はなんなんだ。
自分の欲望を丸ごと肯定するのを自分にだけ許すことを覚えさせるべきだ。
実行するかしないかじゃない。そんな欲望を持っていることを自分に
許すか許さないかが問題なんだ。それを許せないと卑屈になってしまう。
人間は個人個人が純粋な存在なんだ。
だから他人との接触は不純を生じさせるし法律や道徳や規範に
たいして、純粋ではいられない、また純粋な悪というものにもなれない。
自分がひとりで純粋だということを自分に認める。そこからほんとうの自立が生まれる。