08/02/07 19:29:59 HwAmuxW3
李朝-「倭館で開市する貿易」
対馬宗氏が朝鮮内の倭館で独占貿易-1419年~1873年
(応永の外寇→三浦と漢城の倭館→三浦の乱→鎖国→熊川浦→朝鮮出兵→草梁島倭館)
明朝-「勘合貿易」
大阪堺-細川氏(幕府の管領として)・
博多-大内氏(勘合を独占)
「日本国王」は使節にこの「勘合」を持たせて渡航させ、まず入国時に
浙江布政司 で明側のもつ「底簿」と照合させ、さらに
北京の礼部 で別の「底簿」と照合させるという手順で
「日本国王」の正式使節である事を証明するわけです。もちろん
勘合を持っていないものは入国も認められず、逆に「私貿易船=海賊」と
見なされて追い返されます。
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やがて明側は財政難を理由に(もちろん口が裂けても表向きには
言いませんが)日本の使節派遣に制限をかけるようになります。
時期によりいささか変化があるんですが、おおむね
「十年一貢」「船三艘」「定員百五十人」といった具合です。これを受けて
日本側もだいたい十年に一回の派遣にとどめるようになり、その状態を
15世紀を通じて維持してゆきます。ちなみに
現在の沖縄である琉球王国は特例として
ほぼ毎年交易船を明に派遣し(原則としては二年一貢)、この時期の
東アジア・東南アジアの各国と明を中継貿易で結びつけて繁栄しています。